榎本氏
 さて、嶋田麻呂殿は、毎夜仁姫が寝てしまった後で、自分の身体に絡んでいた仁姫の手を外しては、蓮姫の寝室に逃げて行った。しかし、朝になると、兎に角一旦仁姫の下に戻ってきては、仁姫の機嫌をとっていたりしたために、仁姫には、夫が一晩中全く自分と一緒にいたようにしか思えなかったのであった。人を騙す時は上手く騙せ、などとは本当に上手く言ったものである。それでも、その後何年間か、仁姫は嶋田麻呂殿の息女を産み続けていたが、弟の英則殿から、慶子皇后崩御の知らせを聞くと、欲望の趣くままに、夫の言いなりになっている自分が、情けなかった。そのために、自身の身体の一部である、小さな桃色の蕾が毎日のように痛むことに、良心の呵責さえ覚えた。妊娠していたがために、慶子皇后の葬儀にも出席できなかったのだ。おまけに夫は、自分以外の女君との間にできた女児を、桓武天皇の妃にしたのだ。
 英則殿は、仁姫に必要なことを伝えると、大急ぎで節紫姫に文を出した。
 「徳川節紫姫様
 お変わりないでしょうか?なんと、慶子皇后陛下様が亡くなりました。
 喪が明けましたら、また歌の遣り取りなど、致しましょう。
 先日は、慶子皇后陛下様の葬儀へ共に出席していながら、言葉を交わせなかったこと、誠に淋しく思っておりました。」
 そして、慶子皇后の喪が明けると、榎本英則殿と節紫姫は、歌の遣り取りを再開された。節紫殿は、英則殿宛てに、歌をお詠みになった。

  五節舞
   教えし人を
  偲ぶれど
   未だに覚ゆ
   言の葉の種
 (慶子皇后陛下様に、五節舞を教えて頂いていた時のことが、どうしても偲ばれる今日この頃です。)
 
 英則殿は、歌をお返しになった。

  亡き人を
   偲べる人の
優しさに
 いかで答える
 言の葉の綾
 (お祖母様のことを、そんな風に思い出して下さるのは、感激です。お優しい心遣いに、どのようにしたら、お返しができるのでしょうか?)

 節紫姫のご返事があった。

  偽りの
   言の葉ならば
  不要なり
   綾ではなしの
   真ならでは
 (お言葉が言い繕うための偽りであるなら、不要です。心から、私と歌の遣り取りをされていて楽しいなら、私も遣り甲斐がございます。)

 英則殿は、再び歌をお返しになった。

  青海波をぞ
   乙女の舞と
  合わせたき
   親の教えを
   日々覚ゆるに
 (私の言葉に、嘘偽りなどありません。あなたの得意な五節舞と、青海波をいつか合わせたく思います。)

 節紫姫も、再度歌をお返しになった。

  幾度も
   后の教へ
  思へども
   己の舞の
   及ばぬとかは
 (慶子皇后陛下様の御教えを、何度も思い出してはいますが、今だに自分は御教え通り完璧には熟せていないようです。)

 時に、榎本英樹氏は、ご子息の英則殿に言われた。
 「そなたには、どうも最近、ご執心の姫君がいるようだな?歌の遣り取りを随分盛んに行っているように、見受けているが…。」
 「おやっ!お父様。どうして、そうお思いになるのですか?」
 「そなたは、私の子供だ。今はほとんど行動を共にしているではないか。行動を共にしていると、自然に自分の子供の考えていることや、やっていることを、理解できるものだ。」
 「お察しの通りです。お父様。実は、徳川家の節紫姫殿を、私の北方にお迎えできないかと考えていました。」
 「そなたが北方を娶るようになると、家督の相続など、私がそなたに譲るべきものがいろいろと出てくるぞ。そなたは、太郎君だから、北方と一緒になるにも、いろいろと付随して、忙しくなるぞ。」
 「…。」
 「英則。私はもう、五十を超えた。そなたに、榎本家の家督を譲る準備をしていきたい。」
 「お父様。私はまだ、そんな…。」
 「家督を譲るのは、早い方が良いのだ。私は、そなたに家督を譲るのと同時に、榎本家の後々のため、遺言状を作成しておこうと思ってのう。」
 「遺言状など、まだお早いのでは?」
 「英則。家督相続と遺言状作成は早い方がよいのだ。早めに準備に取り掛かっておけば、私がいざ急に倒れた時にも、そなたが慌てずに済もう。」
 「でも、お父様。私は今、お父様から教えて頂いている、武術だけでも、まだ不十分です。」
 「節紫姫とは、巧みに歌の遣り取りをしているではないか。武術は、今後もそなたには、厳しく仕込む。同時に家督相続の準備をする。遺言状は、徳川家や満田家とも協力し、家臣の下々まで考えた内容のものに作り上げる。それと、節紫姫殿を、そなたの北方に迎えるために、徳川家へ申し入れをする。これからすぐに、徳川家へ一緒に行こう。徳川殿は、きっと今頃、碁を打つ準備でもしているかもしれないな。龍之介殿と亀造殿、それに私は、若い時から碁を打つ仲間で、ずっと親友であった。そなたも龍一殿や亀仁殿と、良い関係を築け。今日のところはまず、徳川家を訪ねるとしよう。龍之介殿とご一緒に龍一殿もおられるかもしれんからな。」
 「はい。」
 「それと、今後は龍一殿や亀仁殿と一緒に、武術の稽古をするように。」
 「はい。」
 「青海波も一度、龍一氏や亀仁殿と一緒に舞ってみなさい。」
 「かしこまりました、お父様。」
 お二人は、徳川家を訪れた。徳川龍之介氏自ら、榎本英樹氏と英則殿を、出迎えられた。
 「これは、よいところへお越しになった。今丁度、龍一と碁を打っておりました。お二方もご一緒にやりましょうぞ。」
 和やかな雰囲気で、碁が打たれ始めた。まず最初に、英樹殿と龍之介殿が打ち、次に英則殿と龍一殿が打った。英樹殿が、龍之介殿に言われた。
 「ご息女の節紫姫殿のことですが、何とかご希望にそうことができることになりました。」
 「では、節紫姫は、英則殿と夫婦になれる、と?」
 「はい。」
 「それは、有難いことです。」
 「実は、親も知らない間に、二人でいろいろと歌の遣り取りが進んでいたようでして。」
 「そうでしたか。」
 「ただ、英則も武術の方は、まだまだ修行中です。明日も稽古がありますが、龍一氏もご一緒にいかがでしょうか?できれば、亀仁殿も、ご一緒だとなおよいのでだが…。」
 「私が、満田家へ使いをやりましょう。明日、榎本家の道場へ行くように、伝言しておきましょう。」
 翌日から、榎本英則氏、徳川龍一氏、満田亀仁氏、の三人で、榎本英樹氏の指導による武術の訓練が始まった。三人とも、武術の訓練には熱心であった。そして、姉の仁姫の悲しみを知りつつ、榎本英則殿も、八〇四年には、節紫姫殿と夫婦になった。英則殿と節紫姫殿との婚姻の儀式にあたっては、英則殿・龍一殿・亀仁殿の三人で、青海波を舞った。また、節紫姫の琴の音に合わせて、英則殿が舞ったりすることもあり、舞も琴の音も、この世のものとは、思えぬ見事さであった。節紫姫の琴の音色をお聞きになりながら、榎本英樹氏は、亡き北方・藤姫の琴の音色を思い出されていた。
 盛大な婚姻の儀式が終了した夜、榎本英則氏と節紫姫殿は、初夜をお迎えになった。お二人が、寝室に落ち着かれると、節紫姫が話し始めた。
 「私は行き遅れでしたけど、あなたのお蔭でたすかりましたわ。」
 「行き遅れなんて、別に関係ないでしょう。」
 「いいえ。大いに関係ありますわ。女は普通、今は二十歳前には結婚するものですもの。」
 「お母様の代とは違って、今は畠山氏の方が、女君が多いらしい。日中、私のいない時に、何か困ったことがあったら、畠山家の誰かに相談すると良いよ。」
 「畏まりました。」
 「さあ、こっちへ来て。」
 夫婦は、顔を見合わせて、笑顔を交わされた。
 その後、八〇五年には、お二人の間に最初のお子が誕生された。最初のお子は、女児であったので、一の君である。
< 17 / 27 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop