大人にはなれない

「ねえねえ、みっくん。きょうはちゃんとおふろはいりたーい。だってエリちゃんも、ユウくんも、さっくんも、みんなまいにちおふろはいってるっていってたもん!おふろちゃんとはいらないと、からだがくさくなっちゃうんだよ?」
「……そうだな。俺も入りたいな。今日は『お風呂の日』だから、今頃母さんが沸かしてくれてるはずだよ」

俺の言葉に、なぜだかひまりがぽよぽよのほっぺたをぷくっと膨らませる。

「もお。『かあさん』じゃなくて、『ママ』!みっくんもママのこと『ママ』ってよぶの!」
「はいはい」

むかしほど抱っこをせがまなくなったひまりを連れて、古びた団地の一角に進んでいく。ひまりは空腹のためか呪文のような変な歌を繰り返す。

「ゆうごはんなにかな、なにかな、な、な、なにかななにかな、な、な、ゆうごはん、なーにっかなっ」
「さあな。今頃かあさ……ママが作ってくれてるよ」

いくつも棟がある団地の中で、端から三番目の棟に進んでいって。3階の角から2番目のうちの部屋の窓を見た途端、その場に立ち止まってしまった。

あたたかな明かりの灯った他の家の窓とは違い、我が家の窓だけ虫に食われて穴が開いてるかのように、深い闇に沈んでいる。もうあたりは暗くなりはじめているというのに-------。

「どうしたの、みっくん」

立ち尽くしていると、ひまりが不安そうな顔で俺の手を引っ張ってくる。

「…………いくぞ、ひまり」

俺も不安になりつつひまりを抱えて、駆け足で無機質なコンクリの階段をあがっていく。嫌な予感がする。首から下げた鍵で玄関の扉を開けた途端、予期した通り部屋の中が明かりの灯っていない真っ暗な闇であることに呆然となった。


「………母さん。母さんッ。いんのかっ?」

俺が玄関から声を上げると、暗闇の中でなにかが動いた。

「……美樹?………ひまりちゃん?」

やせ細った、たよりない声。

続いてゆっくりと周りの壁に触れながら母さんが出てきた。階段から漏れてくる外灯の薄明かりだけで見るその顔は、俺やひまりの母というにはあまりにやつれて老けていた。

それも当然、このひとは本当は『母さん』ではなく、俺の『ばあちゃん』で、ひまりからみれば『ひいばあちゃん』なのだから。


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