雨音の周波数
「違います」
「なにが違うんだい? その人を自分の中から消さないと前に進めない。だから"忘れる"って言葉を使って誤魔化しているんだ。君はずっと彼に恋をしていたんだね」
「違うんです。私は佐久間さんと一緒に穏やかに過ごしていきたいんです」

 泣いているつもりはないのに声が震えていた。

「僕も同じように思っているよ。でも君の穏やかと僕の穏やかは違う。僕の穏やかは君だけに優しさをあげたいと思う愛情だよ。君の穏やかは自分が傷つかないための安全な場所、自衛だ」

 ああ、そうか、そうだったのか。私は佐久間さんの気持ちを何も理解していなかった。佐久間さんの隣にいると辛くないのは無条件で優しさをくれるからだ。

 そして私は彼に愛情を持っていない。だから嫉妬も悲しみもない、苦しくもないんだ。なんて浅はかな人間なんだろう。

「春香、泣くぐらい好きなら捕まえに行きなさい。そうしないとこれからもずっと、忘れたいと思いながら恋をしていかなくちゃいけないよ」

 佐久間さんの言葉を聞きながら圭吾の顔が浮かんだ。そして今日届いたメールを思い出した。

 私の目からは涙が流れ落ちる。指でこぼれる涙を何度も拭う。それでも涙は止まることを知らない。

 すると、佐久間さんが私の頭に手を乗せ、優しく撫でてくれた。

「もう泣くな。その涙は僕じゃ止められないから」

 私は声を絞り出し「ごめんなさい」と言った。

「ほら、少し冷めちゃったかな。食べよう」と言って、佐久間さんはエビグラタンを食べ始めた。

 それでも食べようとしない私にスプーンを握らせた。

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