図書恋ーー返却期限なしの恋ーー
 唇が離れた。と思ったらもう一度重ねられる。唇の感触が恥ずかしい。引き寄せらたせいで、胸の下にあたるテーブルの縁が苦しい。
 それなのに、止めたいとおもわなかった。

「なんで」
 もう一度離れた唇同士の狭間で、哲が囁く。
「おまえってほんと」
 いつもより低い声。おまえって呼んだ、と鈍った思考でぼうと思う。大概乱暴な口調の哲だけど、わたしのことをおまえとは呼ばない。いつも名前で呼んでた。
 まるで全然余裕がないみたいだ。

 立ち上がった哲がこちらに回りこんできて、そのままぎゅうっと抱きしめられた。もう何度もあった抱擁だけど、今回はちがった。今までより強い手の力。哲の体で押しつぶされそう。

「あさこ」

 はい、も言えない。心臓が忙しなく鳴って、人間って動物なんだと知る。隙間なく密着したこの体から、なんの経験もないわたしでも、なにかが生まれる予感を感じている。

「お願い。俺のもんになって」
 じわり、と涙が浮かんだ。

 いつもいつも偉そうなくせに。なんでこんな時に限って、懇願するみたいに。

 震える手で、胸の下あたりの服を引く。檻のような腕に捕まれて身動きが取り辛い。
 それでも哲と目を合わせた。視界に涙の膜が張って、哲の顔が見えない。代わりに、泥のついた上靴が目裏に浮かんだ。
 まどか先生の言葉は正しかった。大人の女が上靴で表に出る理由は、ひとつだけ。

「わたし、哲が好き、みたいです」
 自覚した途端、明け渡すなんて。恥ずかしくて、だけど悔しくはなかった。まばたきで落とした涙の先、驚いたように目を見開く哲の顔があったから。

 唇がもう一度おりてくる。わたしは目を閉じて、それを受け入れた。



 何度目かのキスの後、哲が言った。隣行こ。わたしは動きを止めて、やがて小さく頷いた。
 抱きかかえられて寝室へと向かう。鼓動が全身で鳴っていた。
< 27 / 42 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop