どうしてほしいの、この僕に
「未莉ちゃん、留守番よろしくね」
 高木さんの爽やかな笑顔につられたのか、私は反射的に「はい」と返事をしていた。

 朝食が終わると高木さんは慌ただしく帰っていった。
 時計を見るともうすぐ会社の始業時間だ。
「今日は会社、休むだろ。電話しなくていいの?」
 優輝が私の心を読んだらしい。
 ケータイは優輝の充電器を借りることができたので、フル充電されている。それを手に取って画面を操作し始めると、優輝は気を利かせたのかリビングルームを出ていった。
「もしもし、おはようございます。柴田です」
『あれ、柴田さん? 今日はお休みですか?』
 会社の所属部署直通番号へかけると、向かいの席の友広くんが出た。なぜか背筋に緊張が走る。
「そのことで……課長に電話を取り次いでもらいたいのですが」
『どうかしましたか? 欠勤なら課長には僕から伝えますよ。それとも何か僕に言えないようなこみいった事情ですか?』
「あの、少し困ったことが起きて……課長と直接話をしたいのだけど」
『困ったこと? 熱で起き上がれないなら、僕、お見舞いに行きますよ。買い物とか任せてください』
「いや、そうじゃなくて……課長は?」
 なかなか受話器を離そうとしない友広くんに少し苛立つ。火事のことを友広くんに伝えると今日の午前で社内中に知れ渡ってしまう気がした。
 しかし次の瞬間、甘い囁きが私の耳をくすぐる。
『未莉さん、僕に言えないようなこと?』
「いや、あの……」
 心臓がドキッと音を立て、返事に詰まった。そこへ背後からのんきな声が割り込んでくる。
「未莉、これ洗濯していいのか?」
「え? ちょっ! それ、待った!」
『未莉さん?』
 訝しげな友広くんの声が耳の奥に響く。でも、私の目の前にはもっと深刻な緊急事態がぶら下がっていた。
「洗わねぇの?」
「それ、どこから持ってきたのよ!」
 優輝が手にしている褪せたピンク色の布地、あれはどこからどう見ても私の安物パジャマ……!
『未莉さん、今、誰と一緒にいるの?』
「だから、早く課長に取り次いで!」
『……はい』
 言ってからハッとしたがもう遅い。年下とはいえ正社員である友広くんに、しがない契約社員の私がぞんざいな口の利き方をするのは失礼だ。
 口に手を当てて、どうしようと考えていると、視界の端で優輝がクスッと笑った。
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