銀木犀が咲く頃に
序章

変わらない日常

「ん〜、いいにおい!これ、なんの花だ?」
「澪、知ってるよ!これは、銀木犀の香りなんだって!お父さんがいってた」
「へえ〜。そうなんだ」
小学生の男女が二人。登校中に立ち止まり、そんな話をしている。
「ほら、あれ!あそこのお家に木があるでしょ?あれだよ」
「木になってんだ。なんかつまんねー」
「なんでよ」
男の子の言葉にムスッとしてそういう女の子。
「だって花が良く見えねえじゃん。あっ、それよりさ」
「?なに」
ニヤニヤとこちらを見てくる男の子を見つめて不思議そうな表情をする少女。
「いつものあれは?」
「あれ?⋯⋯」
「澪の花言葉タイムだよ」
「⋯⋯⋯⋯」
そういわれて押し黙る少女に少年は不思議そうな顔をしたがすぐに笑ってみせる。
「まあ、澪にもまだわからない花言葉はあるよな。今度、教えてくれよ」
そういうと女の子の頭をポンポンと叩くように撫でて先に駆けていってしまう男の子。
「ちょっと、待ってよ慧斗!」

それは二人が小学生であった最後の日のこと⋯⋯。




「⋯⋯⋯⋯澪⋯⋯澪⋯⋯」
「ん?なに⋯⋯」
「起きなさい、遅刻するわよ!」
布団にくるまっているとお母さんが部屋に入ってきて大きな怒声でそういってくる。
「わかってるよ⋯⋯」
そういって布団の中で体を丸めて耳をふさぐ。
学校なんて行きたくない。学校に行くくらいならお母さんやお父さんに叱れる方がまだましだ。
「ちょっと澪聞いてるの?あなた最近どうしちゃったのよ。毎日遅刻ばかりして」
「⋯⋯⋯⋯」
「澪、答えなさい!」
枕もとに置いていた携帯が振動する。
手に取ってみてみるとメールが届いていた。
〈発信者:慧斗 澪、昨日も言ったけど無理して来るなよ〉
布団の中の暗闇でぼんやりと光る携帯の画面を見ながら苦しくなった。
こんな風に言われたら⋯⋯
「⋯⋯⋯⋯」
「澪、やっとでてきたわね。ほら、はやく準備して。そうやって遅刻ばかりしてたら星海学園には行けないわよ」
「⋯⋯わかってるよ」
「⋯⋯そっ。ならいいけど」
そういうとスタスタと去っていく母さん。
星海学園というのはこの近辺では一番頭のいい高校のこと。母さんはいつも星海をでたらいい大学に入って、それから一流企業に就職して親孝行してくれと口癖のようにいう。
第一、親孝行など言われてやるものではないのに。
中学校の制服を着て鏡を見てみると『死んだ魚』のような目をした私がいた。これはクラスの女子の受け売りで、この間トイレに入っている時に聞こえてきた。
別にいいけど。勝手に言えばいいよ。

そんな心の中の独り言とは正反対に心はズキズキと傷んだ。




学校に行くと、私は大抵席から動かない。
教室を歩くことすら怖かった。
みんなが私を見ているような感じがして、視線が突き刺さるような感覚がした。それは『立ち上がり歩く』というごく普通の行動をするだけで増しているように感じた。

教室にいると息も上手くできないように感じる。
休み時間も、強いては授業中もずっと下を向いてすごした。
そんな学校生活はひどく辛かった。




放課後。
ホームルームが終わるとすぐに教室を出て逃げるように下駄箱に向かう。
大抵の女子はホームルームが終わっても友達とだべっている。急いで帰れば彼女達と無駄に関わる必要もない。だから⋯⋯
「よっ」
そんな声と共に急ぎ足の私の制服のくびねっこをつかまえる人。
私にこんなことするのは、ただ一人。
「慧斗、離してよ。それに、いつもそれやめてっていってるじゃん」
そういって慧斗の手を離させようとするが、背の低い私が背の高い慧斗に対するのはなかなかに不利で、うまくその手をはずさせることができない。
「一緒に帰ろうぜ」
「⋯⋯ごめん、私、急いでるから」
「なら急いで帰ろうぜ」
そういって悠々と歩き出す慧斗は何も持っていない。
「え⋯⋯慧斗、リュックは?」
「ん?ああ、あとから取りに戻ればいいだろ。それに今日部活あるしどっちにしろ戻んなきゃなんねえ」
「それダメでしょ!?慧斗、ちゃんとしなよ」
「ちゃんとしてるっつのー。ほら、急ぐんだろ。行くぞ」
「⋯⋯っ。⋯⋯⋯⋯わかった。急ごう」
慧斗は可哀想な私に気をつかってくれてる。
それをわかってて甘える私は最低⋯⋯だよね⋯⋯。




「俺らもう中三なんだよなー。はやいもんだな」
「⋯⋯だね」
えんせきの上を歩きながらそういう慧斗に俯きながら小さく頷く。
「小学校の頃あったよなー。くさぶえ運動って」
懐かしい言葉に思わずクスリと笑う。
「よく覚えてるね。なんだっけ、『く』車の前後を横断しません『さ』左右確認忘れません『ぶ』⋯⋯」
私が口ごもると人差し指をたてて
「『ぶ』ふざせたり飛び出したりしません『え』えんせきの上を歩きません⋯⋯」
と最後までいいきりドヤ顔をする慧斗。
「ははっ。慧斗完璧だね」
「もっと褒めてくれていいんだぞ〜」
「ははー、遠慮しときまーす」
「おい」
慧斗と二人で話していると自然体でいられる。
教室で俯いている私とこうやって笑いながら話している私。
どちらが本当の私かなんてわからないけれど、今の私が本当の私だったらいいなあ⋯⋯。

小学校の頃から私は人と関わるのが苦手だった。自分から話しかけるのなんてもってのほかだし話しかけられても緊張して上手く喋れなかった。
中学校に入ってもそれは変わらなくてそれなりに話す子はいても本当に友達といえる子ができたことはない。
でも、そんな私にも、慧斗がいてくれた。
慧斗は私が触れて欲しくないことに触れることは絶対にない。いつも明るく話して私を笑顔にさせてくれる。
でも真剣な話をすれば、ちゃんと聞いて一緒に悩んでくれる。
そんな、大事な、私の幼なじみ⋯⋯

「よーしっ。あの夕日に向かって走ろうぜ、澪!」
そういってえんせきを飛び降り駆け出す慧斗。
「⋯⋯⋯⋯」
「おーい、はやく来いよ、澪!」
そういってこっちに手をふる慧斗の背後で大きな夕日が顔をだしている。
まぶしい。夕日も、慧斗も⋯⋯。

私はそろそろ慧斗を卒業しなくちゃいけない。普段から胸の端っこにあるその感情が途端に大きく膨れ上がってきた。
「慧斗!もう大丈夫!もう、大丈夫だから」
そういうとクルリと後ろを向いて走り出す。苦しくて自分でもどうすればいいのかよくわからなくて普段以上にうまい言葉が出てこない。いきなりこんなこと言い出して訳わかんないよね。

「澪!」
走り出して数分もすると慧斗に手首をつかまれ立ち止まる。
どういう意味だよって聞かれたらなんて答えればいいんだろう。
⋯⋯いや、私はその答えを知ってるけど言葉にはしたくないだけなんだ。

なんにしろ私は本当に甘ったれた慧斗の隣にあるべきじゃない存在だ。

「慧斗、本当にもう大丈夫なの。だから⋯⋯」
「一緒に月峯高校に行こう」
「え⋯⋯」
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