あしたのうた


何度も紬と話をした、あの場所。橋の下にはいれば早々見つかることはない。兄貴から逃げるのに確か紬の通う高校の方向に走って来たはずだから、川を探して歩けば着くはずだ。


足音を立てないように気をつけながら路地裏を出て、適当に歩きながら川を探す。頭の中に地図を思い浮かべながら歩き回っていると、割とあっさり見つかった川に沿って歩いていく。夕飯を食べていないことを思い出したが、食べる気になれなくて食料を買うのはやめた。代わりに見つけたコンビニで汗拭きシートを買うと、また歩く。


暫くすると見覚えのある風景が広がって、いつものように斜面を降りると橋の下にビニール袋を敷いて蹲った。


寒い。走り回ったせいでかいた汗が冷えて冷たくなっている。買って来た汗拭きシートで軽く拭うが、一度冷えたものは簡単に温まりはしない。九月ももう後半戦だ、流石に彼岸を過ぎた夜は気温が下がる。


だが一晩だけ、ならまだ我慢できないわけでもない。二日連続で帰らないのは通報されかねない、そこまで意地を張るのは本意ではないから。心配をかけたいわけでは、本当はない。


ただ、どう接すれば分からないだけ。顔を合わせたくないだけ。


ぎゅっと身体を縮めて、膝の間に頭を突っ込んだ。聞こえるのは虫の声と水の流れる音、それから自分の呼吸音。意識してゆっくりする呼吸を聞いていると、何故か酷く落ち着く。一度思考をゼロにしようと、考えることはやめて、とにかく呼吸音をひたすら聞いていた。


────うつつには 逢ふよしもなし ぬばたまの 夜の夢にを 継ぎて見えこそ


────実際には逢うことができません。夜の夢にいつも見えてください


今、寝たら。夢に紬は出て来てくれるだろうか。


幾分か落ち着いた思考で、最初に思ったのはそれだった。


色々あり過ぎて、身体も心も疲れ果てていた。ゆっくりした呼吸は眠りに誘ってくる。もう何も考えずに寝てしまおうか、そう思って眠りに身を任せようとした時。


本当に、今日は、とことん邪魔をされてばかりだ。


「────わたる、?」


かさり、と枯葉を踏む音がして、それから聞こえて来た声に、反射的に身を硬くして息を潜めた。


紬、だ。どうして、こんなところに。しかもこんな暗い中。


「……渉?」


また、声。


俺を探しに来たのか、と思い至って、ぎゅうっと胸が締め付けられた。苦しい。痛い。探さなくていいのに、紬には関係なんて、────あるけれど。


「わたる、っ」


泣きそうに声が歪んでいくのが分かる。必死に涙を堪えているのが、痛い程伝わってくる。けれど、強張った身体は緩むことはないまま。


「いない、の」


諦めたような声がぽつりと落ちて、それきり静寂が戻ってくる。だが足音が遠ざかる音はしない、まだすぐそばに紬がいるのを悟って、俺は息を詰めたまま耳をそばだてた。


< 120 / 195 >

この作品をシェア

pagetop