愛しい人
「あの、すみません」

 カウンターの奥にいた若い男性店員に声をかける。

「はい。いらっしゃいませ」

「あの、小石川さんは今日も出勤されていないんですか?」

「……ええ、おりません」

「そうですか。次はいつ出勤されますか?」

そう純正が聞くと、男性店員の表情はあからさまに顔をしかめた。

「申し訳ございませんが、そういったことはお答えできません」

 当然だろう。今の時代、個人情報の取り扱いはとても厳しくなっている。あまりしつこく聞くと、不審者扱いされかねない。

「わかりました」

 会えないのなら、電話かメッセージを送ることにしよう。本当は直接話したかったのだが仕方がない。

「ご用はそれだけですか?」

 男性店員にそう聞かれ、純正はジャスミンの花束を注文した。まだ、活け替えるのには早いのだが、冷やかしで店を出るわけにはいかない。

「承知いたしました」

 純正は仕方なく花束が出来上がるのを待つことにした。他の客の邪魔にならないように店内の壁際に寄る。すると、ポケットの中のPHSが鳴った。

出てみると、同僚の外科医からだった。緊急オペが必要な患者がいるから至急戻ってきて欲しいという。

「すみません。この花束なんですが、病院へ配達していただけますか?」

「はい。できますが……」

「では、ここにお願いできますか?」

 純正は自分の名刺の裏に茉莉花の部屋の番号を書いた。

「これを見せれば入れるはずですから。お金はここに置きます」

早口でそう言うと一万円札をカウンターに置き、踵を返して店を飛び出した。


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