ポラリスの贈りもの
1、名無しの恩人

『宝の山に入りながら空しく帰る』


正に私のことだ。
あの時何故……
絶好のタイミングで飛び込んできた、ここぞというチャンスを与えられながら、
私は臆病風に吹かれてそれを掴めなかった。
勇気を出して震える手を思いっきり伸ばせば、
差し伸べられた優しい手に触れることができたのに。
私の名前は、濱生星光(はまおきらり)。
別名、幸せを掴み損ねた愚か者。
きっとみんな、私のことをそう呼ぶだろう。



〈回想シーン〉


星光「もう死ぬしかない……はぁはぁ。
  もう私にはそれしかない。
  それしか……ううっ。
  颯(はやて)と加保留(かおる)が何故あんなこと!
  あんなこと!!
  何時から!?いつからあのふたりはあんな風に……」


崖に向かって草むらをかき分けながら、
私は盛り上がった大きく平らたい岩場の手前で一度立ち止まった。
涙でにじむ視界のままゆっくり前に進む。
どのくらい走ったか、どの道を走ってきたかよく覚えていない。
ただ覚えているのは、恋人の颯が親友の加保留と抱き合ってた光景だけ。
前に身体が押されてよろめくくらいの強い海風が、
責め立てるように私に体当たりして、
髪は海に向かって頬を叩きながら靡き、
海の神ポセイドンにでも引っ張られているように感じる。
涙をぽたぽたと落としながら、止まって下を覗き込む。
大きくうねる波は崖の岩場を削るようにぶつかり、
波しぶきが吹き出す様に跳ね上がっている。
私は崖の先端に立って、空を仰いだ。
止めどなく両頬をつたう涙は、潮風にさらされてどんどん冷たくなる。


星光「あと一歩踏み出せばこの苦痛から解放される。
  颯。幸せにね……」


ガシャン!


目を瞑り私が右足を前に出そうとしたときだった。
微かに何かが割れる音がしたあと、
前のめりになりかけてた体を、いきなりすごい力が襲い後ろに引っ張られた。
引き戻された私の全身は、柔らかな壁にドンッ!っと当たったと思ったら、
反動でその壁と共に、
平たい岩から転げ落ちながら草むらに勢いよくダイブした。
一瞬何が起こったのかわからなかった私に痛みと重みが加わる。

星光 「痛ったぁ……」
男性の声「おい!何やってるんだっ!!」
星光 「えっ(驚)」
男性の声「あんなところから落ちたら痛いくらいじゃすまないだろっ!」


突発的な出来事に俯せのまま、状況を必死で把握しようとした。
力強く包み込むように抱きしめるその温かい感触と、
耳の後ろから聞こえてきた太い声に驚いて、
慌てて身体をひねって振り返ったのだけど、
同時に「うっ!」っと漏れる小さな呻き声が聞こえてその圧迫感がほどける。
私は身体を起こしその場に座り込むと、
荒ららげる声の主が何者なのか確認した。
そこに居たのは背の高い黒のオリ・ニットサンバイザーをかぶった男性で、
一瞬苦悶の表情をみせたが、
彼もすぐに体を起こして脇腹を押さながら話し出した。


男性「肘鉄食らわす元気はあるんだな(微笑)」
星光「ご、ごめんなさい。つい……」
男性「ふーっ!
  あと一歩遅かったら、君は完全にあの崖から落ちて、
  全身岩場に叩きつけられて、
  6mから9mもある荒波にのまれるところだったんだぞ。
  今日みたいな波頭が丸く波長の長いうねりにのまれたら、
  一巻の終わり一溜まりもない」
星光「あっ……その方が良かったのに」
男性「えっ?」
星光「一溜まりもないほうが幸せだったのに。
  一巻の終わりの方が。
  その方が世間や周りの人達からしたら好都合なんです。
  どうせ、居ても居なくてもいい女なんだから、私は……」
男性「ふっ(微笑)世間って?周りすべてが君の敵ってか?
  バカを言うなよ。
  もしも君を取り巻く世間が全てそうでも、僕は違う」
星光「……」


自嘲な笑みを浮かべた半べそ状態の私の頭を押さえつけると、
髪をぐしゃぐしゃにしてゆっくり立ちあがり、先ほどの岩場に歩いていく。
私も徐に立ち上がって洋服についた泥を払いながら、
見も知らない彼の姿をじっと見ていた。
彼は岩の上に落ちた黒いショルダーバッグを拾い、
肩にかけると2、3歩歩いてしゃがみ込んだ。  
私はなかなか立ち上がらない彼のことが急に心配になり、
もしかしたら怪我でもしてるのかと思い、足早に彼の許に近寄っていった。


すると、彼の目線の先に、
バッグから飛び出て散乱した何冊かの本と、
岩場に落ちたはずみで割れたレンズが転がり、傷だらけのカメラが一台ある。
そしてその周りには、
カメラのものと思われる黒い破片もいくつか散らばっていた。
カメラを拾い上げる彼の姿が、まるで巣から落ちた雛を掬うように見えた瞬間、
私を助けた時に彼が落としたものだと気がついたのだ。




星光「ご、ごめんなさい。
  私のせいで大切なカメラを壊してしまって。
  あ、あの、弁償しますから」
男性「弁償?君はお金持ちなの?(笑)」
星光「いえ、お金持ちじゃないですけど、でも、即弁償します!
  あの、そのカメラおいくらなんですか?
  今からうちまで一緒にきてもらえたらすぐお支払しますから」
男性「へー。それはすごいね(笑)
  今からって、これ総額200万超えなんだけど現金で払うつもり?」
星光「2、200万!?」
男性「ああ。このレンズだけで180万するしね」
星光「えっ!!こんな望遠鏡みたいなのが180万って……」
男性「ぷっ!あはははははっ(笑)」
星光「な、何がおかしいんですか!?
  私は真剣に言ってるんです!」
男性「いいよ、弁償なんて。カメラが大事だったら君を助けてない。
  カメラなんて消耗品だからまた買えばいいことだし」
星光「また買えばって……
  (この人って、何者なの?)」
男性「それより君が無事なら良かったよ。
  命はお金じゃ買えないからな(微笑)
  家は近いの?
  一人で帰れそうかな?」
星光「あ、あの!ご迷惑かけてすみませんでした!
  やっぱりお払いします。
  直ぐは無理だけど、明日銀行に行って、
  定期預金解約したら250万はあるから、
  明日まで待ってください。
  お願いします!」
男性「あの、君さ」
星光「私、濱生星光(はまおきらり)って言います。
  私の自宅は大通りに出て、
  うどん屋を右折したところにある“大神楽”っていう旅館です」
男性「きらりさん。僕は弁償なんかしなくてもいいって」
星光「いえ、そういうわけにはいかないです!
  悪いのは私なんですから。
  それにそのお金は……
  そのお金は、ついさっき要らなくなったお金なんでいいんです。
  カメラに使ってもらった方がいいんです。
  なので貴方のお名前とご連絡先を教えてください!」
男性「えぇ?それは困ったね(苦笑)」


散らばった本と部品を拾いながら穏やかに話す、
名前も何処に住んでる人かも知らない謎の人。
真剣な眼差しで見つめる私を、彼は照れくさそうな顔して眺め頭を撫でている。
私たちは暫く見つめあったまま無言でいたけれど、
遠くから聞き覚えのある声がして私の耳に入ってきた。
そして声は何度も「きらりー!」っと叫びながら、どんどん近づいてくる。
彼にもその声は聞こえているようで、私の反応を伺っているようだ。
でも私の意識は、呼ぶ声よりも目の前にいる命の恩人、
長身の帽子の男性にすっかり奪われていた。
ルビーレッドとマリーゴールド色の混じった様な空に浮かぶ夕日が、
私達を見守るように照らしながら、ゆっくりと水平線に沈もうとしている。


(続く)


この物語はフィクションです。
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