あしたのうた


思い返せば、いくらだって気付くポイントはあった。


気付けなかったのは、中三の受験生だったから、なんて言い訳は通用するだろうか。いつの間にか千緒ちゃんの話をしなくなって、よく喋る姉が学校の話をしなくなっていった。気付けたはずのことに気付けなかったのは、受験生だったのと、高校に入れば彼と逢えるかもしれないと、勝手に期待していたから。


姉のことなんてそっちのけで、彼のことばかりを考えていた。だから今、こんなことになってしまっているのかもしれない。まあ、本当のことなんて誰にも分からないけれど。


分からなくたって問題はない。過去が、今が、未来が、私たちの存在の全て。


姉や千緒ちゃん、徹さんは生きていて、真幸さんが亡くなった、それが事実で全てで、それ以上でもそれ以下でもない。過去に何度もなんども死んでいる私たちだって、今は二人とも無事に生きている、それだけが、全てなのだ。


誰かを愛すこと。誰かに愛されること。


私と彼は、無条件にそれをしている。けれど、もしお互いがいなかったら。私たちは誰かを愛し、そして誰かに愛されることができるだろうか。


愛、というものは、酷く不確かなもので難しいもので形のないもので、それでいてとても大切なものだと、私は思う。愛があれば何でもできる、なんてフレーズをよく聞くけれど、強ち間違いでもないのではないか、と。


愛。相。逢。哀。


世の中には様々な『あい』があって、それぞれにそれぞれのエピソードがある。誰ひとりとして同じものは存在しない、そして多分、人は『あい』がある限り『みらい』を信じて生きていくのだろうと、思う。


それがどれだけ難しく困難なものだとしても、『あい』を知ってしまったら、もう後戻りなんて出来ないのだ。


交わした言葉は消えない。発してしまった言葉を取り消すことは、出来ない。


だって、昨日が、過去があるから、私たちは今、ここで息をしている。


取り消すことは、確かにできないけれど。言葉は、考えは、時として変わっていくものだ。大きくなくても、少しずつでも、変化していく。変化させていく。


絶対、ではなくても。私と彼の気持ちは変わらないから。けれど、『過去』を受けて、『今』や『みらい』というものは漸く変化を遂げていくのだ。


それでも、明日以降も言葉は続く。


変わったり、変わらなかったりしながら。二度と来ることはない特別な毎日を、日々送って。


誰かにとっては変わらない一日でも、同じ日なんて二度とない。誰かにとってはとても意味のある、大きな変化のある一日かもしれない。どう思うかは人それぞれで、何の変哲もないただの一日をとても大切にしているひとだって、きっとたくさんいる。


ただ、一緒に生きていられる幸せ。


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