僕は君に夏をあげたかった。
「………シジミ」


私にも来いって言っているの。

真っ暗な闇を目の前に、たじろぐ。

ひいてはよせる波すらも、今は夜からのびる黒い手のように見えた。

このまま闇に飲み込まれたら、もう帰っては来られないような。


ーーーなー


また、シジミがひとつ鳴く。

すると闇の向こうに誰かの姿が見えた気がした。

痩身の、儚げなシルエット。

懐かしいその姿。


「………さくら、くん」


そのとき。

いつかの言葉がよみがえってきた。



『この町で死んだら、その命は海に行く。波になって、引いては寄せて、大切なひとを見守る。いつまでも、いつまでも……』



「……佐久良くん、いるの?」


海に、いるの?

佐久良くんはこの町で死んだわけじゃない。

だから、この海に行くはずはない。


でも、わかる。


いる気がするの。

この海に。この闇の中に。


「………佐久良くん………!」


そうだ。

何を迷っているのか。

自分で望んだことじゃないか。

佐久良くんと一緒にいきたいと。

ずっと一緒にいたいと。

もう………死んでしまいたいと。


闇にのまれ、佐久良くんと一緒にいられるなら、この海に沈んでいくのもかまわない。


私はシジミと佐久良くんの影を追うように、海へと入っていった。
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