嘘は世界を軽くする
1章 月森寛人
『一億人に一人の才能を得る代わりに二十歳で死ぬか、平凡な人生だけど九十まで生きられる。どっちがいい?』

 そう聞かれたら、二十歳で死ぬ、とためらいもなく言いきれるだろう僕は、高二にして既に性根がねじくれ曲がっているだろうか。

 ほかの友達が、「いくらなんでも二十歳は早えよ」と言うのに合わせて笑いながら、それでも、平凡な人生で長生きするよりは太く長く生きてみたい、僕はそんな思いが膨れあがるのを止められない。

 だって、才能があれば何でもできる。いや、才能さえあれば、人生は楽勝なのだ。ゲームでイージーモードを選んだときのように、レベル上げなんて苦労は必要ない。どんな強敵もボスも、ボタン連打で終わってしまう。

 一億人に一人の才能ってのは、そういうことだ。

 それに、そんな才能があったら努力のしがいもあるだろう。つまり、才能と努力のかけ算で、人生はさらに楽になる。

 逆に、才能がないとどうなるか。

 昔は苦労すれば報われる時代だったかもしれない。うちのじいちゃんなんかは、そんな話をよくしている。

 あの頃は会社も終身雇用で、首を切られることも滅多にない。その上、努力すればしただけ給料はどんどん上がっていった、って。

 もちろん、それは「だからお前も努力しろ」という話であって、僕らの生まれた環境に同情するようなものじゃない。現にじいちゃんは、いまでも「努力すれば報われる」と信じている。いまの時代、努力なんてすればするだけ損だってことを知らないのだ。

 いまは才能がないとどうにもならない時代。一部の才能と金のあるやつだけが、頂点に立てる時代。

 だから両親共に平凡で、才能もない僕はもう人生詰んでいる。つまり、僕は寿命がどれだけあろうと、平凡な人生を送るしかない宿命なのだ。

『みなさんは無限の可能性を秘めた、希望の塊です。いまから努力すれば、何にでもなれる可能性があるのです』

 夏休み前の終業式で、校長はそんなことを言っていた。けれど、それもいまの時代を知らない老人の戯言だ。僕の人生は生まれたときから平凡だと決まっている。それ以上も以下も期待しちゃいけないのだと。

 無論、それで満足なやつもいるだろう。負け惜しみのように、平凡なのが一番幸せと言って、本当に平凡な毎日を送っていくやつも。

 けど、本当のところはどうなんだ、と僕は話を聞くたび思う。その平凡は本当に幸せか? 本当はもっと夢描いていることがあるんじゃないかって。

 別に、そいつがそれでいいっていうなら、それもいいだろう。他人のことだ。放っておく。でも、問題は僕のことだった。

 僕は嫌なのだ。そんな「平凡」な人生は。世界に何の爪痕も残せず、ただ生きて死んでいくだけの人生は。

 けれど、同時にちゃんと理解していることもあった。

 それは、努力も何もしない僕みたいなやつが、口だけで何を言っても無駄だということだ。現実はゲームとは違う。才能があっても、それ一つで世の中を渡っていくことなんかできないのだということを。

 けれど、自分で自分の弁解をするのなら、ここまで思い詰めるのには理由があった。

 それは、僕の父さんの弟、つまり叔父さんのことだ。
 彼は将来を期待された画家だった。

 だった、というのには理由がある。叔父さんは僕が生まれるずっと前に亡くなっていて、直接会ったことはないのだ。

 けれど、その作品はいまでも県内外の美術館に所蔵され、そのほかにも公民館や病院に堂々と飾られている。

『あれがお前の叔父さんの絵や』

 じいちゃんにそう教わるたび、僕は誇らしい気持ちでいっぱいになった。

 月森《つきもり》寛人《ひろと》。叔父さんの名前をとってつけられた僕の名は、その絵画に添えられた名前と同じで、それがさらに僕の気持ちを高ぶらせた。

『お前にも絵の才能があるかもしれん』

 じいちゃんの言うとおり、僕は小さい頃から絵が上手かった。幼稚園の時は県知事賞に選ばれ、小学生のときも、絵画コンクールで入選するほどだった。

 「故・月森寛人の甥、コンクール入賞」、そんな小さな記事が地元の新聞に載ったときは、親戚中が喜んだものだ。

『寛人と同じ名前をつけただけある。この子も立派な画家になるよ』

 皆口々にそう言って、僕を褒めそやした。じいちゃんは、僕を寛人叔父さんに縁のある絵画教室へ行くようにしつこく勧めた。しかし、面倒なことが嫌いだった僕は、それを断り続けた。

 なぜって、それでもコンクールには入賞し続けたからだ。もっとも、いま考えると、あのときが人生のピークだったかもしれないけれど。

 僕は幼いながらに、叔父さんの通っていた東京の美術大学に行き、そのまま画家になるのだと信じていた。自分にはその才能があると思っていた。

 けれど、中学生にもなると、本格的に絵の勉強を始める生徒も多くなる。そのせいか、練習もせず、常に一発書きの僕の絵がコンクールに入賞することは、次第になくなっていった。

 慌てた僕は、ようやく以前から勧められていた絵画教室に通うことを決意した。けれど、そんな決意は一日も持たなかった。

『いままで独学? デッサンもしたことない? なら、基本からだな』

 教室の先生にそう言われ、目の前に置かれたのはただの立方体だった。

 こんなもんを描けだなんて、ふざけてる。そう思ったが、最初だ。とりあえず描いて先生に見せた。

 僕としては、こんな初心者の描くようなものを描かせないで下さい、と精一杯アピールしたつもりだった。しかし、先生の反応は冷たかった。

『よく見て描いたか? 線が曲がってる、もう一回』

 完璧に描けたと思っていた僕は、それをいじめだと思った。僕の才能に嫉妬して、そういう意地悪を言うのだと。けれど、それはどうやら違った。

『あれが、去年、藝大に入ったやつが描いた立方体だ。どうだ、お前のと全然違うだろう』

 顔をしかめた僕に、手っ取り早いと思ったのか、先生は壁際のスケッチを指した。そこには、たしかにあの立方体が描かれていた。僕の絵がテスト裏のイタズラ書きなら、それは立方体が描かれただけだというのに、一幅の絵の様相をしていた。

 レベルが違いすぎる、僕はそう思った。で、どうしたか。

 はっきり言おう。それ以上の努力をせずに、教室を辞めた。メンタルが弱いと笑われるかもしれない。けど、現実にそれだけの差を見せつけられてしまったら、それ以上あがくことなど、馬鹿らしくてできなかった。

 月森寛人と同じ名前をもらい、夭逝の芸術家と同姓同名になった甥の僕。

 だけど、その才能は受け継がれなかった。いや、少しくらいはあったかもしれないが、それは抜きん出た才能じゃなかった。それなら、努力したって結末は見えている。

 つまり、またゲームで例えれば、初期値の話だ。

 あるキャラクターがいて、レベル1の状態で、その能力――例えば「魔力」の値が「10」だったとする。これが初期値。そして、そのキャラクターをレベル最大にしたときの魔力が「1000」だったとしよう。

 けれど、選んだときのランダム要素で、同じキャラクターでも魔力の初期値が「15」のやつがいたとする。それを育てれば、レベル最大では「1500」になる。

 となると、どうだろう。初期値が「10」のやつは、レベル最大でも「1000」にしかならないのに、「15」のやつは「1500」にまで成長する。なんと、その差は「500」。つまり、どんなに苦労したとしても、初期値が高いやつを育てないと、意味がないのだ。

 もちろん、それがそのまま人間に当てはまるとは思っていない。けれど、同時に結局はそういうことなのだとも思っている。

 つまり、「藝大に受かったやつ」よりも才能の初期値が低い僕は、どんなに努力して「レベル最大」になったとしても、その人に追いつくことはできないのだ、と。

 だって、人間にできる努力になんか大差がない。「500」の差を埋められる努力なんて、漫画やゲームにはあっても、現実にありはしないのだ。

 だから、僕は絵を辞めた。

 辞めると言うほどやってもいないのだけど、画材をクローゼットの奥にしまい込み、二度と出すことはしなかった。教室を紹介したじいちゃんは、カンカンになって怒ったが、それでも僕は決意を変えなかった。

 両親はといえば、初めは心配したようだったが、同時にほっとしたようでもあった。

 彼らはじいちゃんより現実がわかっている。特別な才能でもない限り、絵などやっても仕方がないということを、ちゃんと知っているのだ。

 かくして、僕は自信を失った。

 なくしてみて気がつけば、僕は絵の才能があるという事実に、とても安心していたのだった。勉強も運動もできなくても、絵さえ描ければいいと思っていたのだった。だというのに、それをなくした僕は空っぽだった。

 その頃には、最初から自分に才能がないと知っているクラスメイトたちも、それなりに人生と折り合いをつける術を学んでいた。僕は、いつのまにか彼らよりも遅れていた。

 だから、あの才能か寿命か――いわば小学生の時の『ウンコ味のカレーかカレー味のウンコか』というような下らない質問に、僕はまだ真面目にひねくれていた。

 それは、この高二の夏休みという大事な時期に、定めた進路に向け、クラスメイトたちが努力し始める時期が来ても、同じだった。

 僕は遅れていた。そして遅れたまま、いつまでも「ウンコ味でもカレーは食べものなんだから、そっちの方がいいに決まってる」とひとりごとをつぶやいているのだった。
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