ポラリスの贈りもの

(ペンション。二階のカレンの部屋)


コンコン!(ノック音)


カレン「はい。どなた?」
根岸 「俺、根岸です」
カレン「どうぞ」
根岸 「大丈夫か?身体は」
カレン「まだ胸が痛いわ。
   かなり胸を強く押されたからかしらヒビが入ってるみたい。
   私、本当に死にかけたのね(笑)」
根岸 「笑い事じゃない!
   大変だったんだぞ!」
カレン「しーっ!大きな声出して怒らないでちょうだい。
   みんなに知られるでしょ?
   ドアを閉めて」
根岸 「……」
カレン「カズはどうだった?
   私のこと、心配してた?」
根岸 「当たり前だろ。
   彼と流星が僕らと交代して、
   必死で君に人口呼吸して心肺蘇生した。
   彼だけじゃない。
   みんなが心配してたんだ」
カレン「そう……カズが」   
根岸 「もう無茶しないでほしいな。
   今回はクレーン横転事故のようにはいかない。
   海の中じゃあの時のように身体を張って守れない」


何かを思いだしながら唇に触れるカレンさんは、
根岸さんの肩に両手を回し抱きついた。
彼も優しくハグするものの少し戸惑いを見せる。


カレン「貴方。もしかして私に気があるの?」
根岸 「自分でバルブを開けるなんて。
   そんなことしなくても、俺が手を打ったと言ったはずだ」
カレン「だって、水野さんが貴方のこと疑ってたの」
根岸 「だからあんな無茶を?
   (まさか、水野さんのボンベも彼女が!?)
   俺は負傷者を出したくないんだ。
   スマートに依頼は済ませたい。
   もう二度とああいうことはしないでほしいね。
   君のもとに七星が戻ってくるように、布石を敷くと言っただろ?」
カレン「それってもう始まってるの?」
根岸 「ああ。始まってる」


根岸さんは雑誌を彼女に渡し、大きな溜息をついて壁に凭れた。
受け取ったカレンさんは、
折れ曲がったページの記事を興味深そうに見つめる。



〈カメラ雑誌“ピンポイント”の記事の続き〉
 

 『摩護月カレン(35)は22日、
  都内で行われた写真集“ベールを脱いで”の出版イベント会見に出席。
  ミス写真コンテストでモデル部門賞と、
  日本マルチメディア賞を受賞しているカレンさんは、
 「最初はモデルからこの世界に入り今は写真家をやっていますが、
  まさか自分が彼のパートナーに選ばれるなんて」と語り、
 「ずっと憧れだった七星さんと仕事ができて、
  一緒に作品を作っている間に愛おしくなりました。
  今では彼なしでの仕事なんて考えられないです。
  すごく大好きですし、愛されてるって思います」と、
  北斗七星氏との熱愛を堂々と語った。
  今まで数多くの浮名を流してきた七星氏の浮気について訪ねると、
 「彼はとても一途ですから、幸せになります!」と、
  結婚については前向きだった。
  一方、モデル若葉さんとの再熱の可能性について、
 「それはないです」と否定し、
  弟、流星氏の妻である涼子さんとの同棲についても、
 「していない」とキッパリと言い切った。
  最後は「詳しいことは、千葉の撮影が終了次第ご報告します」と、 
  爽やかな笑みで報道陣に約束した』



根岸さんに渡された雑誌をめくり読みながら椅子に腰掛けると、
暫く見入っていたカレンさん。
しかし読み終えるとにやりと笑って雑誌を閉じた。


カレン「いいわね、この記事。
   貴方が書いたの?」
根岸 「いや。俺は写真を提供しただけだ」
カレン「そう。じゃあ、誰がこんな嬉しい記事を?」
根岸 「俺の協力者。
   もういいだろう?
   これ以上ここに居ると怪しまれる」
カレン「そう。貴方って意外と臆病なのね。
   それで?さっき私が言った質問の答え、まだ聞いてないわ。
   私のこと、本気で好きになったの?根岸洋江さん」
根岸 「……」
カレン「答えられないならもういいわ。
   この部屋から出て行って」


根岸さんはばつの悪そうな顔でじっとカレンさんを見ていたけれど、
彼女の挑発するような言葉を聞いた途端、座ってる彼女の手を引き、
ベッドにカレンさんを押し倒すと、睨むように彼女を直視する。
そう。ボンベの残量が減っていた理由、
それはカレンさんが自ら仕出かした浅はかな細工だった。
カレンさんと根岸さんは暗いベッドの上で、
互いの本心を誤魔化し、猜疑心を漲らせながら見つめ合っていた。





(別荘裏のテント)


風馬は田所くんと共にテントの外で、
今日撮影で使った機材やスキューバー道具の片づけをしている。
そして私は、いちごさんとテントの中で毛布や救急道具の点検、
今度の撮影で使う備品の準備をしながら話していた。


村田「神道社長の言葉の影響力ってすごいでしょ?」
星光「えっ」
村田「ほら、ここに来る時に、
  本社の前にいた報道陣に向かっていった言葉よ」
星光「あ、はい。かなり迫力あって怖かったです」
村田「うふっ(笑)確かにそうね。
  初めての人には怖いって感じるかなぁ。
  社員思いで仲間思いの良い上司よ。
  世間では“冷酷な鷹”って言われて、業界でも恐れられてるけどね。
  でも、社長一代でここまで作り上げてきた会社だから、
  ある意味、厳しく威圧感もないとやっていけないこともあるから」
星光「はい。そうですよね。
  私、神道社長とは今日で3回目で、
  社長さんと初めてお会いしたのは面接でした。
  でも二回目は私が以前勤めてた会社だったもので、
  今日の社長さんは別人に見えました」
村田「えっ?会社って以前は何をしてたの?」
星光「スーパーの店員です。
  レジ打ちしてたら、社長さんがジュースを2本レジに持ってきて、
  いきなり、『オレンジジュースとグレープフルーツジュース、
  どっちが好きかな?』って、真顔で私に聞くんですよ(笑)」
村田「えっ。神道社長なら言いそう(笑)」
星光「それでレジを打ちながら、
  『私はグレープフルーツジュースです』って言ったら、
  『二次面接合格だ!今から君の上司に会わせてくれ』って300円払って。
  もう面食らってしまって」
村田「あはははっ(笑)それで?
  店長さんに会わせたの?」
星光「もちろん、店長とお会いになりました。
  そして『君の大切な部下は私が預かる』っていきなり言うんです。
  店長も私も口あんぐり(笑)」
村田「そうだったのね。
  うちの社員の多くはそうやって社長や東さんが直接関わって、
  みんな勤め始めてるかなー」
星光「そうなんですか」
村田「ええ。それに貴女、七星さんと流星さんの斡旋だったんでしょ?」
星光「あ、いえ……」
村田「あの二人が押した貴女だから、社長も安心して雇ったんだと思うわ」
星光「は、はぁ」
村田「仕事では絶対妥協をしないし、ストイックで厳しい人たちだけど、
  頑張った人には惜しみなく力を貸してくれる人たちだから、
  キラさんもめげないで頑張ってね」
星光「はい。村田さん、宜しくお願いします」
村田「うん。こちらこそ宜しくね」


笑いながら話してると、
話し終えた北斗さんがテントの覗き込み私に声をかけてきた。
不意を突かれた私の心臓はドキンと波打つ。
いちごさんにひと声かけて外に出た私は、
手招きする北斗さんの後をついていった。



庭を横切り、建物の横手にある丘へ着くと、
北斗さんは無言で海を眺めている。
すっかり暗くなった勝浦の海はとても穏やかで綺麗で、
カレンさんと水野さんに牙をむいた同じ海とはまったく感じさせない。
水面に写る月は波に砕けて、
まるで宝石を散りばめたようにキラキラ光っている。
私は、その美しさに一時の間見とれていた。

星光「わぁ……きれい……
  こんな綺麗な海、久しぶりに見たな」
七星「……」
星光「(北斗さん、無言のままで何も話してくれない。
  そうよね。北斗さんから来るなと言われたのに来ちゃったんだもん。
  怒ってて当然か…)」


私は視界いっぱいに広がって、
暗闇の中でほのかに光る海をじっと見つめていた。
秋の海風が身体を撫でると、
やはり肌寒くて私の頬も少しずつ冷たくなってくる。
手を合わせて、はぁーっと息を吐いた瞬間、
後ろから温かい北斗さんの両腕が私を抱きしめてきた。
私の冷たくなりかけていた右頬に彼の温かな左頬がギュッと重なる。


七星「星光ちゃん」
星光「北斗さん……」


耳元で名前を囁かれただけで、
意識はくらくらと目まいのような陶酔感に襲われ、
潮風に交じって北斗さんの甘く心地よい香りが私の中で渦巻く。
放心状態で膝の力が今にも抜けそうだ。
僅かにふらつきながらもやっとのこと立っている私を、
またもギュッと抱きしめると、今度は北斗さんの半ば心の叫びにも似た、
悲壮と憂いが交じり合ったような声が聞こえてきたのだ。


七星「なぜ君はここにきたんだ」
星光「(えっ……)」
七星「僕と関わったばかりに、こんなデンジャーゾーンにきてしまって。
   (くそぉ……どうして!)」
星光「北斗さん?」


悔恨に震える北斗さんは、
言葉とは反対に尚も私を包み込んで離さずにいる。
追い詰められ焦燥に駆られる彼を全身で感じている私の心は、
逢えた喜びと戸惑い、
自分の無力さを感じ収拾つかないほど繚乱していたのだった。

(続く)


この物語はフィクションです。
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