今日は恋に落ちたい
このやり取りの間も止まない刺激に声をもらさないようくちびるを噛みしめながら、じっと彼を見つめた。

まっすぐこちらの視線を受け止めていた男は不意に口元を緩めたかと思うと、右手で私の耳の裏をくすぐる。



「俺の名前ね。アツヤだよ」

「アツヤ……」



教えられた響きを、同じように繰り返した。

いや、ていうか、本当に名前だけって。ホストじゃないんだからと内心悪態をつきながらも、一夜限りの関係というのはこんなものでいいのかなとも思い直す。



「そっちは? 名前」

「……日花里(ひかり)」

「ヒカリ? かわいい名前だな」



さらりと褒められたけど、なんとなく馬鹿にされてる感は否めない。

漢字にすると、余計に名前負けなのだ。こんな、かわいらしい名前。


思わずムッとした私に今までになく無邪気な表情で笑って、男──アツヤが、シーツに広がる私の髪をすいた。



「別に、無理して俺の名前呼ぶことないよ」

「え?」

「特別サービス。すきなヤツでもすきだったヤツでも、お好きな男の名前でどうぞ」



──なにそれ、悪趣味。

彼のセリフを聞いた瞬間そんな言葉が頭に浮かんだのに、私は何も言えなかった。


思い出すのは、今日まではたしかに彼氏だった男と過ごした1年間のこと。

すき、だった。それは間違いなかった。

だけど、ダメだった。彼にとっては、私ではダメだった。



「……ッ、」



息が詰まって、くしゃりと顔が歪む。それをアツヤは、やけに真剣な表情で見下ろしていた。


たしかに、私はすきだったのに。

じゅんた、潤太。……ジュン。

私は、どうすればよかったの?


大人しくしていたアツヤの手が、再び私の身体をなぞり出す。

否が応でも体温を上げるその動きに震えながら、私は目の前にある彼の首元に抱きついた。



「っん、ジュン……!」



ピクリと彼の手の動きが止まったのは、一瞬のこと。

耳元でふっと笑みをこぼす気配がして、何事もなかったかのように愛撫は再開された。



「思いっきりやさしくされたい? それとも、ひどくして欲しい?」



艶を含んだそんなささやきにも、キスを返しながら「両方」とはしたなく返してしまうくらい。この夜の私は、たぶん頭のネジが飛んでおかしくなってしまっていた。

ついさっきまで恋人だった人とは違う男の腕に抱かれ、最低だったはずのバレンタインデーの夜は更けていく。
< 7 / 13 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop