雫に溺れて甘く香る
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「いつ思い出しても、あの時の続木の狼狽っぷりは無かったですよね」

目の前でシェーカーを振りながら、バーテンダーの篠原さんは無表情に呟く。

篠原さんて無表情で言葉は丁寧だけど、たまに毒舌っていうか、Sっ気披露するよね。


それを見ながら、茄子とトマトのパスタを頬張った。

でも、そんなことを冗談ぽく言われるようになるなんて……気がつけば、私もこの店の常連になりつつあるんだなー。

そんな事は思ってなかったけど。


だって、この店ってちょうどいい立地にあるんだもん。

うちにも歩いて帰れて、なおかつお酒もご飯もリーズナブルで美味しいし。

通っているうちに、こんなことを言われるようになった。

「篠原さん。私が来る度に思い出さなくてもいいと思うよ?」

「すみません。でも、あの鉄仮面が年下の工藤さんに掴まえられて『どうにかしてくれ』とか言うから」

鉄仮面……篠原さんだって、人のことは言えないでしょうが。

また思い出したのか、出来上がったカクテルをグラスに注ぎながら、篠原さんは少しだけ申し訳なさそうに微かに視線を逸らせる。


雨の日に出会った無礼な彼は、名前を続木真人さんといった。

ちょっと町外れにある小さなカフェバーの店員さん……と、思っていたら、彼は共同経営者の一人らしい。

バーテンダーの篠原さん。厨房に立つ中野さん。それからフロアに立つ続木さん。

なんでも、学生時代からの友達なんだとか。

別に知らなくてもいいんだけど、中野さんがカウンターに入ると面白おかしくペラペラとしゃべっているから、カウンターに一人で座る私の耳にも自然と入ってくる。


「そう言えば、今日は続木さんいないんだ?」

フロアを見回せば、いつもいる長身が見当たらない。

料理を運び終えたらしい中野さんが、独り言みたいな私の呟きに頷いた。

「今日は休み。まぁ、金曜日じゃないから、二人でもまわるしね」
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