何度でもあなたをつかまえる
「……天使の喉を痛めないといいけど。」

アンナの奔放な人柄はともかくとして、美しいメゾソプラノは素直に賞賛しているかほりは心配のため息をついた。



もう1人の同居人のアンナはオランダ人だ。



留学するにあたり、かほりの父は、信頼を寄せるクルーゲ先生を通して学校でルームメイトを探してもらった。

お姫さま育ちで、家政の一切をお手伝いさんに任せている母は、娘に2年間のホテル暮らしを勧めた。

だが、一応人並みに独立心はあるかほりは、料理に対する憧れもあり、一人暮らしを望んだ。


結局、家族の意見を折衷して、家賃の半分をかほりの親が負担する代わりに掃除と洗濯を引き受けてくれる同居人を探すことになった。



すぐに同居人は決まった。

オランダ人のアンナと、日本人の空(そら)。

当然、2人とも女性だと思っていた。

まさか、空が男だとは思わずに、かほりは意気揚々とドイツにやって来た。




音楽大学からさほど離れていない完全防音の部屋は、相場より高いけれど中世っぽい厳かな外観と最新設備を兼ね備えたケルンらしい建物だった。


「おー!待ってたで!かおり?俺、武井空。よろしゅう。」


玄関の戸を内側から開けて迎えてくれたのは、どこからどう見ても男……切れ長の黒い瞳が印象的な、なかなかのイケメンだった。



……いやいやいや、雅人(まさと)のほうが、はるかにカッコイイし!

心の中でそう思い直して、かほりは言った。


「……ごきげんよう。橘かほりです。はじめてお目にかかります。……そら……くん?すみません、おそらく、学校があなたを女性と勘違いしたんだと思います。すぐに、連絡して、別の部屋を斡旋してもらえるように頼みますね。」

いつも通り、よそ行きの笑顔を貼り付けて、かほりはそう挨拶した。

空は、ぶはっと吹き出すように笑った。


「想像通り、めっちゃお嬢さま!……家賃半分出してくれるって、どんな金持ちかと思ったけど、やっぱりな~。」

揶揄されていることに多少ムッとしたけれど、かほりは笑顔をキープして続けようとした。

「その件につきましても善処できるよう、父と相談を、」

「いいから、入りぃな。ようこそ、俺らの城へ。……あ、そや。ドミトリーは男女共同やで、どこも。」

かほりの言葉を遮って、空はにっこりほほ笑んだ。
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