ポラリスの贈りもの
2、現れた安住の地

ふたりを見守るように照らしながら、赤橙色の夕日がゆっくりと水平線に沈む。
何処の誰かも知らない長身のニット帽の男性にすっかり心奪われて、
暫く見つめあったまま無言でいたけれど、
何度も「星光ー!」っと叫ぶ聞き覚えのあるその声が、
どんどんこちらに近づいて複数に変わった途端、私は我に返った。


星光「ここに居ちゃだめだわ!」
男性「えっ!」


私はその男性の手を取って小走りに草むらの中へ逃げ込み、
男性の手を引いたまま木陰の中でしゃがみ込んだ。
始めは、私の対応に戸惑いあっけにとられていたけれど、
小道の向こうから、私の名を呼びながら岩場に入ってきた男女を見て、
彼も隠れるように身を潜めた。
その男女とは、私の恋人颯(はやて)と親友の加保留(かおる)だったのだ。


颯  「まったく!星光のやつ、何処に行ったんだよ!」
加保留「だからぁ(笑)やっぱり見間違いじゃないのよ、颯。
   星光は見てたの。私たちが愛し合う姿をね。
   これであの子も分かったでしょ。
   貴方が真剣に愛してるのは私だって」
颯  「そういうのはまずいんだよ。
   もし星光に何かあったら、俺は……」
加保留「はぁ!?今更何言ってるのよ!」
颯  「俺は加保留に言ったはずだぞ。
   星光には俺からきちんと話すから、
   それまでは来るのは少し控えてくれって」
加保留「何勝手なこと言ってるのよ。
   平気で居られるわけないでしょ!
   貴方たちが婚約するってフロントの哲ちゃんから聞いて、
   居ても経っても居られずに飛んできたのよ。
   颯は私に別れ話するって言ってたのに、
   婚約の話聞かされた私の身にもなってよね!
   それに、私たちは両思いでこんなに惹かれあってるのに、
   どうしてあの子にお伺い立てるように私が待ってなきゃいけないの!?
   私は毎日だって、一分一秒たりとも颯から離れる気はないんだから」
颯  「加保留」
加保留「何?もしかして颯は、私とこうなったこと後悔してるの!?」
颯  「そうじゃない!そうじゃないけど」
加保留「そうじゃないけど何!
   颯は私と星光、どっちを愛してるの!?
   私の方があの子より貴方を喜ばずことができるわ。
   心も体も経済的にもね。
   颯だって、ベッドでそう言ってたじゃない」
颯  「こんなところでよせよ。
   もし旅館の人間にでも見られたらどうするんだよ。
   俺の仕事まで影響するんだぞ!
   それに今はそれどころじゃないだろ!?」
加保留「もういいじゃない、誰に見られても。
   見られたほうが好都合じゃない。
   特に、星光にはこの事実をもっと知ってほしいわ。
   それに、颯。
   あんなチンケな旅館の厨房なんかにしがみ付いてないで辞めてしまえば?
   貴女の腕なら、もっといい料亭やホテルで働けるってば。
   どうせ星光と別れたら、あそこには居られないんだからさ」


楓の首にしがみつきキスする加保留。
見るに堪え難い残酷な光景が目に飛び込んでくる。
二人のナイフのような会話が飛び交う度に、
その言葉は容赦なく私の心に刃を突き立て、ズタズタに切り裂く。
信じていた二人に裏切られた汚辱の震えと悲憤の涙が同時に身体を襲った。
私はあまりのショックに項垂れ、膝をついて地べたにペタンと座り込んだ。
ニット帽の彼も樹に凭れ、二人の会話と抱擁する姿を静観していたけれど、
へたり込んだ私に視線を向けてその場に足を組んで座り込む。
颯は辺りを見渡して誰も居ないことを確認すると、
加保留の手を引き、岩場から大通りへ立ち去ったのだった。



静かになった岩場に、私のすすり泣く声と草を揺らす風の音だけが聞こえる。
薄暗くなった草むらで、
泣きやむまでずっと無言で見守るように見つめていた彼が、
私の頭を撫でて泣き顔を覗き込むと、優しい声で話しだした。



男性「そういうことか。崖にいた理由。
  ……ひどいな、あいつら」
星光「うっ(泣)
  それは、先ほど話したように私が居ても居なくてもいい女なんだからで、
  本当に、お恥ずかしい」
男性「恥ずかしくなんかないさ。何故そうやって君は自嘲するんだ?
  間違いなく悪いのはあの二人で君が悪いわけじゃないだろ。
  事情の知らない第三者の僕が見ててもわかるさ、そんなこと」
星光「……」
男性「あの状態じゃ、家にも帰れないんじゃない?」
星光「えっ。は、はい……」
男性「良かったらさ、僕とくる?」
星光「えっ!?」
男性「実は僕、この土地の人間じゃないんだ。
  今日はレンタカー借りてここに来たから、今からホテルに帰るけど、
  もし良かったら何があったのか話してみないか?
  単なる通りすがりの野次馬に」
星光「あ、あの。でも、私……」
男性「あっ、そっか(笑)
  ごめんね。自己紹介がまだだったな。
  僕は、北斗(なると) 。
  北斗七星(ほくとしちせい)って書いて、北斗七星(なるとかずとし)」
星光「北斗七星……」
北斗「住まいは東京でスター・メソッド本社勤務。
  支社は西区にあるんだけど知ってる?」
星光「スター・メソッド社って、あの有名な」
北斗「まぁね(笑)ここには撮影できてね。
  セーフヘブンホテルに滞在してる。
  名刺はホテルに戻らないとないんだ。
  決して怪しいものじゃないよ」
星光「セーフ……
  あっ!それで、あのカメラを。
  本当にごめんなさい!」
北斗「あぁ(笑)それはもういいんだ。
  どうする?僕と来る?
  それとも、あの二人が待ち構えてる旅館に帰るかい?」
星光「あっ……
  (どうしよう。私)」



じっと彼の優しい笑みを見つめながら、どうすべきか迷っていた。
当然、あんな二人と顔を合わせたいわけがない。
だからと言って、見ず知らずの相手に着いていくほど子供でもない。
恋人と親友の抱擁を見たからといって、
ここで理性を失っては彼らと同じになる。
ただ、このまま一緒にいけば、
彼の素性が分かって後でカメラの弁償もできるだろう。
私の頭の中はめまぐるしく忙しかった。


そこへ、あの二人とは違う声で私の名前を呼ぶのが聞こえてきた。
どんどん近づいてくるが、聞こえる声は今度はひとり。
私は立ち上がり声のする方を見ると、
幼馴染の風馬が深刻な顔で辺りを見回している。
私は草むらからゆっくり岩場まで歩いていった。
どうも私を心配して探していたようで、
風馬は私の姿を見つけると、すごい勢いで岩場まで走ってきた。
そして、思い切り体当たりするように私を抱きしめる。
私は、ただ無言で彼に抱きしめられていた。



風馬「星光!星光……」
星光「風馬。痛いよ」
風馬「お前、心配したんだぞ!
  俺、ずっと探してたんだぞ」
星光「ご、ごめん」
風馬「お前が倉庫の入口の前でぼーっと立ってたの見て、
  声かけようって思ったら、
  急に泣きながら走ってどっか行っちまうからさ。
  なにがあったんだろうって思って、
  ドアの隙間から覗いたらびっくりだよ。
  アイツらが居るじゃん。
  しかもあんな人の来そうなところで真っ裸で抱き合ってさ!」
星光「風馬!もうそれ以上言わないで!
  お願い。消し去ってほしい光景なの。
  これ以上、思い出させないで……」
風馬「あぁ、ごめん。
  しかし颯と加保留、あいつら最低だな。
  婚約決まったって聞いてたのに、あんなひどいことを。 
  星光。あんなやつもう別れちまえ。
  お前にはこの俺が居るだろ?」
星光「風馬」
風馬「俺はずっと星光のこと惚れてるって言ってきた。
  今だってそれは変わってない。
  俺と一緒に暮らさないか?
星光「そうね。それも、いいわね……
  あっ!いけない」
風馬「えっ?いけないって?」



突然の風馬の登場で、
ニット帽の男性、北斗さんの存在を一瞬忘れてたけれど、
私はキョロキョロと辺りを見回し、彼といた木陰へと入っていった。
しかしそこに彼の姿はなく、
私は申し訳ない気持ちで胸がいっぱいになり自己嫌悪に陥る。
とても寂しい気持ちに襲われて、涙ぐみ溜息をついた。


星光「ついていくと伝えておけばよかった」



後悔の念に駆られながら風馬の居るところへ戻った時、
岩場に落ちているあるものが目に入ったのだ。
それは、彼が拾い忘れた一冊のフォトブックだった。
私は裏表紙を見ながら北斗さんの穏やかな顔を思う浮かべる。


星光「『君を訪ねて…… 北斗七星』
  発行、株式会社スター・メソッド……
  本当にカメラマンだったのね」



(『君を訪ねて……』P2)

『彷徨い歩き やっとたどり着いた安住の地
君の傍にいるだけで この世の誰よりもかっこいい男で居られる
君の笑顔を見ているだけで  誰よりも居心地よく幸せを感じられる
君の肌に触れているだけで  この世界の誰よりも愛おしく大切と思える
そうだ  君が僕の安住の地
だからいつまでも  僕の傍で微笑んでいておくれ』



私は震える手でページをめくる。
フォトブックの冒頭の詩に、彼の人間味あふれる温かい一面を見て、
ほんの少しの間でも、
彼の温もりに触れることができたことを有り難いと感じ、
先ほどとはまったく違う温情の涙が、私の頬を一筋伝った。



星光「はぁ。なんて素敵な写真。
  (安住の地って、彼女かな……)」
風馬「ん?星光、何見てるんだ。
  なんだそれ。雑誌か?」
星光「ううん……
  私の命の恩人」
風馬「は?お前何言ってんの。
  意味わからん。もう帰るぞ」
星光「うん(笑)
  (意味わからなくていいの。
  明日になったらお金とこのフォトブックを持って、
  彼を訪ねてみよう)」



風馬に付き添われて自宅である旅館“大神楽”に帰ることになった私。
あれほど帰ることに抵抗があったのに、胸に抱えたフォトブックのお蔭で、
安住の地にも似た安心感が私を包んでくれていたのだ。


(続く)


この物語はフィクションです。
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