ぼくは神様
ハチ、登場
「ウーちゃんはにんじんが一番好きだね」
「やっぱり違いのわかる男だな、コウタは」
 今日一日、誰も教室内野球をしなかったし、授業中のお喋りもなかった。最初は教卓や時計の件もいたずらの一つだと疑っていた高山だったが、一日が終わるとほっとした顔をして教室を去った。優しいというよりも、気が小さいのかもしれない、と高山メモに記入しておいた。
「ねえお兄ちゃん、リカって子と何かあったの?」
「・・・内緒だぞ?里村にな、ラブレターをもらったことがあるんだ。初めてのことで予想もしていないことだったから驚いたよ。でも、はっきり言わないと、って決心がつくまで一ヶ月くらいかかったなあ」
 確か、ニンゲンの法律では成年は未成年と恋愛関係に陥るのは禁止されているんだっけ。ぼくはその感情がわからない。ぼくより(実際は)年下の女子がその感情を持っている。ぼくはそれを相手に伝える術さえ知らない。女子って、やっぱりすごいな。
「ぼくは教師で君は生徒だから、君が望んでいるような関係には決してなれないし、君と同じ感情をぼくは持っていないって伝えたんだ」
「結構はっきり言うね・・・」
 どこまで正直な男なんだ。普通に断ればいいものを、そこまで痛めつけられたら、反抗したくもなる・・・のかなあ。
「はっきりさせたほうが里村のためだと思ったんだ。そういえば、クラスが荒れ出したのもその頃からだったような・・・」
「もっとうまくやんないと」
「苦手なんだよ、そういうの。それより、今日のクラス、雰囲気が変わりすぎだよな。女子は大人しくなったし男子は妙に固まってるし。お前、何かしたのか?」
 ぼくは大げさに首を振って言った。
「ほら、机、叩き壊したでしょ。あれが効いているんじゃない?」
「そうなのかなあ」
「たまには壊すべきかもよ」
 高山はウーちゃんから目を離して夜空を見上げ、もうすぐ月が満ちるな、とつぶやいた。ぼくには円に見えるけど、高山の目にはまだ欠けて見えるんだ。
ああ、遠いところにあるなあ。

 夜、何かの擦れ合うバサバサという音に気付いて目を開けると、連絡係のハチドリがオーロラヴィジョンをくわえてぼくを見下ろしていた。ついに見つかってしまったのだ。ハチドリは神からのメッセージである旨をぼくに告げ、ヴィジョンを開いた。同時に映像と音声が始まる。
「パパです。事情は聞いたよ。連絡もなしに下界へ降りるのはマナー違反だとわかっているね?№096―2452671のサードGTは残り三日だと聞いている。まだ不十分であることは君も気付いていると思う。三日で結果を出せない時は№096―2452671のLSを縮める予定だ。君の成功を祈っている」
 プツっと音がしてヴィジョンが暗転した。
「ねえハチドリ、神界はぼくを探していたの?」
「さあ・・・あっ大騒ぎでしたっス。いやー、オレッチもあなたを探すよう命じられてずっと寝ずに、」
「なるほどね。ぼくが降りたことを知っていたのにパパは放っておいたんだね。どうりで連絡が遅いわけだ」
「違うっスよ違うっスよ」
 ハチドリは興奮して部屋中をバタバタと飛び回った。
「しぃーっ。みんな起きちゃうよ」
「大丈夫っス。ニンゲンには聞こえないっス。オレッチは余計なこと何も言ってないっスからね」
「わかってる。全てぼく自身の憶測だよ。君は・・・何て名前、」
「ハチっス」
「・・・ハチはこっちにはよく来るの?」
「たまーにっスね。任命があれば来るっス」
「ハチのママはこっちにいるの?」
「いるっスよ。いるっスけど、オレッチのことはもう忘れちゃってるっス。時間があれば様子見に飛びますけど、まあ虚しいんであまり・・・」
「何で覚えてないの?」
「記憶を消されちゃったからっス」
「何で消されたの?」
「それは、」
「ハチ?」
 ハチが異変に気付いて口を閉じた。ハチの視線の先にもう一匹のハチドリが現われた。
「ハチ、お前余計なことをベラベラ喋るな!転生できなくなるぞ!」
「それまずいっスまずいっス。それじゃ息子さん、バイバイっス」
 パチン、とシャボン玉が割れるように二匹の姿が消えた。静寂の闇の中に、照明器具がほの白く浮かんでいる。
 ぼくが今こうしているのも、ママに会ったのも、全てパパの計画だ。記憶が消されたママの元に、どうして?
「コウタ、もう起きなさいよ。今日は可菜子ちゃんが来るんだから、ちゃんと挨拶してね?可菜子ちゃんは、融にはもったいないくらいかわいいのよ」
 天井の方からママの声。そして開け放たれるカーテンと窓。ずっとこんな毎日が続いてきたみたいな錯覚。
あまり眠れなかった。あと三日でここを去ることが、急に現実となってぼくの胸に迫った。
「あらあら甘えん坊さんねえ」
 ママに抱きつくと、ママはぼくを抱きしめてくれるのに、もっともっと寂しさは増していく。ずっとここにいたい、と言ったら、それは許されるの?
「ほらもう着替えてキッチンにいらっしゃい」
 ママが離れていく。ぼくから離れていく。笑いながら、でも確実に。
「怖い夢を見たのね。大丈夫、すぐに忘れるわ」
 これがぼくの現実だと思いたい。ぼくが神の子だということを忘れてしまいたい。こんな弱いぼくが、神の子だなんてきっと嘘だ。
「コウタ、しっかりしなさい。男の子でしょう?そんなんじゃだめ。男の子は女の子を守れるよう、強くなくちゃね」
「そうだね、ママ」
「じゃあ顔洗って、ご飯食べるのよ」
 扉の閉まる音。遠ざかっていく足音。冴えてくる思考回路。ぼくは寝ぼけていたんだ。懐かしい夢を見て。幸福すぎる夢から覚めたくなくて。
 二階からキッチンへ下りると、食事を済ませた高山が新聞を読んでいた。いつもどこかに寝癖のついている髪もきちんとセットしてあるし、アイロンがきっちりかかった白と水色のストライプシャツなんて着ちゃってる。平日より明らかにめかしこんでる・・・。
「コウタ、今日の融、いつもと違うと思わなーい?」
 ぼくのコップにオレンジジュースを注ぎながらママが言った。
「可菜子ちゃんが来る日は、学校に行く時より早起きするのよ。もう二年も付き合っているのにねー」
「母さん、うるさいよ」
「あら、聞こえちゃったのねー」
 高山は、誰が見てもすぐわかるくらいソワソワしていた。見ている側が微笑んでしまうくらいに。これが“レンアイ”という感情の流れなのか?楽しそうで嬉しそうでぴかぴか光ってる。だからGT=レンアイという方式は固いんだな。
「こんにちはー」
「あら可菜子ちゃんだわ」
 ママが玄関へ向かう。高山も慌ててあとを追う。
「いつぶりかしら。お仕事忙しかったの?本当に久しぶりね」
「おばさまお久しぶりです。会社の同僚が急に退職してしまって、その子の分までお仕事していたので・・・」
「そおなの?まあまあ大変ねえ」
「あの・・・?」
 リビングに入ってきた高山の彼女は、ぼくを見て立ち止まった。ぼくも、彼女の雰囲気がママにそっくりで驚いて見つめ返した。
「この子は従兄弟のコウタ。両親が出張中でうちで預かっているんだ」
「こんにちは」
 ぼくが挨拶をすると、彼女もにっこり笑ってお辞儀をした。笑うと顔がくしゃってなってえくぼができるところまで似てる。ニンゲンは親と似たところを持つ者に惹かれる傾向があるらしい。でもぼくはその微笑の中に、決意に似た悲しみが混じっていることを見逃さなかった。
 高山(父)とママ、高山とその彼女とソファでお茶を飲みながら話をしている時も、ぼくは何だか落ち着かなくて、ストローでコップの中の氷をずっとつついていた。高山(父)もママも笑っていて、でも彼女は笑っていなくて、高山も違和感に気付いている感じ。ぼくは喉の下のあたりがムズムズ。これは何という感情だろう。不安で、嫌な感じだ。
少し観察していると、バラバラでフラフラで、この二人の土台は今にも崩れそうなんだってわかった。二人とも押したり戻したりしすぎてどうしたらいいかわからなくなっちゃってる。
二人が壊れることが、高山にとっては良いこと?長い長い目で見てそうだったら・・・?ぼくは想像した。でも、違った。それはあるべき未来から外れている。ぼくにはわかる。でもなぜ?“ぼくにはわかる”
「パパとも話していたんだけど、私たちが言うようなことじゃない、とは思うの。ねえ、融?」
 ママが彼女の目を見た。高山(父)も頷いている。
「そろそろ結婚、」
「母さん、それはぼくたちが決めることで、」
 高山が押しとどめるように言った。彼女の顔を見ないようにしているのがわかる。彼女が顔を上げる。責めるような、懇願するような、必死な目をしていた。なのに、高山は言わない。言おうともしない。沈黙を破ったのは彼女だった。
「すみません、急に用事を思い出して、」
 言いながら立ち上がり、嗚咽をこらえながらふらふらとぼくの横を通っていった。高山(父)は無言で高山を睨み、ママは慌てて席を立とうとしたが、高山(父)の手で引き戻された。
「融、」
 高山(父)が強い声で言うと、高山はうなだれていた頭を何とか起こし、彼女のあとを追った。ぼくもそのあとを追った。玄関ホールの少し手前で高山は彼女の腕をつかんだ。彼女は泣いていて、その目の中の決意は一秒ごとに増しているように見えた。とその時、玄関のドアが勢いよく開き、ダミ声が響いた。
「コータ君いますかー!」
 山中と田中だ!タイミング違う!
「・・・ん?」
 さすがの山中と田中もこの異常な雰囲気を察知したらしく、三秒くらい黙ってはいたが、
「あーっ、先生が女泣かしてる!」
 と山中が叫ぶと、田中も(なぜか)臨戦態勢に入った。
「俺らには女子を泣かすなんて男としてよくないな、なんて言ってたくせによー」
「自分こそ泣かしてんじゃん。ずるいぞー」
 二人が来ることを(当たり前だけど)知らなかった高山はますます狼狽し、二人と彼女を交互に見た。
「そうだよお兄ちゃん、最低。先生としてより人間として。自分ができないこと、ぼくらに言うなんてさ」
 高山はハッとしたようにぼくを見て、そして彼女に向き直った。
「先生、本当はつえーんだろ?今は前みたいに弱っちく見えるぜ」
「お兄ちゃん、今足りないのは、勇気」
 ぼくはそっと囁いた。大丈夫、高山は弱くない。
「可菜子、こんな時にあれだけど、今まで悲しい思いさせてごめん。本当は俺もずっとそうしたいと思っていたんだ。ただ不安で・・・俺が君を支えていけるのかなって。でも、君がいなくなってしまうのは絶対に嫌だ。だから・・・結婚して下さい」
 彼女が潤んだ瞳を上げ、はい、と返事を・・・するかと思いきや、
「この優柔不断男!」
 という怒声とともに、怒りの鉄槌が高山の左頬に炸裂した。一瞬、その場にいた男共全員が口を閉じるのを忘れた。
「遅すぎる、本当に。みんなに後押しされてやっとじゃない」
「ごめん、」
 高山は泣きそうだ。
「別れようと思ったけど・・・そんなんじゃ心配だよ。仕方ないから結婚してあげる」
 彼女はにっこりと微笑んだ。氷が春の風に溶けていくように、高山もゆっくりと笑顔になった。
「ちゅーしろよちゅー」
 山中と田中が騒ぎ出したから、二人を無理矢理リビングの方に引っ張っていくと、盗み聞きをしていたママと高山(父)と目が合った。ママと高山(父)はぼくたちをリビングに入れ、そっとガラス扉を閉めた。全てがあっという間で、ぼくは何だか拍子抜けしていた。
「やっぱ女ってこえーわ」
「強い先生があんなに弱くなるなんてよお、何だか親近感沸くよな」
 そして二人はどうして先生と一緒にいるのかとしつこく聞いてきて、説明するのも面倒で黙っていると、ママが
「ウーちゃん見せてあげたら?」
 と助け舟を出してくれた。にもかかわらず山中が、
「この前も言ってたよな、ウーちゃんってさあ。うまいのかよ。早く食わせろよ」
 と言ったから、本気でぶん殴ろうと思った。こらえたけど。
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