中崎町アンサンブル
「焼け残ったのさ」と誰かが言う。
屋根の上の猫だった。

黒猫はゆるりと長いしっぽを巻きながら、退屈そうに夜月を見上げる。


昭和20年3月、大阪の空を無数の爆撃機が埋め尽くした。幾度も空襲を受けたが、この中崎町だけは戦火をまぬがれた。

「奇跡だよな」と黒猫は続けて、少し自慢げに前足で顔を洗う。

「猫のくせにえらそうに」とは、僕は言わない。代わりに「詳しいんだね」と笑顔で返して、時折星を見上げながら、黒猫とともに紺色に染まる町を歩く。

ぴちゃん、と足下で波紋が揺れる。

耳鳴りのような、だけどとても心地よい高周波の音が遠くで聞こえる。くじらの残響か、あるいは迷い込んだ風の音だろうか。

それからまた、僕は考える。

どうして僕はここに迷い込んだんだろう、と。

< 4 / 22 >

この作品をシェア

pagetop