SNOW
降りしきる雪の中。依子はこの街に生まれて良かったと、心から思っていた。


桜が咲く春が過ぎ、新緑に包まれる梅雨が過ぎ、太陽の光が強く感じる夏が、この街に来た。
天宮依子は、夏季休暇に入った夢斐子学院へ補習を受けに通っている。
「依子、頭いいのに何で補習なんか受けに来るのよ。嫌味?」
「まさか。学校、好きだからね。あと勉強も。」
「いいよね。私なんて期末試験散々で強制参加。嫌になっちゃう。」
亜美は弁当の玉子焼きを口に含みながら不満を吐き出した。
長いこげ茶色の髪が風に揺れる。私は亜美の髪が好きだ。柔らかく、微かにシャンプーの香りがする。
「浅田なんて嫌い。あいつ、言い方がいつも厭味ったらしいし、喋り方もネチネチしていない?補習の呼び出しされた時なんてさあ、あったまきちゃった。」
「ああ、浅田先生は確かにちょっと癖がある人だよね。わかるわかる。」
購買で買ったホットドッグのマスタードが舌を刺激する。コンビニエンスストアで食べるものより美味しいと思いながらかぶりつく。
「ねえ、授業も終わったし、駅前に新しくできたカフェにでも行かない?あそこのパフェ食べたいの!」
「いいけど、まだ食べるの?亜美のお弁当、かなり量あるみたいだけど…相変わらず大食いよね、見た目によらず。」
「いいじゃない。甘いものは別腹って、よく言うでしょ?それに―…」
「天宮さーん。2組の吉田って人が呼んでるよー。」
亜美の言葉を遮り、クラスメイトが私を呼ぶ。
2組の吉田、君。誰だっけ。
「あー…またか。依子、行ってきな。パフェはまた今度で良いよ。」
「うん。ごめんね。」
ホットドッグをミネラルウォーターで強引に身体の中に押し流し、席を立つ。

「いきなり呼び出してごめん。俺、吉田奏人っていうんだけど…覚えてるよね?」
粉雪が舞う中、そう2組の吉田君がおそるおそる話かけた。
「あ、えっと。ごめん、覚えてない。どうしたの?何か話があるの?」
なるべく失礼の無いように、私もおそるおそる答える。
「えー!覚えてない?図書室でよく会うじゃん。俺、図書委員の。いつも貸し出しの時に俺の卓使ってるでしょ?」
え、と私は少し動揺する。確かに見た顔だ。それによく図書室は利用している。しかし、意図的に彼の卓で借りている覚えはない。
「…あー。うん、そうかも。ごめんね。で、私になにか?」
「ああ、うん。えっと…」
歯切れを悪くした吉田奏人は、おどおどとした様子で話を切り出す。
「あのさ、単刀直入に言うけど、俺と付き合ってくれないかな?」
「え」
亜美の「またか」はこれか。
そう思い、心の中で項垂れる。
「俺さ、そんなに悪い顔してないと思うでしょ。天宮さん彼氏いるって聞いてないし、居ないなら立候補したいんだけど。損はさせないよ。だから、ね。どうかな?」
学生服を校則に違反のない程度でみだし、ヘアワックスで髪を無造作に整えた吉田奏人は、彼の中で何かが吹っ切れたのか次々と言葉を並べだす。
私は真夏なのに肌寒い空気に、はあ、と白い息を混ぜ、お決まりの言葉を彼に言わなければならないのかと、罪悪感に苛まれる。
「…ごめんなさい。私、君とは付き合えない。でもありがとう、好きになってくれて。でも、本当にごめん。」
ぽかんと口をあけた吉田奏人君とこれ以上同じ空気を吸いたくないなと、早々に立ち去ろうとする。
ああ、家に帰ってお気に入りのマグカップで暖かいミルクティーを飲みたい。
「え、あ、ちょ、ちょっと待って!」
「ごめん、本当。じゃあね」


空が少しずつ翳ってきてきた。
真夏だろうが、この街には関係なく雪景色が広がる。天気予報では、今日はあまり積もらないという。
依子は夕食を簡単に済ませ、自室の中で読書を始めようとしていた。
しかし体がやけに重い。原因は学校で起こったあの出来事だ。
吉田君には悪い事をしてしまった。
依子は16歳になった今でも、本当の恋というものを知らないでいた。
亜美曰く、依子はそれなりに異性に好感を持たれる。
黒髪にショートボブスタイルで、目鼻立ちも揃い、美人とは言わないが清楚系というものだろう。
高校に入って数か月、吉田奏人を含めて3人に想いを伝えらえた。遊びなのか本気なのか、いずれにせよ声をかけられている。
だけど、分からない。恋愛ってなんなんだろう。
読みかけの小説を放り出し、ベッドに身を沈める。
途端に胸が痛くなる。涙腺が緩みそうになり、枕に顔をうずめた。
恋愛をテーマにしたドラマや小説、漫画、映画…人並みに見てきたつもりだし、感銘を受けたものも数多くあったが、現実に結びつく事は16年間生きてきた中で一つも無かった。
依子は、それはとても寂しい事だと思っていた。
考えれば考える程、深みに嵌まってこのまま抜け出せなくなりそうになりそうで、怖くなる。
人気のないアパートで今夜も一人、依子は眠りに落ちていった。
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