愛しすぎて、寂しくて
ジュン
ママのそばにはいつも男がいた。

これで何人目だろう?

アタシには生まれたときからパパと呼べる人がいない。
そしてママはずっとアタシを生んだことを後悔していた。

ママの男の趣味はいつも最悪で、アタシが居ることなんかお構いなしにどの男も欲望を満たしにだけやって来る。

絡み合う声がアタシの部屋まで聞こえてきた。

それでもアタシはここに居るしかない。

信頼して相談出来る人もおらず
学校に行っても話を聞いてもらうほど仲のいい友達も
こんなときに逃げ込む場所もなかった。

ただ大音量の音楽で耳を塞ぎ…時が過ぎるのを待つだけだ。

それでも彼氏と呼べる男は何人かいた。
恋愛感情など無くても相手から告白されれば断らずに手当たり次第付き合った。

家に帰りたくなかったから
誰か一緒に遊んでくれる相手が欲しかっただけだった。

もちろん誰とも長続きはしなかった。

みんなアタシの身体を通り過ぎただけで
無理に空っぽな心を埋めようとしても
結局、跡には何も残らなかった。

高校を卒業したら家を出ようと決めていた。
ずっとアタシの事を誰も知らないどこかに行きたかった。

アタシはこの界隈である意味有名人だった。

中学生の頃、その頃ママと付き合ってた男に酷い目にあった過去がある。

最悪なことに男はアタシの学校の担任だった。

その時アタシは思うことにした。
こんなこと大した事はない。

身体はただの魂を入れておく入れ物なのだ。
だから汚されたとしても心まで汚れる訳じゃない。

先生であるその男は一度の関係を盾にまたアタシにそれを求めてきた。

男に抱かれながら男なんてみんなこんなものなんだろうと悟る。

そしてそんなことをしているうちに
その現場をママが見つけて大騒ぎになった。

ママはアタシを守るよりも自分のプライドを傷つけられたことに腹を立てた。

ママが騒いだせいでアタシと担任の事を学校で知らない人はいなくなった。

誰もがアタシを蔑んで親子で誘ったのかとバカにされて、
被害者も加害者もあったものではない。

アタシは今日、この街を出る。

ママは探さないだろう。

高校に通ってる間に貯めたバイト代は一人で生活するにはまだ充分じゃなかったが、これ以上ここに残る理由がない。

アタシは何もかも忘れるためにほとんどの物をそこに捨てた。

少しの服と身の回りの必要な物だけ詰めて小さなボストンバッグ1つで電車に飛び乗った。

そして昔写真で見た、海のあるこの街にたどり着いた。

知らない街。見たこともない人。

まだ少し寒いこの街でアタシは生きていこうと思った。

終電もなくなった駅前は閑散としている。
観光地でもあるこの場所の夜は早いようだ。

泊まるところを探そうにも、聞く人も居ない。

柄の悪そうな高校生が数人集まってる他に誰も居ないし
駅前の交番も巡回中なのか電気だけついていたが誰も居なかった。

友達も居ないアタシは携帯電話すら持ってなかったので旅館やホテルを探すツールもない。

駅の周辺地図でも近くに無いかとキョロキョロしているといかにも怪しそうな男に声をかけられた。

「もしかして何か困ってる?」

見るからに不誠実そうでママの男にこんな感じのヤツがいたような気がした。


泊まれる場所を探してると言うと
男は駅から一本外れた細い路地に旅館があるから案内すると言った。

嫌な予感はしたけど誰も何も知らないこの街で今、頼りになるのはこの怪しい男だけだった。

付いていくとそこには寂れた小さな旅館らしき建物があった。

駅からはそう離れて無いが、旅行者がここを予約して泊まりに来るような場所ではなく、
どちらかというとカップルに部屋を提供するような和風のラブホテルみたいな気がした。

「一緒に泊まってやるよ。」

といきなり腕を掴まれた。

逃げようとするともう一人男が出てきてアタシの腕を掴んだ。 

「結構早く見つけたな。」

この男たちがアタシに何をしようとしてるのか大体の事は見当がつく。

さすがに二人がかりって言うのは怖かった。

「ちょっと!離してよ!」

振り払おうとしてもアタシの力で二人の男に敵うわけがない。
もうダメだ。

そう諦めた時、白い布でいきなり口を覆われた所で記憶が途絶えた。

そのまま気を失い、気がつくとアタシは公園のベンチに座っていた。

何が起きたのかここが何処なのか理解できなかった。

そしてアタシの前にさっきとは全然違う身なりの
高そうなスーツを着た背の高い男が立っていた。

「大丈夫か?」

「アタシ…どうしてここに?
さっきの男たちは?
あなたは誰?」

少しパニクりながら見上げたその男は本当に綺麗だった。

タバコをくわえて、これまた高そうなライターで火を着ける
長くて細い指が印象的だった。

「大丈夫。もういない。

なぁ、お前もしかして家出少女か?
見た目は大人っぽいけどまだガキだろ?」

アタシの小さなボストンバッグを見ながら男は聞いた。

「違う。学校卒業したからここで生きていこうと思っただけ。」

「いくつ?」

「18」

「そっか、もう大人だな。
家はどこだ?
住所教えてくれればそこまで送ってやるよ。」

「あの…まだ…」

「まだ?何も決めないで来たのか?
それじゃほとんど家出じゃねぇか。

仕事はあるのか?仕事もみつけて無いのか?

親は知ってるのかよ?」

呆れた顔でアタシを見ながら男はどこかに電話をかけている。

「例の昼間のバイト、女の子でもいいよな?」

それってアタシのことかなぁと思いながら男を見ていた。

高そうな服、高そうな時計、高そうな靴。
スーツには不似合いの少しだけ長い髪。
綺麗な横顔。
そして長くて細い指。

背が高いせいか少しだけ猫背で広い肩幅。

まるでファッション誌から抜け出たようなスタイルをしている。

切れ長の瞳が冷酷で少し怖そうに見えるが
ものすごくカッコよかった。

「お前、うちのカフェでバイトしないか?」

「カフェ?」

カフェの店長にしちゃ働きにくそうな無駄に高いスーツを着てると思った。

「カフェって?」

「カフェって言っても夜は酒を出す所だ。
でもお前は未成年だから昼のバイトだ。
カフェとかでバイトとかした経験はあるか?」

「ファストフードの店で働いてた。」

「ファストフードね…ま、いいだろう。
接客経験はあるんだな。

住むとこも付けてやるよ。
もちろんタダじゃないから真面目に働けよ。」

まるで夢のような話だ。

だけど何もかも上手く行き過ぎて不安になる。

送ってやると言ってたけど
この男も優しく送る振りをしてアタシをどうにかするんじゃないだろうか?

それがアタシのいる世界では日常茶飯事だった。

「あ、俺は浅生ハルキ。これからお前が働く店のオーナーだ。」

「働くって…あの…一度お店見てから決めてもいいですか?」

そのカフェってのももしかしたら普通のカフェじゃないのかもしれない。
男に身体を使って稼ぐ仕事だったらどうしよう?

いくらなんでもそんな風には生きたくない。

「あぁ、もちろん。今から行くから付いてこい。」

少し歩くと黒塗りの大きな車から運転手らしき男が出てきて男のためにドアを開けた。

「カフェまで。」

「かしこまりました。」

アタシは今まで乗ったこともない高級車で海辺のカフェまで連れて行かれた。

「降りろ。」

そこにはガラス張りのテラスがある、いかにも海の香りのしそうなお洒落なカフェが建っていた。

「こっち来い。」

ドアを開けるとそこはまだオープンしていなかった。
内装はほとんど出来上がっていて電気の工事をしてる人と
カフェの責任者らしき男が話していた。

「ジョウ。昼間のバイト連れてきた。」

紹介されたのはこちらも簡単には近づけそうもないちょっと怖そうな男だった。

真っ白なシャツのボタンを3つも開けてその鍛えられた胸板が少しだけ見えた時はドキッとさせられた。

オーナーに負けないほど背が高く
長い髪を1つに縛ってワイルドな感じのする髭がよく似合っている。

よく見るとその風貌には似合わない澄んだ綺麗な眼をしていた。

「この子、どこで拾ったんですか?」

まるで人を捨て猫扱いだ。

「駅前で男に薬嗅がされて旅館に連れ込まれるとこだったよ。
俺が居なきゃどうなってたか…。」

「あぁ、あれ常習犯ですよね。
最近、連続してあったみたいで…
この前も似たような被害にあった子が居たって。
まだ捕まって無かったんですね。

ハルキさんが捕まえたんですか?」

「ああいう輩は放っておいちゃならんだろ?」

「さすがですね。

お前、名前は?」

ここの人たちは、いきなりアタシをお前呼ばわりだけど…

澄んだ眼をしたその男がアタシを真っ直ぐに見つめて名前を聞かれたその瞬間、何とも言えない感情がアタシの胸を突き動かした。

「…ジュン、鮫島ジュンです。」

「俺はここのマスターの藤嶋です。よろしくな。」

握手を求めてきたマスターはオーナーとはまた違うゴツい大きな手をしていた。

「じゃ、面倒みてやってな。

それと…ジョウの隣の部屋、この子に貸すから引っ越し手伝ってやって。

て言っても今は何にも荷物ないけどな。」

「家出かよ?」

「違いますよ。全部捨てて来たんです。」

「結局家出みたいなもんだろうが…」

そしてアタシはオーナーに部屋を案内された。

思ったよりずっと良いところでアタシは家賃が心配になった。

「こんなところ…借りられませんよ。
お給料そんなにいいんですか?」

「ここは社宅。
従業員はものすごーく安く借りられるから心配するな。
ちなみに家賃は給料から天引き。

もちろん辞めるときは出てってもらう。
3ヶ月はバイトで、頑張ったらその後社員にしてやる。
遅刻厳禁。無断で休んだらクビ。わかったな?

契約書は後で渡すからサインしてジョウに渡しとけ。
履歴書も一緒にな。

他に聞きたい事は?

そうそう、一番大事なこと忘れてた。
給料は…」

オーナーは契約の事を一通りしゃべると

「また明日。」

と帰って行った。

アタシに何の見返りも求めずに
世話だけやいて、高級車に乗って姿を消した。

アタシは何も無い部屋に寝転んで
ママの事を考えていた。

心配などするはずも無いが、手紙ひとつで飛び出した事を少しだけ後悔していた。

少したつと疲れからか知らないうちにウトウトしていた。

突然、ドアのベルが鳴って飛び起きた。

来訪者はさっきカフェで会ったマスターだった。

「ハルキさんから頼まれた。何も食って無いんだろうって。
俺、隣の部屋に住んでるから何かあったらいつでも言えよ。」

マスターが持ってきたのは食べ物と布団一組だった。

アタシは初めて触れた優しさとママを捨てた寂しさからその夜一人で泣いた。

泣いてるうちに色んな気持ちが混ざって
涙が止まらなくなった。

春の風が吹く切ない夜だった。

アタシはここに自分の居場所を見つけられるのだろうか?

明日からは違う人生を生きられるだろうか?

そしてアタシはいつのまにかまた深い眠りについた。

これがアタシがオーナーとマスターに初めて逢った夜の事だった。
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