どうしてほしいの、この僕に
 おごってもらう機会などめったにない私にたったの2杯でやめておけとは稼いでるくせにケチな男だ、と威勢よく言い返してやりたかったが、戸の開く音に邪魔される。
「あれー? 未莉ちゃん、飲んでる? 次の飲み物注文した?」
 西永さんが私の隣に腰をおろし、馴れ馴れしくすり寄ってきた。目を見開いて向かい側を見ると、だから言っただろうとばかりに冷たい表情のイケメンが小さく嘆息を漏らす。
「あ、すいません。お手洗いに行ってきます!」
 こういうとき愛想笑いでも浮かべられたらいいのだけど、それもできない私はそそくさと席を立った。

 もう謝罪はしてもらったし、オーディションの合否を教えてくれるわけでもなさそうだし、このまま帰ってもいいのかな、とトイレを出た私はすっかり逃げ腰になっていた。
 西永さんのことは嫌いではない。むしろとてもすてきな年上の男性だと思う。だけどアルコールの力を利用して接近されるのは、はっきり言ってうれしくなかった。
 でも何も言わずに帰るのはよくないか、と思い直して個室へ戻る。引き戸に手をかけたところで、私は硬直した。
「やっぱり笑顔がないと使えないわ。せめてグラビア系で売り出せたらなぁ。でも彼女、そっちの路線も無理だな」
 ——彼女って、私のこと……?
「西永さんにとってタレントは商品かもしれませんが、気分が悪くなるので、僕の前ではそういう言い方やめてください」
「でも実際商品だろ。優輝だって自分のことをそうやって言うくせに」
「事実かどうかではなく、僕は西永さんの口からそういうことを聞きたくないだけです」
「まーたはじまったよ、優輝の説教が」
 ——笑顔がないと使えない……?
 心がショックで麻痺したみたいになって、何も考えられなかった。戸を開ける勇気がない。茫然としている私の背後に突然人の気配がし、誰かが私の代わりに戸をノックした。
「失礼します。そろそろ優輝を返してもらいますよ」
 肩越しに振り返ると、後ろにいた男性が不敵な笑みを浮かべて私に目配せした。
「高木くん、迎えに来るのが早すぎるよ。未莉ちゃんだって今戻ったばかりだし、楽しい時間はこれからだよ。そうだ! 今日は高木くんも一緒に飲もうよ」
「いいえ、私は運転手で、優輝は明朝に仕事が入っていますので、これで失礼します」
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