ポラリスの贈りもの
34、ディライトな気色(けしき)とビビットな景色

週末の午前9時。
開店と同時にCCマートのタイムセールでいつも以上に賑わい、
社員皆、笑顔で顧客の応対をしながら各自のパートをテキパキとこなす。
表向きはそんな何事もない日常風景でも、
内部では波紋がじわじわ広がっていた。
突然風馬が抜けた店のダメージは思いの外大きかったのだ。
風馬の経験豊富な仕事ぶりは、短期間だったにも関わらず顧客に定評で、
社内でも彼が居た生鮮部だけでなく、
デイリーや酒ドリンク部でも重宝されていた。
しかも、彼が値入率〔商品の販売価格(売価)を決定すること〕まで、
店長にアドバイスしていたらしい。
パート従業員の中では誰かから何を聞きつけたのか、
風馬が居なくなったのは私が原因だと噂する人たちがでていた。
そして幸福荘の食堂事件を見ていた社員の中には、
噂に便乗する者まででてきている。
しかしどうにもならない重苦しい不快感いっぱいの状況下でも、
夏鈴さんだけは何等変わらず、私にも明るい笑顔で微笑みかけてくれた。


夏鈴「(店を見回し)
  やだなぁ。このだらけた感じ。
  風馬くんが来るまではみんな自分でやってたじゃん」
星光「きっと私のせいね。
  風馬を追い出してしまったもの」  
夏鈴「何言ってるの!?
  彼が勝手に出ていったんじゃない。  
  風馬くんに甘え過ぎてたみんながいけないんだから、
  気にしない気にしない。
  キラちゃんが店やみんなに迷惑かけたわけじゃないんだからね」
星光「うん……」
夏鈴「しかし!岡崎店長ったら、
  問い質しても風馬くんの居場所を言わないの。
  きっと口止めされてるのね。
  タイムカードの退勤時刻からして、そんな遠くじゃないはずだし、
  とにかく店長がギブアップするまで尋問するわ」
星光「尋、問って……
  (風馬、何処に居るんだろう)」
夏鈴「あっ、もうこんな時間じゃない。
  キラちゃん。
  今日は1時半になったら昼の休憩行っていいからね」
星光「はい……」
アナウンス「業務連絡、業務連絡。5番レジの応援お願いします」
星光「夏鈴さん」
夏鈴「ん?何?」
星光「レジの応援、行ってきます」
夏鈴「えっ。ええ。
  あれでレジやるって大丈夫かなぁ」

私は夢遊病者のような足取りでふらふら歩き、
買い物客でごった返す通路を通って慌ただしいレジにむかう。
その後ろ姿を夏鈴さんは心配そうに見つめていた。



流星さんは朝一番に涼子さんがいる大学病院へ行き、
退院手続きを済ませると、
涼子さんを乗せて北新宿にあるふたりの住まいに向かった。
マンションに到着して玄関で涼子さんを下ろすと、駐車場に車を停める。
涼子さんは玄関前に立って、建物を見上げると深呼吸した。
その表情は喜色満面で、待ちに待っていたご褒美をもらったようだ。
そして荷物を抱え、エントランスに入った流星さんの後を、
弾むように歩きながらついて行った。


(北新宿、流星の自宅マンション)


涼子「ただいまぁー!
  んーっ(背伸びをする)我が家だぁー!
  わぁーっ!流星。きれいに片づけてくれてたんだ。
  (キッチンに行き、冷蔵庫を開ける)わぁー。
  オマール海老にホタテまであるわ。
  食材も買っててくれたの?」
流星「ああ(窓際に荷物を置いて)
  完璧ではないけどね、4年半も人に貸してたしな。
  今日から涼子とまた一緒に生活する家だから。
  涼子、おいで」
涼子「うん」


子供のようにはしゃぐ涼子さんを微笑ましく見つめる流星さん。
朝日が差し込むリビングで、
傍に来た涼子さんを引き寄せて抱きしめると、
彼女の柔らかなベビーピンクの唇にkissをした。
涼子さんはうっとりするほどの幸福感に満たされ、
流星さんに甘えるように縋りつく。


涼子「流星。またこんな日が来るなんて。
  んー!私、すごく幸せ」
流星「うん。俺もそうだよ」
涼子「あっ、流星。
  お腹すいたでしょ?お昼何食べたい?
  久しぶりに流星の大好きなアラビアータ作ろうか?」


流星さんは再び甘くとけるようなkissをすると、彼女を強く抱きしめる。
しかし、その表情は先程とは違って険しい顔に変わっていく。
涼子さんはハグされながらも彼の微妙な変化を感じ取っていた。
石鹸のような優しい香りのする温かな涼子さんの肩に顔をつけたまま、
流星さんは少し躊躇いがちに切りだす。


涼子「流星?どうしたの?」
流星「話があるんだ」
涼子「うん。話って?」
流星「来月から千葉で半年仕事になって、また兄貴と潜ることになった」
涼子「そう。また水中撮影があるの……
  でも、お義兄さんとまた仕事できるようになって良かったね」
流星「ああ。それでさ」


流星さんは涼子さんから離れると彼女の両肩に手を触れ、
覗き込み諭すように、ゆっくりと話し出す。


流星「涼子。今回の撮影場所は千葉の勝浦で近いけど、
  チームで泊まり込みの撮影になるんだ」
涼子「えっ(驚)チームでって。
  カレンさんも居るってことよね?
  また5年半前の仕事みたいに」
流星「ああ。突発的に降って湧いたような仕事で、
  しかも他社のカメラマンとの合同撮影でね。
  1年半かけてする仕事を半年でやらないといけない」
涼子「1年半を半年って、そんなに短期間でできるの?」
流星「今回は東さんってうちの優秀な上司が入ってくれるから、
  以前とはまったく違うし、女性スタッフもカレンだけじゃない。
  何時間かはここへ帰ってこれるかもしれないが、
  休みはとれないと思う。
  また涼子をひとりにして、長期間家をあけることになる」
涼子「撮影開始はいつから?」
流星「11月1日の朝からだ。
  それに、今からすぐ会社に戻らないといけないんだ」
涼子「今からすぐ……お昼ご飯を一緒に食べる時間もないの?」
流星「ああ」
涼子「そう。それは残念だな」
流星「涼子。アラスカから帰ってきたばかりなのに、本当にすまない」
涼子「流星……」


涼子さんは申し訳なさそうに項垂れ黙ってしまった流星さんを見つめる。
しかし彼の顔を見上げてニッコリと微笑み、しっかりした言葉を返した。


涼子「撮影、頑張ってきてね」
流星「えっ」
涼子「本音を言うとね、『行かないで!』って言いたいけど、
  そんなこと言ったら流星を困らせるし、大人げないでしょ?(笑)」
流星「涼子」
涼子「その代りと言ってはなんだけど、
  千葉の撮影が終わったら、
  何処か美味しいもの食べに連れていって?
  高級ホテルのフレンチがいいなぁー。
  病院食にあきちゃってね(笑)」
流星「あ、ああ!涼子の行きたい所にどこでも連れてってやる。
  フレンチでも日本料理でも、食べたいだけたくさん」
涼子「うん、これで契約成立(笑)
  お義兄さんと良い仕事してね」
流星「涼子、ありがとう。愛してるよ」
涼子「うん。私も愛してる!」

流星さんは再び涼子さんを引き寄せて、
息が止まるほどギュッと抱きしめると、
馴れ合った互いの温もりを感じながらkissをした。
微かに開いた窓から秋風が二人の頬を撫でて、
熱る身体に心地よさを与えたのだった。



(豊島区南長崎、幸福荘横の市民公園)


昼休み。
私はおにぎりとお茶の入ったショッピング袋を持って、
重苦しい雰囲気の店を出る。
いつもなら休憩室で昼食をとる私だったけど、
周りの視線が纏わりつき落ち着かないのだ。
それでなくても私の心中は、風馬のことや噂のこと、
何より北斗さんから仕事を断られたショックが大きくて、
食事も喉を通らない。


私は幸福荘に隣接するいつもの公園に向かい、
ゆっくりベンチに腰かけた。
何気なく辺りをみると、
近所のお年寄りなのかゲートボールの練習をしていて、
流す様に右手に目をやると、犬の散歩をするご婦人の姿も見える。
袋からおにぎりを取り出して一度は手にしたものの、
やはり食欲がでなくて、観念したように大きな溜息をついた。 
ぼんやり手に持ったおにぎりを見つめていると、
突然背後から、私の名を呼ぶ声が聞こえたのだ。


男の声「そんなに見つめられたら、おにぎりも嬉しいだろうな」
星光 「えっ……
   (この声は、もしかして北斗さん!?)」


聞き慣れたその声に、北斗さんが来てくれたのだと思い振り返る。
しかし背後から現れたのは弟の流星さんで、
その声はあまりにも北斗さんに似ていて、そして屈託ない笑顔までも。
私は二つの意味で驚いた。


星光「流星さん!何故ここに……」
流星「あぁ。店に行ったら星光さん居なかったし、
  店員さんに聞いたら休憩に入ったって言われてさ。
  『休憩室に居ないから多分社員寮だろう』って聞いたから」
星光「私の勤め先、誰から聞いたんですか?
  あの、北斗さん、から?」
流星「いや、浮城さんから。
  うさぎちゃんの話もね(笑)」
星光「うさぎちゃん?」
流星「そう、うさぎちゃんという名の夏鈴さん」
星光「あぁ。夏鈴さんかぁー(笑)
  (えっ!浮城さんったら夏鈴さんのこと、うさぎちゃんって呼んでるの?)」
流星「浮城さんから頼まれ事もあったからね。
  その子が君の居場所教えてくれて、前の路地を歩いて寮に向かってたら、
  今にも消えちゃいそうな星光さんが、俺の視界に飛び込んできたわけ」
星光「消えそうって。
  はぁっ。そうね……消えてしまいたいかも」
流星「どうして兄貴の仕事断ったの」
星光「えっ。
  仕事を断ったのは、私じゃなく北斗さんのほうです」


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