ポラリスの贈りもの
5、報恩のシンクロニシティ

七星さんの運転する4WDの助手席から、
白い波しぶきをあげる青い玄界灘を見る。
時々、無言のまま前を向いている彼のクールな横顔を見ながら、
無性にドキドキしてる私がいて、
何か話さなきゃと必死で気の利いた言葉をさがしてた。
でも会話のないこの沈黙が、居心地良いと感じる自分も片隅に存在する。


県道54号線を走りたどり着いたのは、福岡県糸島市にある二見ヶ浦。
海の中に存在感際立つ夫婦岩が見えてくると、
彼は道路に隣接するパーキングに車を停めた。
ドリンクホルダーにあった缶コーヒーを手に取ってゴクンゴクンと飲み干すと、
ふーっと大きな溜息をついて私の方に顔を向け、やっと沈黙を崩す。
彼の口から飛び出した言葉に、私はびっくりさせられ戸惑った。
何故なら、私の心の中をごっそり覗かれたような恥ずかしさを感じたからだ。
彼の少し潤んだ眼差しに、胸の真ん中がキュンとなる。


七星「星光さんが今日僕の会社まで来たのは、
  昨日のカメラの弁償しに来たわけでも、ただの通りすがりの野次馬に、
  岸壁に追い詰められた話をしに来たわけでもないんじゃないの?」
星光「えっ。そ、それは、
  早くカメラ代をお支払しようと思ってそれで……」


命を救ってくれた彼に魅かれていることを悟られたのかもしれないと思い、
動揺する自分の心を誤魔化そうとして、
バッグの中に手を入れて下を向きお金の入った封筒を探した。
すると、七星さんはバッグにあった手をグッと掴んで動きを止めたのだ。
その力強さに私はまたドキッとさせられる。


七星「お金なんていらないと言ったろ?
  カメラのことはもう気にしないで」
星光「あっ……」
七星「ごめん。さっき言ったこと僕の聞き方が悪かったね。
  職業柄どうしても先読みしてしまうんだよ。
  『僕がこうだろ?』って言う前に、
  まずは君から訪ねてきた理由を聞くべきだよな」
星光「いえ……私が突然アポもなしで勝手に訪ねたことですから、
  仕事中の北斗さんにご迷惑をかけてしまって」
七星「迷惑だと思ったら、ここまで一緒に連れてはこないよ。
  話してくれるかな。僕に会いに来た理由」


私の手首を握ったまま覗き込むように語りかける七星さんに戸惑いながらも、
私は小さなため息とともに覚悟を決めて、本心を話すことにした。



星光「会社に伺ったのは、カメラの弁償をしたかったのもありますけど、
  昨日助けてくれた時、私に言ってくれた北斗さんの言葉がキッカケです。
  北斗さんならどんな形でも、氷河に囲まれたあの冷たい要塞から、
  私を連れ出してくれるかもと思って……」
七星「氷河の要塞?」
星光「はい。子供の頃から感じていたことなんです。
  家族と居ても温かさを感じない冷え冷えとした空気で、
  恋人と居ても安らぎを感じない寂しさを感じてました。
  昨日の雰囲気で分かってもらえたとは思いますけど」
七星「そうだね。なんとなくだが」
星光「実は北斗さんが拾い忘れた写真集を岩場で見つけて、
  ページを開いて見る度に、私がこれから先どう進むべきなのか、
  お写真と北斗さんの言葉を見ていくと、
  教え諭してくれるように感じて、不思議な感覚になったんです」
七星「そう(微笑)あのフォトブック見たんだ」
星光「あっ(焦)勝手に見ちゃってごめんなさい。
  お返ししなきゃいけないと思って車に積んでるんですけど」
七星「いいよ、返さなくても。君にあげるよ」
星光「えっ!いただけるんですか!?」
七星「ああ。僕の写真で君が元気になれるなら」
七星「嬉しいです!ポエムを読んでいると孤独から解放されるし、
  綺麗なお写真を見てると傷だらけの心も癒されるんです。本当に」
七星「そっか。僕の写真でそう感じてもらえるなんて光栄だな。
  ある意味、僕も救われるよ。
  長年写真を撮ってきても、
  未だに満足のいく作品を手にしてないと感じてるから、
  そう言ってもらえると自分のやってきたことに自信が持てる」
星光「それで、北斗さんに会ってお話したら、
  これから先の自分の行く先が見えるかもしれないなって思いました」
七星「そう。僕がその大役にふさわしいかどうかはわからないが、
  星光さんが僕と話すことで、
  何かを見つけられるなら少しは役に立つかな(笑)」


私はこれまでの家族との確執や颯と加保留の出来事といきさつを話す。
七星さんはずっと相槌を打ちながら穏やかな表情で聞いてくれていたけれど、
私のある言葉で急に真剣な顔つきに変わり、
フロントガラスの向こうの海に目をやった。


星光「両親の顔色を見ながら毎日を過ごして、
  愛を感じられない恋人の傍に居るのが辛くてたまらないんです。
  私の目に映っていた日常は悲しい景色ばかりだったから、
  自分らしく生きるために家を出ようって決めたんです」
七星「そう。それで行く当てはあるの?」
星光「いえ。まったく知らない場所に行きたいと思ってます。
  ここなら過ごしやすいっていう土地知りませんか?
  北斗さんもそんな気持ちになったことあります?」
七星「ん?僕なんて四六時中そう思ってるさ(笑)
  今からでもどこかに逃げたいってね。
  なんなら一緒にどこかに逃亡でもするかい?」
星光「えっ」
七星「あははっ(笑)今のは冗談だよ。
  僕は世間の悲しい場面ばかりを見て撮ってきたからかな。
  過ごしやすい場所なんて知らないな」
星光「世間の……」
七星「そう。この世の中のね」
星光「北斗さんは何故カメラマンになったんですか?」
七星「何故かなぁ。学生時代はただカメラが好きでがむしゃらに撮ってたな。
  高校も大学も写真サークルに所属してたし、
  暗室に籠って自分の撮った画像が顕現する瞬間は毎回感動してたな」
星光「私はデジカメや携帯カメラでしか写したことがないけど、
  自分の見た風景が形になるって何だか嬉しいですよね」  
七星「でも仕事となると、喜んでばかりもいられないんだよね。
  僕が仕事で初めて撮影したのは崩落事故現場の写真だった。
  最初は報道カメラマンとして別の会社で仕事してたからね。
  僕は何故、こんな写真ばかり撮ってるんだって思いながら、
  ただひたすらシャッターを押していたな」
星光「そうなんですか……
  (あの写真集からはそんなのまったく感じないのにな)」
七星「いつまで自分はこんな温かさを感じない世界に居るんだろうかって、
  ずっと疑問を抱えながら生きてたよ。
  究極辞めちまおうって思ってた(笑)」
星光「えーっ!あんないい写真をたくさん撮れる人なのに?」
七星「えっ?あはっ(笑)ありがとう。
  でもね、ある時一緒に仕事したあるフォトグラファーに会ってから、
  仕事に対する考えが変わってね。
  今いる自分の世界から抜け出たいって思ったんだ。
  ちょうど君が僕に感じたような感じかな。
  その彼が僕に温かい世界を見せてくれたから今の自分が居る」
星光「そのフォトグラファーの方とは今でも交流が?」
七星「うん。僕の同期で同じ会社に居る東っていう写真家。
  彼がフォトグラファーになったキッカケの写真っていうのは、
  冬の寒い日に顔を真っ赤にして微笑み合ってる学生カップルだったって。
  今の仕事についてからも、女性の笑ってる写真や、
  微笑ましいシーンばかり撮ってるよ」
星光「その人なら知ってますよ。テレビで見たことがあります。
  何年か前に大きな賞を受賞した方ですよね?」
七星「そうそう。彼も戦場にいった時期もあったみたいだけど、
  今の彼にはそんな辛い写真を撮ってる過去なんて微塵も感じさせない。
  僕が知り合った時もそうだった。
  僕の写真を見て共感できると言って、
  東が僕をスター・メソッドに引っ張ってくれたんだ。
  当時の僕にはある意味、彼は救世主だったな」
星光「そうだったんですか」
七星「なんだか星光さんの話を聞いてて、シンクロニシティーを感じるんだ。
  僕も東に救ってもらって今の自分があるんだ。
  もしかしたらそれに対する恩返しが今なのかもしれないな」
星光「私が北斗さんの恩返しの相手でいいんですか?
  本当は私が命を助けてもらったから、
  北斗さんに恩返ししないといけないのは私なのに」
七星「じゃあ、星光さんが新境地を見つけて、
  本来の自分に戻ったら、今度は僕が助けてもらうかな。
  それまでは僕ができることは手を貸すよ」
星光「はい!ありがとうございます」
七星「さて、さっきの話に戻るけど、行く当てもなくて、
  まったく知らない場所に行きたいってことだったけど、
  星光さんさえ良かったらだけど、僕と一緒にくるかい?」
星光「あの、それって……」
七星「僕は今日の撮影を終えたら、明日東京に戻るんだけど、
  もし、君が東京でもいいって思うなら、一緒に行かないか?
  住まいのことや仕事のことも協力できると思うし」
星光「えっ!?明日!?七星さん、もう帰っちゃうんですか!?」
七星「14時発のJAL318便で帰る予定なんだ。
  気持ちが固まればチケット取るから、僕と居る間に考えてみて」
星光「北斗さん……
  (明日には北斗さんが東京に帰ってしまう……)」


彼から放たれた現実を聞き、一気に寂しさがこみあげてきた。
北斗さんは運転席のドアを開け、後部座席のカメラを手に取ると、
道路を渡り、カメラを構えてシャッターを切っている。
ゆっくりと車から降り、潮風を全身に浴びながら空を仰いだ。
新たな世界に飛び立つ道を示してくれた彼の後ろ姿をじっと見つめて、
不透明な選択の狭間で迷い子のように佇む。
手を伸ばせばすぐ掴める距離に、北斗さんの大きな手があるのだ。
この手を素直に掴むべきなのか、私の心は大きく揺らいでいたのだった。


(続く)



この物語はフィクションです。
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