ポラリスの贈りもの
36、北極星

母との約束の日。
私は新宿駅で母と待ち合わせて食事をした。
普通の親子なら、母親とこうやって向き合うということに、
緊張感や遠慮などないと思うけれど、
私はこれまでずっと、母と思っていた人を『お母様』と呼んでいた。
その癖が抜けてないせいか、慣れず照れくさいからか、
本当の『お母さん』でも、何となく他人行儀になり敬語で話す。
濱生に居た時は、大神楽の女将である数子が母だったが、
5歳の頃から礼儀作法を厳しく言われ、
靴の揃え方や箸の持ち方ひとつ違っていると、
普段は長さを図る竹の物差しが憎しみのむちとなり、
撓るたびに緊張と恐怖の連続だった。
しかし緊張する私とは対照的に、にこにこと優しい笑みを浮かべている。


(新宿、料亭の個室)

いきなり母に北斗さんとのことを聞かれ、
始めは戸惑いながら話していたけれど、
話しているうちに、私の心にホッするような安心感が生まれてくる。
そして、確信である私の生い立ちについても聞くことができ、
真実を語る母も、頷き聞いている私にも、
ようやく長年の苦しみから解放される日となった。


古賀「そうだったの。北斗さんが貴女の命の恩人……」
星光「ええ。彼が居なかったら、
  お母さんともこうやって笑顔で会えなかったんです」
古賀「じゃあ、北斗さんに感謝しなくちゃね」
星光「はい……
  あの、お母さん。聞いてもいいですか?」
古賀「ええ(笑)なに?」
星光「私は何故、濱生の養女になったんでしょうか」
古賀「そうね……
  それは、私と貴女のお父さんの力不足が原因なの。
  星光、今まで辛い思いをさせてごめんなさい」
星光「力不足?」


母は箸の動きを止めてゆっくりテーブルに上に置き、
私の目を見つめて真実を話してくれた。
その優しい目には溢れんばかりの涙を湛えている。


当時、大神楽の番頭をしていた父と、地元の個人病院に勤務していた母。
いつもご近所で羨ましがられるくらい仲の良い、
愛情あふれるおしどり夫婦の間に私は生まれた。
私が3歳の時、父は大神楽を辞めて役所勤めを始める。
しかし、間もなくして大病を患い働けなくなったのだ。
母は看護師の仕事と父の看病に精一杯で、
私の面倒を見ることができなくなり、
見かねた風馬の両親が私を預かって、手伝ってくれていたらしい。
父とは従弟関係である大神楽の社長の濱生勝憲と、
女将の数子の間にはその当時子供がおらず、
結婚して10年子宝に恵まれていなかった。
そんなふたりが私のことを知り、父が良くなるまで預かると申し出たのだ。
けれど父の病気は一向に良くならず、治療費も嵩む一方。
そこで見かねた勝憲の提案で、
父は東京の大学病院に転院して最先端治療を受けることになる。
但しそれには条件があり、今ある借金と東京での生活費、
入院治療費を全額負担する代わりに、
私を濱生の養女にするということだった。



<回想シーン>


(福岡、とある病院の病室)

憲二郎「美砂子。すまないな。
   俺が病気になったばっかりにお前と星光に苦労かけてしまって」
美砂子「何を言うとると?(笑)
   苦労なんて思ってなかよ。
   憲さんとこうやって一緒に居られて、
   元気に星光が授かって、私にとってこれほどの幸せはなかけん。
   早く元気になって、また三人で暮らそう。ねっ(微笑)」
憲二郎「あぁ……なぁ。美砂子」
美砂子「ん?なに?」
憲二郎「星光を手放すくらいなら……俺を逝かせてくれないか」
美砂子「憲さん!何を言っとると!?」
憲二郎「このまま東京に行ったら、星光は濱生に盗られる。
   でも。何もせんかったら、俺たち家族は潰れる。
   俺は、お前の手にかかるなら本望だ」
美砂子「そんな恐ろしい事、できる訳ないちゃろ!?
   憲さん、なんでそんな悲しい事を言うと?」
憲二郎「頼む。俺はどうなってもよか。
   星光だけは守ってほしい。頼む……美砂子」
美砂子「あぁ、神様。
   どうしてこんなことに……」



涙ながらの話しに、私の目からも止めどなく涙が溢れる。
母はハンカチで流れる涙をふき、
大きく深呼吸すると気持ちを切り替えるように話を続けた。


古賀「何故、貴女の名を『星光(きらり)』と付けたと思う?」
星光「えっ。私の名前」
古賀「貴女が私のお腹に宿ったと分かった日の夜、
  お父さんと見た夜空に北斗七星がとても綺麗に輝いててね。
  憲さんが空を指さして、私に星の話をしてくれたの。
  『あの北斗七星のひしゃくの縁になっている2つの星を結んで、
  そのまま5倍に伸ばすと、そこには北極星があるんだ』って。
星光「北斗七星の先にある北極星……」
古賀「貴女のお父さんは“天体博士”って異名が付くくらい星が好きでね、
  学生時代もデートの時も星の話をよくしてくれていたの。
  『北斗七星のけんさきは“北斗の針”や“北の空の大時計”と呼ばれていて、
  昔の航海士たちは北斗七星の先端であるけんさきの星を見て、
  時を知ったんだよ。
  子の刻(今の0時)、丑の刻(2時)だと時刻を計ることができたんだ。
  人は道に迷ったり東西南北を知りたいときも、必ずこの星座と星を探す。
  北極星は二等星で輝きは一等星には劣るけど、
  何時も動かず変わらずに光って、
  見た者の心をホッとさせて、誰からも愛され親しまれる。
  この星の輝きのように、人から愛される光を放つ人になってほしい。
  だから、男の子だったら人生の成功を願って星光(せいこう)、
  女の子だったら誰からも愛されて輝く意味を込めて、
  星光(きらり)と名づけよう』ってね(笑)」
星光「愛されて輝く女の子……」
古賀「そうよ。なくてはならない人。
  貴女は、私と憲さんにとってなくてならない娘なの」
星光「お母さん……」


一緒に居た時間が短くても、どれだけ父と母に愛され育っていたか、
自分の名前にそんな素敵な話があったことも思ってもみなかった。
しかも、北斗七星の話にも驚かされる。
ほんの3時間の間で、私が生まれてきた意味を教えてくれた母。
今では父の病気も治り、元気に働いていると教えてくれて、
今度会う時は父と三人で会おうと約束し、
更なる安心感を与えてくれたのだ。


古賀「私ね。
  娘とこうやって美味しいもの食べながら話すのが夢だったの。
  お買い物したり、恋の話をしたり」
星光「お母さん……」
古賀「今度はうちにいらっしゃい。
  お父さんも貴女に会いたがってたから。ねっ」
星光「はい」


氷の要塞に身を縛られ、カチカチに凍り付いていた心が、
ぽかぽかとした太陽に照らされ融けていく。
二十年以上の時を経て、差し込んで来た母と父の愛という深い光は、
確かに優しく私を包み込み、
涙と共に開放された心を穏やかにしていたのだった。 




(流星のマンション)


涼子「流星。はい、ミネラルウォーター」
流星「ありがとう(水を飲む)」


流星さんは水を飲み干しグラスをデスクに置くと、
涼子さんを抱きしめベッドに押し倒してkissをした。
官能的な流星さんの指は彼女の頬、首、胸と優しく這っていく。


涼子「明日から早速潜るんでしょ?
  寝不足だと撮影に響くもの」
流星「同じ潜るなら、俺は涼子という名の海がいいな。
  (彼女の顔を見て)
  ん?…もしかして調子悪いか?」
涼子「ううん、大丈夫よ。
  流星のおかげでとっても元気よ」
流星「そうか。なら良かった。
  俺の留守中、体調悪くなったり何かあったら、
  俺でも兄貴でもいいから遠慮なく連絡しろよ」
涼子「うん(微笑)
  あっ、流星。今回車に乗ってく?」
流星「いや、置いていく。
  兄貴と浮城さんが迎えにくることになってるんだ」
涼子「そう……じゃあ、大丈夫ね」
流星「ん。大丈夫って?」
涼子「実は……ずっと言いそびれてたんだけど、
  5年半前の黄金通信社の撮影の時にね、
  うちの駐車場に妙な車が停まってたことがあったの」
流星「妙な車?」
涼子「うん。マンションの管理人さんから連絡があって、
  車の中にカメラや三脚は積んでるし、
  登録しているうちの車のナンバーとは違うから、
  ご主人車買い換えられたんですか?って。
  流星の車は会社の駐車場に停めてたはずだから」
流星「それで?」
涼子「許可証もついていないし、同じ曜日に定期的に停まってるし。
  管理人さんが不審に思って住人全員に聞いて回ったらしいんだけど、
  誰一人として知らなかったらしいの」  
流星「定期的にって、それ何時だったか管理人に聞いたか?」
涼子「ええ。ナンバーも控えてる。
  ちょっと待ってて」


涼子さんはクローゼットの小物入れから手帳を出してくると、
記載ページを開いて流星さんに見せた。
それには、停まっていた車のナンバーと、駐車日時が書いてある。


流星「横浜ナンバー?
  えっ(驚)こんなにか!」
涼子「ええ。
  それに、その時期から見られてるような視線を感じたり、
  誰かからつけられてる気がしてたのね。
  なんだか怖くなったから、パーティーの日にお義兄さんに相談したの。
  そうそう。パーティーでもそうだった。
  会場である男性から話しかけられて、流星とお義兄さん、
  カレンさんとの三人の情事を聞かされたわ。
  それで私、すごく不安になって、流星のライカを落としちゃった」
流星「……」
涼子「カメラ落としたこと黙っててごめんなさい」
流星「カメラなんかどうでだっていい。
  俺は涼子が無事だったらそれでいいんだ」
涼子「うん。
  流星。また……あの時のようになったりしないよね?」
流星「涼子……大丈夫。
  心配しなくていいから俺に任せて」
涼子「うん。わかったわ」


流星さんは鳥肌が立つほどの胸騒ぎを感じ、手帳を再度見つめた。
そこに記されている車のナンバーと日時を回顧し懸念を覚えたのだ。
それは涼子さんを心配してのこともあったけれど、
これから臨む撮影にも影響が出てくるのではという思いもある。
心配そうに見つめる涼子さんの視線を感じると、
力強く抱き寄せ流星さんは呟くのだった。



カレンダーは10月から11月に変わり、
季節はゆっくりと秋から冬へ向かう。
東京の空の色は深く碧く、
吹き抜ける風は街路樹を揺らしながら鳴いて、
待ちゆく人々の肌に体当たりする。
秋の日差しが悪戯にダーククレーの街を照らし、
ガラスに反射した光は透通った空気を射ってアスファルトを照らした。


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