今現在までの僕の人生
様々な人生
僕は
1995年8月12日の21時49分に
東大阪のとある病院に産まれました。
母に聞いたところ
とても
元気で大きく
4600gだそうでした。
母も父も大喜びで号泣してたそうです。わら

それから、何気ない生活をして
物心がわかり始めた頃
当時3歳の頃です。
父が僕に暴力をしてくるようになりました
母が泣きながら僕の上に乗っかって
必死に守ってくれたのが今でも
鮮明に覚えています。

それからとゆうもの
母と僕に
ずっとずっと暴力を振るいつづけるようになりました
家族なのに
ずっと父を怯える生活が続き
いつか心の中では
はよ死んだらええのに
と思いつづけるようになりました。
母が必死で働いた金は
父にとりあげられ
お金が無い生活が続き
僕に柔らかいせん餅などを
食べさせてたそうです。

当時保育所に通ってた僕は
毎日目の上が腫れあがりながら通ったり
先生はどうしたの?って聞いてきましたが
なんもない
のこのひと言で終わっていました

今思うと
なんていう保育所や
あんときなにかしらの手を打っていたら
なんとかなっとったんちゃうんかい!
っておもいます。わら

ずっと暴力暴力暴力の日々
しかしたまには優しく
こいつ、まぢなんやねん
とか思っていましたし
父になにか喜ぶことをされようが
優しくされようが
はいはい、どうせ明日には
おれと母には暴力振るうんはわかってる
と小さい頃の僕でもわかっていました。

暴力から逃げたしたくて
当時、僕と母で
僕の友達の家にふたり泣きながら
かくまってもらったこともあります。
母同士も仲良くて
助けてもらいましたが

その次の日の朝
激しく痛い衝撃で目を覚ますと
あの父が
友人の家にあがりこんで
僕の顔を踏みつけていたんです。

ほんとに驚きました

そして暴力の日々が続くと同時に
小学校にあがり
僕にもふたつ下の弟ができ
とても嬉しい半面
相変わらず僕と母だけに
暴力が続きました

毎晩、父と母の喧嘩声で夜も眠れなく
怖すぎて母のこと心配すぎて
しかし臆病な僕は
助けにいくこともできずに
ずっと布団にくるまっていました

そういう日々に当然慣れることもなく
ある日の夜です
母と父が大喧嘩してて
僕は部屋で怯えながらいたところ
父に呼ばれ
リビングにいったところ

母が号泣しながら
こっちを見つめていました
母を見ると
真っ白のTシャツが血だらけで
顔が真っ赤でした
そしてすぐタオルをとり
母の血を拭いてる途中
涙が止まらず
母は大丈夫やから
向こういっときって
その日から
父を殺したいと思う日々が続きました

小学校2年生になり
妹も産まれ
長男となりました。
妹、弟に対しては
暴力はなかったのですが

何故か、僕と母だけに
暴力はほんとひどく
殺されかけたことなんか
数えきれないほどあります
逆に僕が
顔面血だらけで
服も血で赤色になってたことなんか
数えきれないほどあります

家族で野球をみてて
阪神が負けたら
暴力
ギャンブルで負けたら暴力
もうほんとありえない生活でした
その半面
いろんなひとに守られました。

父が暴力団で
母が組員の人にすぐ電話すると
3人ぐらいがすぐに
助けてくれたこともあります。
隣の家の人にも
助けてもらったこともありますし

ほんと感謝してます。

そして、何も変わらずに
学校にいき
授業を受けてたとき
校長先生が
僕のことを呼びました
周りの生徒は
え?あいつなんかしたん?
周りの目がきつかったのも
未だに覚えています。

※途中なのですが、ほんと内容、文章力が悪くてすいません。最後まで読んでくれたら嬉しいです

そして校長室行くと
何故か
母と弟と妹がいて
校長先生、担任の先生、
色々な先生が
僕にがんばってね
今までほんと大変だったね

と何故かお別れするような言葉を言うてきたので
思わず
は?どういう意味?
ときいたら
母が、僕の名前を呼んで
ありがとうございましたって言いなさい
とだけをゆうてきたので
とりあえずありがとうございましたとゆうたら

すぐに学校をでました
担任の先生が僕のランドセルを
持ってきて
送っていきますよ!お母さん!
とゆうたので
あー、家に帰るんか
どうせあのおっさんおるんやろな~
と思ってたら

全く違う方向に車が走ってるのに
すぐに気づきました
いつも前を通っていたラーメン屋を右に曲がるのに
左に曲がってるし
初めて見る景色をみて
え?おかん、これどこいくん?
って聞いたら
もう家でていくねん
このままやったら
あんたとおかん殺されてまうわ!
って泣きながらゆわれたので
あ、そうなんわかった。
とだけゆうて
そっからだれひとりしゃべらず
駅につきました。

初めてみる電車に

とても興奮していたの覚えています
そして
先生にありがとうとだけを
伝えて
家族の新たなスタートが始まりました
僕が小学校2年生の頃です。

そして
電車に乗る嬉しさと
あの父の顔を2度と見ることない
言葉がでないほどの幸せで
僕はずっとニコニコしていました!
その笑顔を見てホッとしたのか
母がニッコリ笑ってたので

あ、今おかん笑ったってゆうたら
あんたが笑ったとこ見たら自然に笑った
ってゆわれました。

僕は今も変わらず
ずっと母が大好きです!

そして目的地につくと
何故か家じゃなく
今でゆう
施設?シェルター?
家庭の事情などで
住まいを失った人達が
暮らすところでした。

初めは慣れない生活が続き
洗い物などをさせられ
ラジオ体操
何故か厳しく
なんやねんここ
って思っていました。

しかし友達ができ
ずっと遊んだりして
楽しかったので
ほんと今おもうと
久しぶりにいきたいなー
なんて思ったりもします。

学校の先生からの手紙が届いて
読んでたらいつの間にか
声だして泣いてて
号泣してたのは
ほんと恥ずかしかったです。

そしてそこでの生活も
3ヵ月ぐらいで
施設を抜け

新たな新天地
兵庫県、神戸市にいきました。
やはり、そこの
施設とのお別れも寂しかったのですが
何故か涙はでずに
笑顔で手振ってた僕がいたので
いまでは成長してたんだなー
とおもいます。

そして、神戸市に着き
新しい入居先に着き
僕と弟は興奮してました。
妹は1歳ぐらいで
まだ赤ちゃんだったので
ずっと寝てたのを覚えています。

ちょうど雪が降っていました
とても田舎で
見慣れない景色にとても慣れずに
むしろ怖かったです。

しかし、隣の家の人の息子と
同い年で
その日に友達になり
名前は小川くん
小川くんと
雪合戦したりして
遊んでたのを覚えています
それから
新しい学校に挨拶にいき

1週間後には登校ということでとゆう
話になりました。

その1週間
登校先の学校の子
小川くん以外にも友達ができて
毎日遊んでました。
そして
登校の日
小川くんと登校しました!

不安もあったのですが
僕自身人見知りはなく
すぐに友達ができました。

しかし驚いたのが
その学校
全部の学年が1クラスしかなく
とても人数が少ない学校でした
僕のクラスも1クラスしかなく
38人しかいなく
しかしその分
登校したその日に
38人みんなと友達になりました!
今ではびっくりする思い出です!
初恋もして
時にはやんちゃをして
友達と殴り合いの喧嘩をしたり
先生にしばかれたり
面白半分でタバコを吸うてみたり
とても面白かったです!

そして小学校3年にあがり
友達からの誘いで
近くのサッカークラブに
はいりました。
ほんとサッカーは初めてだったけど
楽しく、母に習わせてとゆうたら
ええけど!けつ割りなや!って
今おもうと小学校の子にけつわりなや!
って意味わかるわけないやろっておもいますけどね。わら

そしてサッカーに夢中になった僕は
毎日ボールを蹴り
当時、ロナウジーニョという選手が
ずっとニュースにでたり
なにかと話題になったりしてた選手だったので
ロナウジーニョみたいになりたい
とおもいながら、家でもボール蹴ったり
学校終わると真っ直ぐ家帰り
友達とボール蹴ったりして
楽しい生活を送ってきました。
そして
当時弟も1年生だったので
僕たちとずっと遊んだり
登下校一緒にしたりして
とても小学校はいい思い出しか残ってないです。

そして楽しい時間は
いつの間にか終わり
小学校を卒業して

中学校に入学しました
僕が入学する中学は
近くの中学で
僕の小学校と
近くの小学校
が合併する中学で
中学で初めて4クラスになりました。

しかし僕ら元々1クラスだったので
当然、同じ小学校の多くの子と
同じクラスにはなれず
残念だったけど
その合併する小学校の子らの
一部の子らとは
サッカーの関係で知ってたし
一緒にやんちゃしたりしてた子もいて
知ってたし
同じクラスにもいたので
助かりました!

今おもうと制服はぶかぶかで
ほんとださいなーとおもいます
写真みても思わずにやけてしまいます。

そして入学した頃
僕は道を踏み外し
学校にも行かなくなり
自分勝手な人生を歩むようになりました
よその中学校の子らに
喧嘩吹っ掛けたり
原付盗んでは
学校まで原付でいったり
薬物をやったり
体に入墨をいれて
やりたい放題でした。

当時、母の気持ちなどわからず
家出したり
母を泣かすことをしたり
小学校の頃は
命がけで守ってくれた母を
今度は僕が傷つけるようなことを
したりしてしまいました。
反抗期ってこともあり

口は聞かず
それでも家に帰ると
温かい美味しいご飯を作ってくれたり
風呂はいるやろ?湧かしたで?
寒い日には
風邪引いたらあかんで?
制服にカイロをこっそりいれてくれたり

ほんと世界で一番の母やなとおもいます。

しかし悲劇は始まります
ある日、よその中学校が
僕の中学に乗り込んできて
僕の名前を叫び

僕がでると
おまえがこの中学のNo.1やろ?
おい、怠慢はれや
とゆわれたので
おう、そうや!ええで!とゆうと
僕の中学の近くの公園で
怠慢、ゆわゆる1対1の喧嘩をすることになりました
その公園には
僕と友達4人
相手は喧嘩をする奴以外に
ギャラリーとして20人ぐらいいました

そして始まり
当時、ボクシングを習っていたし
小学校の頃
父に無理やり極真空手を習わされていたのもあり
体が覚えていたのか
上段蹴り。ゆわゆるハイキックをしたら
見事に相手は失神して
勝ちましたが

警察がきて
捕まることになり
僕は初めて檻の部屋
留置所にはいりました。
ほんと暇で暇で仕方がなく
しかも相部屋で
そいつがちょっとえっちな本を読んでて
表紙をみただけで
イチモツが反応して
そっからだれもがやってる
スッキリすることばっかりすることしかできなく

そして母が初めて面会にきてくれました
ドラマでみる想像通りの
あの、透明のガラス張りの
真ん中に穴があいてる
あの部屋です。

20分しか時間はなく
ほんと母の顔をみたら
涙が自然に溢れてきて

母は強がりなので
あんた?ちゃんとご飯たべてる?
ちゃんと食べなあかんで?
って目をうるうるしながらゆうてた
あの時は思いだすと
今にも泣きそうになります

そして面会がおわり
留置所にいる時間も過ぎ
6日目ぐらいで
警察に車を乗せられて
おい、おまえ
おれらなー
ずっとおまえのこと捕まえたかってん
だから今回は家帰れへんぞ
残念やな?
ってゆわれて
は?どこいくねん
ゆうたら、鑑別所や
おまえ傷害ぐらいで鑑別所なんかいかへん
おもとったやろ?
とゆわれたので
おん!と答えました!
おまえ、傷害だけちゃうぞ?
窃盗、恐喝、色んなことでてきとんや
正直、ガキの喧嘩やし、鑑別所なんか入らへんやろ
思ってました。

鑑別所に着き
全裸にさせられ
いろんなとこをチェックさせられ
青い大きい巾着袋を持たされ
部屋に案内されました。
まぁ予想通りの部屋で
トイレは丸だし
部屋は狭い
落書きだらけやし
汚ないし

まぁええわと思いながら
色んな説明をうけ
とりあえず生活態
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