恋の相手は王子様(あなた)じゃ困る!
夜の庭園にて・・・
 星々のきらめく夜の庭園は、隣を歩く名も知らぬ男に心臓の音が聞こえてしまいそうなほど静かで、レリアは柄にもなくどきまぎしたまま黙って歩いた。

 そのタイミングを失ったままなのか、それとも意識的にか、男は彼女の手を握ったまま離してくれない。呼吸を潜めて、ちらりと彼を盗み見ると、ちょうど彼女の方を向いた男と目が合った。男は彼女を見つめたまま、口を開いた。

「今夜の宴には、王女様が参加しているって聞いたんだけど」

「そ、そうなんですか? あたし、そういうことは疎くって」

 核心を突いた質問に、どきりと胸が鳴る。

「……もしかして、王女様に会いにいらしたんですか?」

「いや」

 しかし、男は軽く否定した。

「俺はあなたに会いに来たんだ」

「あっ、あなたって、あたし? でも、でもっ、仮面で誰だかわからないのに」

「そう? 俺にはすぐにわかったけど。あなたが俺の探してた人だって」

「そ、そんな……」

 耳まで赤く染めてレリアは口ごもった。

(どうしよう、自分が自分じゃないみたい)

 やれおてんば王女だ、わがまま姫だ、とそう嘆かれていたというのに、いまは世界中の誰よりも自分が女の子らしいような気持ちがする。これが恋というものだったら、それを知らなかったいままでの自分は本当の自分ではなかったのではないか、そんな気すらしてくる。

 レリアはぼうっとして男に見とれた。すると、何を勘違いしたのか、男は仮面に手をやり、苦笑した。

「粗末なものしか用意できなかったんだが」

「ちっ違います! あの、その、仮面は素敵ですわ。それから、その金髪も」

 ほのかなランプの光に映し出された、太陽のような色をした髪。美しい髪だ。

「ええ、いままで見た中で一番綺麗な……シリル王子なんかよりよっぽど綺麗な――」

「シリル王子?」

 男が怪訝そうに問い返す。レリアははっと口を閉じた。

(どうしてこんな時にあいつの名前が出てくるのよ!)

 きっとあの忌々しい肖像画が日常的に目に入るせいだろう。自分の頬をひっぱたきたくなる衝動を抑えて、レリアは言葉を探した。

「えっと、その、ええ、シリル王子ですわ。エルガ王国の……きっと有名人だから知っていらっしゃるでしょ? ちょっと容姿が綺麗だからって、それを鼻にかけて王国中の女性に手を出してるって噂の方ですわ」

「国中の? そりゃすごい」

 彼を知らないのか、男は素直に驚いたようだった。それから冗談交じりに言う。

「では、その王子より綺麗な髪だと褒められるのは、光栄だってことだ」

「そ、そうなの。……じゃなくて、いいえ、あたしはあなたのほうがすべてにおいて王子に勝ってると思うわ」

「それは嬉しいが……しかし、あなたは彼をよほど嫌ってるようだ。何か理由でも?」

「り、理由?」

 王子の話題を掘り下げられて、レリアは困惑した。恋に落ちた人と夜の庭園を歩いている、という夢にまで見た場面だというのに、どうしてあの嫌な王子の話をしなければならないのか。時間が経つのは早い。このままではすぐに真夜中の鐘が鳴り、一夜の恋は泡となって消えてしまう。

「だから……王子はどんな美人でもよりどりみどりの遊び人だし、それに手紙に肖像画で返してくるような、とんでもないナルシストだし」

「手紙? それも噂で?」

 不思議そうに聞かれ、レリアは焦った。いくら貴族の女性でも、王子に手紙を書くなんて事はできない。

「ええ、何だかそんな噂を聞いて……手紙を返さないなんて不誠実にもほどがありますわ」

「けど、王子は女性たちの憧れの的?」

「そうよ。しかもあんなに素敵な人だもの。誰だって……」

 言いながら、レリアはシリル王子が婚約者だと告げられたときの高揚を思い出した。あのとき、彼女はあまりの幸せに舞い上がり――それから落ち込んだのだ。そして、その胸の穴を埋めるように恋を願ったのだ。

(あたしが王女で、あいつの本性を知ってるんだって言えたら楽なんだけど……)

 王子の話題から離れない男に、レリアは焦ったが、しかしそんなことは口が裂けても言えるはずがない。そうしているうちに、大広間から最後のダンス曲が流れ始めた。もうじき真夜中だ。恋の時間が終わってしまう。

「お願い、何でもいいから、とにかくあたしと最後のダンスを踊ってちょうだい」

 レリアは男の返事も聞かずに、大広間へ戻った。まばゆいばかりの光の中で、彼と向き合う。しかし、そうして見上げた彼は、何だかシリル王子に似ているような気がした。

(いいえ、違うわ。これはきっと――)

 緩やかなリズムに体をゆだねながら、レリアは思った。彼はたしかに王子と同じ金髪にたくましい体つきをしているが、それは彼女が彼に王子を重ねているだけなのだ。遊び人でもなく、ナルシストでもなく、彼女に好意を向けてくれる仮面の男が結婚相手であったら良かったのに、と。

 曲が静かに終わっていく。名残惜しむようにレリアを引き寄せた男が、ふと耳許につぶやいた。

「あなたは王子のことを――」

(王子を……なに?)

 聞き返そうとしたとき、男が仮面に手をやった。そして、止める暇もなく素顔を人々の前に晒した――。
< 5 / 6 >

この作品をシェア

pagetop