大人にはなれない

中村の家はこの辺りでも有名な『豪邸』なんて言われている立派な家で、その威圧的なまでの大きさときれいな白壁を見ただけでも、ひどく自分には場違いな気がした。

爪先まで黒ずんだ、今にも穴が開きそうな履き古しのぼろい靴下で上がるのが恥ずかしくて、結局一度も中村の家に入ったことはない。

学校帰りに家まで送って行って、いつも家に上がるのを断って立派な門扉の前で別れるたび、中村はひどく名残り惜しそうなさびしそうな顔をしていた。気付いていないわけじゃなかったけど、当時の俺は中村の気持ちを思い遣るより、自分の中で渦巻く感情を宥めるのに必死だった。

「ねえ、美樹くんってあたしのこと、一度でも好きでいてくれたことあった?」
「……………そんなん今更話してどうすんだよ」

中村自身も中村の家も、俺にはあまりにも不釣合い過ぎて、俺が心の中でくすぶらせている余裕のある人間への劣等感を刺激するには十分すぎた。

それが中村に全然やさしくしてやれなかった理由になんてならないことは分かっていたけれど。


「そうやっていつだって、線引いてたのは美樹くんじゃない。……いつもいつもあたしのこと突き放してたんだから、今度くらい言うこと聞いてくれたっていいでしょう。とにかく今週は行かないで」

俺を責めるような中村の言葉が、棘をより深い場所に刺し込んでいく。

中村に全然彼氏らしいことが出来なかったことに本当は傷ついている、そんな自分の女々しさになんて気付きたくもなかった。そんな苛立ちは、止めることも出来ないまま言葉の刃になって口から飛び出していく。

「なんでおまえに指図されなきゃなんないんだよ……いいから俺のことは放っておけよ。おまえになんの関係があるんだ、おまえうるさい。だいたいみらい塾のこと教えてきたのおまえのくせに、そのおまえがなんで行くなってしつこく止めるんだよ、理由があるなら言えって言ってんだろッ」

結局いつもいつも俺は相手を責めることでしか、脆い自分を守ることが出来なくて。俺の言葉の烈しさに中村はとうとう泣き始めていた。

「…………………知らない……なんで行っちゃいけないかなんて、知らない……っ」
「はあ?」
「頼まれたんだもん……今週は絶対美樹くん、みらい塾連れてっちゃダメって……美樹くんのためだからって頼み込まれたから、だからあたし……」
「待てよ。頼まれたって誰に………?」

腹の底が、ぞわっと粟立つような不快さを覚える。中村は涙で濡らしながらも俺をじっと見つめる。

答えを聞かなくても、頭の中に思い浮かんだヤツで間違いないはずだ。そう予測していたはずなのに、中村の唇からその名前が出された途端、まるで力いっぱい後頭部を殴られたような衝撃で痺れそうになった。


「………息吹くん…………息吹くんにどうしてもって頼まれたの。だからあたし引き留めたのっ」





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