恋凪らせん



翌日、きりのいいところで午前中の仕事をまとめ、隣の席で企画書らしき文書をめくっている有咲の肩をあたしはちょんちょんとつついた。

「お昼行かない? 有咲」

彼女は胸あたりまで届く緩やかにうねる髪を背中にはらって「いいよ」とにっこり笑う。有咲は同期入社で、フロアではいちばん仲がいい。休日に会うことまではしないけど、昼食は大概一緒だ。

「ちょっと待ってね」

有咲は文書を手早く揃え引き出しにしまった。ちらりと見えた表紙の文字に首を傾げる。

「ねえ有咲。その企画って高橋くんの担当じゃなかった?」
「えっ? あー……うん、なんか高橋くん忙しいんだって」
「はあ? 忙しいのなんてみんな一緒でしょ。有咲に押しつけたってこと?」

思わず声が高くなり、有咲に「しー」と人さし指を立てられた。彼女は苦笑とも諦めともつかない笑みを浮かべる。

「いいのいいの。わたしのほうはまだ余裕あるし」

理不尽な気がして口を尖らせると、有咲は小さなトートバッグを手に「行こう」とあたしの手を引いた。

有咲は優しい。有咲は断らない。有咲が誰かと争うところなんて見たことがない。
だから彼女は利用される。仕事を押しつけられたり、誰かの尻拭いをさせられたり。でも有咲は文句を言わない。屈託なく笑って「いいよ」と引き受ける。
あまりに人が良すぎて見ていて苛々することもあるけれど、あたしも人のことを言えた義理じゃない。だって、あたしも有咲を利用している。

何を話してもにこにこと笑って楽しそうに聞いてくれる彼女に、あたしは一回りも二回りも肥えた嘘を吐き続けている。
滔々とくり出される嘘に、有咲は「素敵ね」と頷いて微笑んでくれる。
なぜか彼女に話すのがいちばん楽だ。苦しいはずの嘘も少しだけ軽くなる。
柔らかい雰囲気のせいだろうか。羨望がほとんどないふんわりとした笑顔のせいだろうか。

あたしを欠片も疑わない有咲が糾弾者になることは決してない。でも、もし彼女に「嘘つき」と罵られたらどんな気分だろう。

歪んでいく。狂っていく。
あたしが、世界が、醜く崩れていく。

「ねえ有咲聞いて。夕べ同窓会だったんだけど、迎えに来てくれた彼ったら……」

あたしの淀みない嘘に有咲が微笑む。
現実に亀裂が入り、虚構の世界が姿を現す。




―― 了 ――



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