夢を忘れた眠り姫
そう声を発し、一瞬固まったあと、彼は慌てて出て行こうとしたけれど、私は急いで引き止めた。


「遅刻しちゃいますよ。一緒に上まで行きましょう」


彼は左足だけ箱の外に出した状態でピタッと立ち止まり、ゆっくりこちらに顔を向けて問い掛けて来る。


「……良いの?」

「もちろんです。エレベーターは社員皆で共有するものなんですから」


コックリ頷きながら返答すると、落合さんは一瞬躊躇してから意を決したように踵を返し、中に戻った。

そして操作パネルの前に立つ私から可能な限り遠ざかるように、対角線上の隅っこにササッと移動すると、そこにペタッと背中を張り付ける。


「……そんなに気を使っていただかなくても大丈夫ですよ」


相変わらず動きがコミカルな人だな、と思いつつやんわり指摘する。


「い、いや、でも、この前紳士らしからぬ振る舞いをしてしまったから…」

「そんな体勢でいられるとむしろ気になっちゃいますよ。普通にしていて下さい」


言いながら私は『閉』と階数ボタンの3、5を続けざまに押した。


「この前の事は、お互いになかった事にしましょう」


箱が動き出した所でそう提案しながら再び彼を見やると、壁には貼り付いていないけれどとても緊張した面持ちでピーン!と直立不動で佇んでいた。


「……貴志さんも、あれ以上はどうこう言うつもりはないでしょうし」
< 239 / 277 >

この作品をシェア

pagetop