ポラリスの贈りもの
43、赤ずきんと狼

夏鈴さんと根岸さんの愛情いっぱいの再会と、
カレンさんに絡む騒動から1週間。
引き続き水中撮影は行われていた。
怖いぐらい順調に。
騒動があった翌日の夜、夏鈴さんから電話を貰っていた私。
根岸さんに寮まで送ってもらう道中、
お互いの本心を話し誤解も解けて、
彼と復縁することになったと打ち明けてくれた。
夏鈴さんにとって彼と撚りを戻すことは、ずっと望んでいたことだった。
でも4年のブランクに不安を感じているようで、
浮城さんのことも気になってると相談してきたのだ。
根岸さんの許に戻る前に、浮城さんときちんと話したいと彼女は語り、
次の休みにまた、ここ勝浦に来ると言って電話を切った。


私の目に映る浮城さんは浮かない顔をしているもののそこは大人で、
黙々と自分の仕事を熟している。
流星さんから事情を聞いた北斗さんと東さんも、
彼の様子を心配そうに窺っていた。
いつもムードメーカーで陽気な浮城さんが、時折沈んだ表情を見せると、
風馬の代弁の様な言葉がふっと過り、チクッと胸を刺す。



各々の複雑な想いが交錯し、私の知りえない事実が埋もれる現場。
いつものように洗濯物を干しながら、じっと皆の動きを見つめていた。
撮影の精鋭が頑張ったお蔭で、水中撮影も予定より早く目処が立ち、
北斗さんたちが潜るのもあと数週間となった。
朗報にホッと胸を撫でおろした矢先、
またも気掛かりな事が追い打ちをかける。
東さんを始めスタッフ全員に緊張感が立ち込めた。
それはカレンさんと水野さんが撮影に復帰すると、
神道社長から告げられたから。
もちろん、私とカレンさんのことも配慮した指示が、
事情を知る者すべてに言い渡された。




私は別荘裏のランドリースペースに次の洗濯物を取りにいった。
洗濯機に入ったバスタオルをかごに移していると、
女性の甲高い怒鳴り声が別荘裏の小道の先から微かに聞こえ、
その声は引き続いて男性と言い争う声に変わる。
私は不思議に思い、裏の森の小道へ入って木の陰からそっと覗いてみた。
ふたつの声は午前の水中撮影を終えた根岸さんと怒り心頭のカレンさんで、
執拗以上に絡む彼女を、根岸さんが冷たく跳ね除ける姿が確認できた。


(別荘裏の森)


カレン「どういうことよ!
   1週間も私に顔を見せないで!
   しかも何故、毎日別荘で寝泊りしているの!?」
根岸 「大きな声を出すなよ!
   みんなに聞かれたら怪しまれるだろ」
カレン「いいわよ、怪しまれたって。
   どうせみんな薄々感づいてるわ。
   神道社長から撮影復帰する条件とやらを、
   1時間も懇懇と聞かされたからね。
   貴方、あの夏鈴っていう子と昔付き合ってたんだって?
   あんな普通の子のどこが良かったんだか(笑)」
根岸 「それを誰から聞いた」
カレン「ここには15人のベテランカメラマンが居るのよ?
   有名な桑染洋史カメラマンのスキャンダルくらい、
   知ってる者も居るわ。
   それにこの間も、公然とふたりで海を眺めながらイチャついてたし、
   今度ここにあの子がやってきたらガツンと言ってやらなきゃね」
根岸 「おい!夏鈴に至らないことしたら、俺が許さないからな」
カレン「そう。その口ぶりだと無くしたものを手に入れたみたいね」
根岸 「あまり時間がない。
   本当は今夜話そうと思ってたが」


根岸さんは肩からかけていたショルダーのカメラバッグの中から、
白く分厚い封筒を取り出した。
そしてその封筒をカレンさんの手に握らせる。


星光 「根岸さん、何やってるの?
   あれは……
   (うそでしょ!?)」


彼女は中身を覗き込むと封筒から大量のお札を取り出し、
いきなり根岸さんに投げつけて彼の頬を思い切り引っ叩いた。
彼は無抵抗で彼女の怒りを受け、
落ちたふたつの札束をゆっくりと拾う。


カレン「これが貴方の答えなの!?」
根岸 「ああ、そうだ。
   俺は下りる。
   貰っていた契約金の200万、確かに全額返したからな。
   言われた通りに協力者もここへ連れてきて、
   君の望む報道も世間に流れたんだ。
   これで俺が居なくてもやりやすくなったろ」
カレン「いいえ、まだよ。
   貴方は私に約束したわ。
   カズが私の許に戻ってくるようにするって。
   まだ達成できてないじゃない」
根岸 「伏線は張ってやったんだ。
   あとは君の力でするべきことだろ。
   俺に迫ったように、七星にも迫ればいい」
カレン「貴方。私のこと気になってたのよね?
   だからあの夜も甘えるように私のところに来たんでしょ?
   ねぇ。あんな華もオーラもない、
   女としての魅力ゼロの子なんてやめたら?」
根岸 「あ!?」
カレン「私とならこの業界で稼げるし、
   もっと有名な写真家としてやっていけるわよ。
   私はお金も持ってるし、父の財産だってある。
   貴方は元々腕がいいし、
   昴然社なんて辞めて私とドイツに行かない?
   あの有名なマエストロ通信社のカメラマンになるって魅力でしょ。
   東光世や北斗七星なんて目じゃない。
   世界のトップカメラマンと肩を並べるの。
   私が居れば、最高のキャリアが手に入るんだから、
   もっと真剣に尽くしたら?」
根岸 「それが君の本心か」
カレン「ええ(笑)最高の誠意を見せてよね。
   私は欲しいものは絶対に手に入れる。
   どんな手を使っても。
   そうやってきたし、これからもそうするわ」
根岸 「……」

カレンさんは勝ち誇ったように彼の肩に手をまわし、
拾ったお金を握らせると根岸さんは黙ったまま、
感情のない視線でじっとカレンさんを見ている。



星光 「(もーっ!根岸さん、何やってるの!?
   そんな女なんか突き放しちゃいなさいよ)」


私は物音を立てないように息を殺し、
洗濯かごを抱えてじっとふたりの様子を窺う。
交代の時間がきたのか、
みんなの声が別荘に近づいてくるのも気になり、
見つめ合ったまま、
未だ微動だにしないふたりにじれったさも感じる。
私が濡れたバスタオルをギュッと握った時だった。
根岸さんはやっと、絡める彼女の腕を力強く握って外したのだ。


根岸 「マエストロ?
   ふん(笑)まったく興味はないな。
   もう現場に戻る。
   とにかくあんたとの夜の密会もお遊びも、
   これ以上付き合わされるのは御免だ」
カレン「待って。洋紅ったら!」


去ろうとする根岸さんの腕を掴み、
前方に回り込んで行く手を阻んだが、
彼はカレンさんを太い木の幹に勢いよく押し付けて顔を近づけた。


カレン「キャッ!」
根岸 「もっと真剣に尽くせ、か。
   夏鈴は華もオーラもない、女として魅力ゼロの子だって?
   俺から見れば、あんたは彼女の爪の先ほどの魅力もないよ」
カレン「な、なんですって」
根岸 「女としても人間としても、彼女の方が上だ。極上だ」
カレン「あ、貴方。私に契約金を全額返金すれば、
   この契約から放免されるとでも思ってるの!?」
根岸 「ああ。最高の誠意を見せろって?ふん。
   5年前、あんたはか弱い女のふりをして俺に近寄ってきて、
   半分脅しをかけながら縋りついてきた。
   俺は自分の命と大切な女と引き換えに、あんたの命を救った。
   こんな身勝手な女の言うことを真に受けて、
   依頼を受けたばっかりに、
   白いベッドの上で3か月生死の境を彷徨って、
   やっと復帰したときにはすべてが無くなってた。
   ずっと愛してきた女を失い、
   長年積み上げてきたキャリアも捨てた。
   それだけで、充分すぎるくらいあんたに尽くしたと思うが?」
カレン「……」
根岸 「失礼する。
   (俺がバカだった。
   本当に大バカ者だ……)」


根岸さんは憎しみが籠った捨て台詞をカレンさんに浴びせると、
彼女を残してその場から立ち去り別荘へ向かった。


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