ポラリスの贈りもの
68、露顕したふたつの恋心

玄海の海は空の色を映してより深く沈み、
北から吹きつける風に大きくうねりながら、
波頭を白く煌めかせている。
目が痛くなるほど眩しく光る夏の太陽と、
鮮やかな海風にさらされた私の身体は、
皆の期待と再会の喜び、
いきなり飛び込んできた幸せに慄いていた。
暫く海を眺めていたけれど、
後ろから誰かがやってくる気配を感じる。
それは“なごみ”の後継者である琥珀(こはく)さんだった。
彼女は笑顔で挨拶すると私の隣に腰かけ、
同じように煌めく海を見つめている。


琥珀「星光さん、大変だったわね」
星光「えっ?」
琥珀「つねおばあちゃんから聞いたの。
  恋人が事故に遭ってフランスへ行ってたって」
星光「(恋人……)
  彼は、恋人ではないんです」
琥珀「そうなの?」
星光「はい」
琥珀「フランスはどうだった?って聞いても、
  とても観光気分じゃないわよね」
星光「そ、そうですね」
琥珀「実はね、星光さんさえ良かったら、
  継続で働かないかなって思って」
星光「えっ。私がですか」
琥珀「ええ。
  敦くんは変わらずこのまま働くことになってるんだけど、
  彼一人で厨房は大変だしね。
  つねおばあちゃんも高齢で、ずっと働くのは無理だと思うから、
  慣れた貴女が居てくれたらとっても心強いのよね」
星光「琥珀さんがお料理するんじゃないんですか」
琥珀「あぁ。私には本業の陶芸があるから、
  なごみの経営者にはなったけど、
  裏の工房が完成したら今まで通り、食器作りに専念するのよ。
  だから、星光さんがこのまま働いてくれると助かるんだけどな。
  それに私は料理が大の苦手で、もっぱら食べる人かな(笑)」
星光「あぁ……」
琥珀「お給料はしっかり払うわ。
  星光さんの希望があるなら遠慮なく言って?
  貴女、お客さんからの受けもいいし、
  仕事ぶり見ててもテキパキ熟してて頼りになるもの。
  できたら私と一緒に“なごみ”を経営してほしいの。
  お願い。ここに居てくれるでしょ?」
星光「……」


懇願し両手を合わす琥珀さんの突然のオファーに驚きながらも、
落ち着き払った私の心はまったく動揺することはない。
そしてぼんやりと返す波間を見つめていると、
安心感のあるどっしりとした声が頭を過ぎる。


神道『忘れるなよ。君は休職中で、うちの社員だからな』


私は、神道社長の言葉を想い出すと僅かな微笑みを浮かべて、
その声に後押しされるように彼女の問いに答えた。


星光「琥珀さん。とっても嬉しいお申し出なんですけど、
  私は今…本業を休職してるんです」
琥珀「えっ?星光さんってどこか他にお勤めしてるの?」
星光「はい。私、スターメソッドの社員なんです」
琥珀「えっ(驚)あの、大会社の!?」
星光「はい!」

力強く自分の心に諭し聞かせるように言い放つ。
『スターメソッドの社員』だと言い切ると、
自分の進む道も居場所も鮮明に見えたのだ。
私はその1週間後、“なごみ”の仕事をすべて終わらせて、
北斗さんの居る東京へ戻っていったのだった。



達成感を湛えたまま、私は両親の待つ吉祥寺の家へ帰宅した。
母も父も、大きな荷物を抱えて玄関に立つ疲れ果てた娘に、
多くは語らずだったけれど、
いつもと変わらない笑顔で迎えてくれたのだ。


翌日。私は神道社長に連絡した。
大海原を見ながら出した答えを…
すると神道社長らしく即座に私を受け入れ、
何事もなかったように早速新たな仕事を言い渡す。
その仕事内容は、帰国してからずっと、
北斗さんの付き添いをしている流星さんと、
交代してほしいというものだった。
私は迎えに来てくれた東さんと一緒に、
北斗さんと流星さんの待つTM大学病院へ向かう。


(東の車の中)


東 「実家へ帰ったばかりなのにすまないね。
  事故の件で流星がずっと留守にしていたもんだから、
  福岡支社でちょっとしたトラブルが発生してね。
  流星が直接関わらないと、どうにも収拾がつかないんだ」
星光「いえ。私も、七星さんのことが気になっていたので」
東 「そうか…(微笑)
  そうそう、七星のことなんだけど」
星光「はい…。七星さんがどうかしたんですか?」
東 「来週、退院が決まった。
  かなり体調もいいみたいだから、
  通院しながら自宅療養でいいらしいよ」
星光「そうなんですね!良かったー」
東 「星光さん、君のお蔭だよ」
星光「いえ。それは、七星さんの力強い生命力があったからで」
東 「それだけじゃない。
  あいつを見守る君の深い愛の力があったからだ。
  京都で撮影した君の写真を見た時もそう思った。
  この女性なら、七星の横にしっかり立てるってね」
星光「東さん」
東 「星光さんが勝浦から居なくなった時もそうだったが、
  君が福岡から東京に来る時も、
  あいつは社に帰ってきて僕の顔を見るたびに、
  『あの子から連絡なかったか!』
  『ここに訪ねてこなかったか!』って、
  仕事の報告もそっちのけでね。
  僕が誰からも連絡もなかったし、
  訪ねてもこなかったと返すと、
  カメラを抱えたまま、荷物も降ろさずに、
  この世の終わりみたいな顔して突っ立ってる(笑)
  あいつとはもう長い付き合いだけど、
  あんなに取り乱す七星を、僕は今まで見たことがなかったよ」
星光「はぁ……」
東 「それに、恋愛相手のことで僕に相談するなんてことも、
  これまで一度もなかったからな。
  君のことがとても大切で、
  七星には必要な人なんだと思ったんだ。
  これからも、あいつのこと頼むね」
星光「はい。(東さん……)」


東さんから教えられた私の知らないもうひとりの北斗さん。
でもその顔は、私の心に熱いものを感じさせるものだった。



病棟の休憩所で東さんと私を待っていた流星さんは、
久しぶりの私を爽やかな笑顔で迎えてくれた。
フランスから連日の看病のせいか、
それとも安堵から急に疲れが出たからか、
流星さんが少し小さくなったように感じ取れる。
彼は数十分だけ私と言葉を交わすと、
入れ替わるように東さんと共に病院を後にした。


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