今日は恋に落ちたい
いろいろあったあのバレンタインデーからは、すでに1週間以上が経った。

その日会ったばかりの男と酔った勢いでホテルに行くだなんて人生初の冒険をしてしまった私は、それでも案外冷静なもので。散々抱き合った次の日の朝、アツヤと名乗ったあの男が目覚めるより早くホテルを出た私は、その後一度自宅に戻りつつちゃんと仕事にだって行った。

唯一しでかした失敗といえば、あのシティホテルの部屋にブレスレットを置いてきてしまったことくらいか。自分で買った安物だから別にそこまでがっかりはしていないけど、ベッドサイドにあったはずだからホテル代を置いたときに気付ければよかったのに。


すでに元カレとなった潤太とも、あの次の日にはきっぱり別れることができた。【いきなりどうして?】との返信にあの夜彼の部屋で見た光景をそのままメールで伝えれば、【ごめん】とただひとこと返ってきてそれきり。

所詮、彼にとって私はメールで別れ話を済ませられるような相手だったというわけだ。一緒に過ごした1年はまったくの無駄だったんだと冷めた気持ちにはなれども、そこまで落ち込むことはなかった。

……たぶん、あの夜、すがりつける腕があったからだ。潤太の浮気を目撃したあのまま家に帰ってひとりで泣いていたら、きっともっと自分は落ちてしまっていた。

そうならなかったのは、悔しいけど、バーで声をかけてきたアツヤのおかげ。一夜限りの関係だったけど、あのときの私にはそれで充分だった。


そういえばアツヤは、あのバーの常連だったのだろうか。……もしいつかまた、会っちゃうことがあったら気まずいな。少なくともしばらくは、足を運ばない方がいいだろうか。



「お待たせしました、本日のコーヒーとたまごサンドです」



私の思考を断ち切るように、店員の声が耳に届いた。

窓の外からテーブルの上へと視線を滑らせると、目の前にコーヒーカップとサンドイッチが乗った白い皿が置かれる。

ふわっと香った少し甘い匂いは、グアテマラだろうか。私の好きな銘柄だから、思わず頬が緩む。
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