ポラリスの贈りもの

オフホワイトの寝具に包まれた北斗さんの寝顔を微笑みながら眺める。
10日ぶりに逢う彼は、少年のように安らかな顔で血色もいい。
呼吸にあわせて上下に揺れている布団を見て、改めて胸を撫でおろす。
私は、ベッドサイドの椅子に腰かけて、
まだ包帯の巻かれている彼の左手を取ると、
茶色いかさぶただらけの甲を擦った。
マルセイユの時と違っていたのは、擦り傷だけではない。
何も語らず黙ったまま、寝顔を見ている私がいることだ。
穏やかな心持の私は、
握った北斗さんの手をゆっくり自分の頬につけた。

  

(TM大学病院新館4階脳外科病棟、七星の病室)


星光「七星さん。おはよ」
七星「星光ちゃん。居てくれてたのか」
星光「うん」
七星「今、何時?流星は?」
星光「もうすぐ夜の9時。
  流星さんは神道社長から連絡があって、
  東さんとスターメソッドの本社に行ったよ」
七星「そうか。僕は、どのくらい眠ってた?」
星光「お薬が効いてたからかな、かなり長く眠ってた」
七星「そう……なんだか、一生分眠ったって感覚だな」
星光「そっか。七星さん、顔色が良くなった。
  マルセイユの病院に居た時より随分元気になったね」
七星「そうだな。
  このまま点滴引っこ抜いて退院できそうなくらいだ(笑)」
星光「えっ」
七星「冗談だよ」
星光「う、うん。
  でも、来週退院が決まったんでしょ?
  良かったね。思ったより回復が早くて安心したわ」
七星「ああ。自分でもびっくりだよ。
  大きなこぶはまだあるけど、
  ガンガンと波打つような頭痛も治まってきたし、
  気だるさもかなり楽になったしね」
星光「そうなのね……七星さん」
七星「ん?何?」
星光「あの時、マルセイユの病院で目覚めた時、
  私が話していたのが聞こえてたって言ったでしょ?」
七星「ああ」
星光「どこまで聞こえてた?
  私のどんな話を聞いていたの?」
七星「どんな話か。んーっ。どうだろうね(笑)」
星光「もしかして、秘密の話も聞こえてた?」
七星「秘密の話?どうかな。
  それが考えると現実だったのか、
  夢なのかよくわからないんだけどね。
  時々聞こえていたのは、星光ちゃんの声はもちろん、
  僕を処置している医者の声や看護師の声も聞こえていた気がする。
  それから陽立やカレンの僕を呼んでいる声、光世や神道社長の話す声、
  そして、君と流星が僕の傍で会話しているのも」
星光「えっ(驚)そうなの?」
七星「ああ。不思議な感覚だった。
  あの時は……
  自分では意識があることを皆に知らせたいと思っていたな。
  でも、身体はまったく動かないし声も出ない。
  瞼は重くて目を開けることも、指先すら動かすことも全然できない。
  だから始めは、激痛と身動きできない苦痛から解放されるなら、
  もうこのまま身体を動かさないで、
  眠ったように逝ってしまったほうがいいと思った」
星光「七星さん……」
七星「でもね、そう思ってたら聞こえてくるんだよ。
  星光ちゃんの問いかける声がさ。
  僕に、料理の撮影をしたことあるかとか、
  豊島区の神社の夏祭りを覚えてるかって話しかける声がね」
星光「あっ」
七星「まったく反射はできなくても、僕の聴覚はまだ生きていて、
  割れるように痛む頭でも、
  必死で認識しようとしてるんだなって思ったよ」
星光「そうだったの……
  聞こえたのは料理のことだけ?他には?」
七星「んーっ。後はどうだったかな(笑)
  断片的に入ってきてたからなー。
  まぁ、そのうち思い出すだろう」
星光「そ、それなら思い出さない方がいいわ。
  どうでもいい、しょうもない話しかしてないから(笑)」
七星「そうなのか?」
星光「え、ええ。
  (あーっ、良かった!
  『体当たりするような勢いだったから、
  kissされちゃうかもって思ったくらいドキッとした』とか、
  『七星さんの膝の上に座ってたカレンさんの姿にショック受けちゃって、
  すごく嫉妬しちゃって、
  呼吸できないくらい苦しくて逃げ出しちゃったんだ』なんて、
  そんなことまで覚えられてたら、顔から火が出るほど恥ずかしくって、
  真面に七星さんの顔なんて見れないわ)」
七星「んーっ」
星光「七星さん!?大丈夫!?(焦)もしかして頭が痛むの!?」
七星「ふっ(微笑)いや、大丈夫だよ」
星光「もう!びっくりしたじゃな、い……」


椅子に凭れて座っていた私は、
両手で顔を覆う北斗さんの声で反射的に立ち上がった。
しかし、彼は穏やかな笑みを浮かべ、
心配して覗き込む私の手を力強く握る。
その握力は大事故に遭い、
数日間も昏睡していたとは思えないほどだ。
温度差のある私をじっと見つめて、
北斗さんは囁き声で話し出した。


七星「やっと、流星の本心が分かったよ。
  あいつが僕と涼子に黙ってアラスカへ行った時の気持ちが」
星光「七星さん」
七星「星光ちゃんと流星が、
  僕の傍で泣き叫びながら抱き合っている声も聞こえていた」
星光「……」
七星「その時、心の中で『僕の女に何をしてるんだ』って、
  大声で叫んでたよ。
  僕は、君を抱きしめる流星に完全に嫉妬してた」
星光「えっ…」
七星「嫉妬心が動かなかった身体を動かしてくれた」
星光「七星さん…」
七星「退院したら、福岡空港で交わした約束、
  今度こそ現実にしような」
星光「うん。ありがとう」


少しずつ夜の闇に包まれる病室で、見つめ合いながらの少しの沈黙。
北斗さんはゆっくり自分の横へと私を導いた。
急に強く波打つ鼓動。
管のついた右手が私の髪を撫で、頬に首元にと探求するように滑る。
私も隠していた想いを示すように、北斗さんの胸に手を伸ばした。
少しはだけたパジャマ着から彼の白い胸元が見え、
手をそっと添えるように触れる。
人差し指に伝わる北斗さんの浮き出た肋骨の感触。
逞しかった彼がなんだか痩せたように感じる。
そう思った途端、急に照れくささが私を襲い、
どきっとして触れた手を慌てて引っ込めようとした。
それと同時に、北斗さんの左手がその手を掴むと、
彼の顔が視界全体に入ってくる。
彼の優しい唇が、恥じらう私の唇に触れた。
そして、優しいKissは少しずつ押し付ける甘いkissに変わり、
彼の熱い吐息が漏れると、心拍数を一気に跳ね上げた。
私はベッドの端に身体をひねったまま座り、無防備に彼へと身を屈め、
大切に閉まっていた想いを明かす彼の熱い唇を全身で受け止めていた。
長いKissの後、北斗さんは僅かに離れて私を自分の胸へ抱き入れる。


七星「ずっとこうしたかったんだ。
  続きは退院してからな」
星光「えっ」
七星「しかし。本当に残念(笑)」
星光「うん……残念(笑)」


露顕し素直に返した私の言葉に、
北斗さんは先ほどよりも力強く抱き締めた。
紅潮する頬、鎮まることを拒むように強く打ち続けるふたつのハート。
そして、ふたりの間に流れる穏やかで微笑ましい時間。
ずっとこの瞬間が訪れることを夢見ていた。
互いの気持ちを確かめ合った私たちは抱き締めあったまま、
高揚した感情と身体を必死で鎮めるように微笑んだのだった。

(続く)


この物語はフィクションです。
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