あしたのうた


普通が存在するのは、普通じゃない存在がいるからだ。普通じゃない存在がいなければ、普通なんて概念は存在しない。


それをひとは分かっているのだろうか。


夢だってそうだ。私たちがいま存在している世界があるからこそ、そしてその世界を本物だと信じているからこそ、夢を夢だと言うことができて、尚且つ変な夢見たね、と一笑に付すことができる。


普通が存在しなかったら。全てが無秩序な世界だったら。


それこそ、夢の中の世界にあるのではないだろうか。そしてその世界こそが、本当の世界なのかもしれないという考えを完全に否定することはできないのではないのだろうか。


もし無秩序な世界だったら、私たちはどう生活しているのだろう。今何も考えずに使っているバスや電車、自動車や自転車、冷蔵庫に電子レンジ、洗濯機、ガスコンロ、その全てが変わりなく揃っていたとは言い切れない。無秩序なのだから、ルールや決まりごとがない世界、もしかしたら殺人なんか普通の世界で、そんな生活を豊かにするものが発達している暇なんてなかったかもしれない。


考え方は、色々ある。それを考えると今私たちが生きている世界がどれほど平和な世界なのか、実感する。


海外ではまだまだ荒れているところもあるけれど、殺しが横行することなく、生活は豊かで、多くの人が学校に通って勉強することができる。それがいかに平和で、何物にも代えがたいものなのか。


その世界を普通だと、当たり前だとして生活することが、どれだけ烏滸がましいことなのか。


別に、知らずに生活することが悪いことだとは言わない。私だって、幼い頃はここまで考えていなかった。けれど人生で一度くらいは、この生活のありがたさに感謝したっていいのではないだろうか。


当たり前に生きることができる、この現実に。


現代人は、少し豊かな生活に慣れ過ぎている。時折江戸時代辺りに戻った方がいいのではないかと思うくらい。もしくは、もっともっとこの世界に感謝すべきだと。


地球温暖化だって、人間が百パーセント悪いわけではないというけれど。諸説ある中で、その大半の原因が植物、つまりは自然界にあるという話もあるけれど。それでも私たち人間のせいでないとは言い切れないから、私たちだって『ストップ・地球温暖化』を掲げて頑張っているわけだ。


住みよい場所を、住みよい世界を、住みよいいまを、失わないために。未来へ繋ぐために。


便利になればなるだけ、その弊害もあるということを実感している最中なのだろう。


人間は失敗する生き物である、という言葉を残したのは誰だったろう。誰だっていいけれど、とても的を射た言葉で、まさにきっとその通りで。


失敗しながら、より良いものを求めて、きっとひとというものはさらなる高みを求めて生きていくのだろう。


そういった意味での、夢。


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