愛は尊い
操のお父さんは
まだ社長職ではなく
操のお爺さんがいた頃
操のお父さんは
仕事に没頭するあまり
だんだん、日本から海外にいる時間の方が長くなっていき
操さんとの距離も空いてしまったと、
操さんのお爺さんは
そんな操さんを不憫に思い
勝田さんを母親代わりにと
世話をさせていたという
けど操さんは
どんなに勝田さんがお世話をしても
心を開くことはなく
次第に言葉も少なくなっていった
「操と顔を合わせても、会話すらしなくなった。それに気がついたのは、操が高校受験を迎える年だった」
操さんのお父さんは
昔を懐かしむような、
でも、とても悲しい顔をしている
「このままじゃ、ダメだと思った。だから教員免許を持っていた友人の紹介で、果歩に操の家庭教師を依頼したんだ」
受験もあったから、と付け足した