どうしてほしいの、この僕に
「さ、どうぞ。男のひとり暮らしでむさくるしいところですがご容赦ください」
「え、いや、その……私は」
 あまりにもいきなりな展開で頭は真っ白になった。固辞するために慌てて口をパクパクするが、そんな私を見て店長は「ああ」と合点がいったような声を出した。
「これは失礼しました。自己紹介もまだでしたね。私は森岡と申します。モリオカユウキの父です」
「え……っと、あの、モリオカユウキって……」
「そう、最近俳優とかやってるあの守岡優輝」
「な……、えっ、ちょっ、待ってください」
「あなたのことも知っていますよ、柴田未莉さん。シバ通運送のお嬢さんですね」
 店長は笑顔でさらりとそう言うと、自宅の上り口で私にスリッパを履くように促した。
 それでも私は玄関の戸を背にしたまま立ちすくむ。
 待て、落ち着け、まず頭を整理しろ。えっと、目の前にいるのは優輝の父親だ。ということは、つまりここは優輝の実家——。
「いやでも私、そんなつもりで来たわけじゃなくて」
「あなたにお見せしたいものがあるんです」
 私の胸の内を見透かすような穏やかな微笑みを浮かべて、優輝の父親は再度「どうぞ」と言う。
 断って引き返すこともできたが、好奇心には勝てなかった。おそるおそる優輝の実家に足を踏み入れる。
「あの、優輝さんは最近帰省されていますか?」
 いくつかのドアの前を素通りし、突き当たりの階段をのぼり始めた優輝の父親の背に思い切って問いかけた。
「いいえ、大学に進んでからは一度も戻って来ていません。電話すらかけてこない。何をしているんだろうと思っていたら『テレビに優輝が出ている』と沙知絵ちゃんがウチに飛び込んできて、あのときは本当に心臓が止まるかと思いました」
 沙知絵ちゃんというのは誰だろう。よくわからないが、実家に何も連絡しないままデビューしてしまったのは事実らしい。
 しかし優輝が一方的に捨てたと宣言しているだけで、過去は現在とリンクしている。当たり前のことだが、それを知った私は不思議とホッとした気分になる。
 階段をのぼりきると、優輝の父親はひとつのドアの前で立ち止まった。
「帰ってくる気はないのかもしれないけど、なんとなくそのままにしてありました。今日あなたがここに来ると知っていたら、アイツのことだから片付けてしまったかもしれないが」
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