今日は恋に落ちたい
「……んっ、」



シャワーを浴びる時間すら惜しむように、深くくちびるを合わせながらふたり一緒にホテルのベッドへと倒れ込む。

まさか、つい30分ほど前に初めて会ったばかりの人と今こんな場所にいるなんて。これまでそれなりに真面目な人生を歩んで来たと自負している身としては、この状況はなんだか現実味がなくて頭がふわふわする。


密室に入ったとたん、男はそれまで見せていた紳士然とした態度をかなぐり捨てたようだ。性急に獲物を喰らおうとするその手つきや私を抱き込む力に、彼が今現在強烈に私を欲していることを感じてなぜかうれしくなる。

そしてこうしてゼロ距離まで近付いたとき、気付いた。さっきバーで一瞬彼から感じたのは、たぶんコーヒーの香りだ。

香ばしいあの匂いが移るくらい、この人はコーヒーを好んでよく飲んでいるのかもしれない。もしそうだとしたら、自分と同じで。こんなときだというのに、妙な親近感を覚えて胸があたたかくなる。



「っあ、待っ、て」



とっくにコートやニットは床に落とされて、目の前にいる彼もすでに上半身裸の状態だ。

なんとか紡いだ制止の言葉が聞こえたらしく、私の首筋に噛みついていた男がふっと笑みをもらす。



「なに? 今さら怖気付いた?」



言いながら腰を撫でる手のひらの熱さが、それでももう止まる気はないと告げていた。

そうじゃない。自分だってやめて欲しいわけではないのだと、ふるふると首を横に動かす。



「ちが、っな、まえ、」

「名前?」

「聞いてない、から……っ」



今さらな私のセリフに、男が意外とばかりに眉を上げる。

本当に、今さらだ。だけどこのまま、名前も知らないままっていうのは、なんか。
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