初恋
第九話 再会

 始業式が終了すると簡単な連絡事項とプリントの配布があり、その日は昼前で放課後となる。どの学校でもそうだが、通常のカリキュラムは夏休み明けの翌日からとなっていた。
 放課後、転入してきた直美の回りには男女問わず人だかりが出来ている。転入生が珍しいというだけでなく、直美自身のキャラが受けていると言った方が正しい。
 容姿を抜きにして、礼儀正しい所作と美しい言葉遣いに感心されている。お調子者の雄大は先陣を切って口説きにかかっていたが、やんわり断られ皆に笑われていた。
「修吾隊長。谷口一等兵、見事散りましてございます!」
「オマエは間違いなく二等兵だよ」
「おふぅ」
 机にうつぶせに倒れ込む雄大に苦笑する。直美は最初の挨拶時だけ修吾を見たが、それ以降こちらを見ようともしない。
(八年ぶりくらいか? ま、忘れててもおかしくないか。お互い全く面影ないし)
 修吾は鞄を携えると雄大に挨拶して教室を後にした――――

――部活を引退した修吾に放課後の学校でやることは何もない。現在お世話になっている伯母の家までは、学校から徒歩三十分くらいで途中には大きな繁華街がある。部活の帰りは決まってこの辺りで徘徊していて、補導員からいかに逃げ切るかが命題になっていた。
(谷口じゃないけど、部活を卒業してからは何か物足りないな……)
 伯母夫婦と仲が悪い訳ではないが、修吾を引き取った後、伯母夫婦にも実子が出来て修吾の居場所は無くなっていた。特に今日のような半日なにも無い日は、街をブラブラ歩いて時間を潰すくらいしか術を知らない。
「それにしても腹減った、金もないし。かと言って家にも帰りたくないし。どうしたもんか」
 駅中の休憩所で涼みながら修吾は道行く人々を観察する。小学一年生のとき深雪と離れ離れになって、次に会ったのは翌年の二年生の運動会のときのみ。当時は伯母夫婦にも子供がおらず、修吾も可愛がられていた。それゆえに、深雪の存在は疎ましがられ、夫妻から二度と来ないように言われたらしい。
 それ以来、七年間ほど深雪とは会っていないことになる。しかし、修吾の想いは変わらず、それどころか大人になるにつれて想いは大きくなっていた。
(あと少し、あと少しで卒業だ。卒業したら自立して深雪さんに対して相応しい男になってやる! それはともかく、腹は減る……)
 休憩所の時計を見るとちょうど昼の十二時を指している。
「今から七時間近く時間潰すのって結構厳しいよな」
 つい本音が出て大きく溜め息をつく。休憩所の中はプラスチック製の座席が五十席ほど設置されており、お昼ということもありここで昼食を取る人もちらほら見られる。食べ盛りの修吾にとって周りのこの光景は拷問以外の何ものでもない。
 しばらくうつむいていると、修吾の二つ隣の座席にOL風の女性が座る。手にコンビニの袋を提げているところを見ると、昼食を取るのだろう。
(まさに拷問だな……)
 修吾は目を閉じ腕組みをして寝たふりをするが、すぐ横からは照り焼きの美味しそうな香りが漂ってくる。その香りにつられて修吾の腹の虫が耐えられず、大きな空腹音を鳴らす。
(ヤバイ、我ながら大き過ぎる空腹音だ)
 横目でチラっと女性を見ると、相手もちょうどこちらを見ておりクスッと笑われる。
(やっぱ聞こえてた。恥ずかし過ぎる俺……)
 目を閉じたまま自己嫌悪になっていると、隣のOLが修吾の真横に座る気配がする。驚いて目を開けると女性がチキンサンドの半分を差し出している。
「えっ?」
 戸惑う修吾に女性は言う。
「サンドイッチ、嫌い?」
「い、いえ。好きです」
「じゃあ、どうぞ」
 笑顔で差し出す女性を見て、修吾はハッと気がつく。
(この笑顔に口元のホクロ、見覚えが……)
「あの、間違っていたらすいません。もしかして、深雪さんですか?」
 突然名前を呼ばれた女性は一瞬驚くが、修吾の顔をよく見て事態を察する。
「しゅう君!?」
「うん、しゅう君」
 深雪は自分よりも一回りくらい大きくなった、体格の良い修吾に心底驚いている。そして、何を言って良いのか分からず、サンドイッチを差し出してしまう。
「と、とりあえず食べて」
 戸惑う深雪に修吾も素直に受け取り食べ始める。
(嘘だろ? なんでこんなところに深雪さんが? 神奈川に住んでいるんじゃなかったのか?)
 横目で見ると深雪ももくもくとサンドイッチを食べており考えは推し量れない。
(七年ぶりの深雪さん。大人になって凄く綺麗になってる)
 ドキドキしながら見ていると深雪も修吾を見る。
「何か顔についてる?」
「い、いえ! とんでもない。深雪さん綺麗だなぁって思って……、あっ」
 修吾の言葉に深雪の耳が朱くなっていくのが分かる。お互いに恥ずかしくなり少し沈黙する。
「ありがとう。しゅう君。いえ、もう大きいし修吾君って呼んだ方がいい?」
「そうですね。そっちの方がいいです」
「修吾君はさっき深雪さんって呼んだけど、もうみゆお姉ちゃんとは呼んでくれないのね?」
 からかうように言う深雪に修吾は真面目に答える。
「それは甘えてた頃の俺ですよ。今はちゃんと男として向き合ってるし、そう見て欲しいから深雪さんって呼ぶつもり。ちょっと、生意気かな?」
 思いもしない修吾のしっかりしたセリフに深雪は少し驚いた表情を見せる。
「正直、ちょっと生意気」
 おどけて言う深雪に修吾も笑顔になる。
「それにしてもホント大きくなったわね。今日家に帰ったらお母さんに報告しよ」
「オバサンとオジサン、元気ですか?」
「もちろん元気モリモリよ。今の修吾君見たら何て言うか想像できないわ」
(確かに、我ながらゴリマッチョだもんな……)
「ところで修吾君、来年で中学卒業だっけ?」
「はい」
「高校は?」
「行かずにすぐ働くつもりですよ」
「えっ!? どうして? 成績悪い?」
「いやいや、自分で言うのもなんですけど、だいぶ上位の方ですよ」
「じゃあ……」
 深雪は察したようで少し顔を曇らせる。
「はい、居候はとっととおしまいってことです。所詮は他人ですから。でも、勘違いしないで下さい。卒業後働くのは自分の第一希望なんで」
「どうして?」
「それは……」
 深雪の真剣な眼差しを感じ、修吾は自分の考えをはっきり伝えるべきか悩む。
(貴女を早く迎えに行くため、なんて言ったらほとんどプロポーズだよな。何て言うべきか)
「約束、です」
 考え抜いた上、修吾は子供の頃にした約束を理由にし、同時に深雪の気持ちを確かめようと決める。
「子供の頃お世話になったお姉さんと約束したんです。簡単に泣いたりしない強い男になるって。そして、いつかお姉さんをお嫁さんにするために迎えに行くって。その為にも早く働いた方がいいんじゃないかって思ったんです」
 子供の頃の約束を語ることで、修吾は間接的に想いを告げる。それを聞いた深雪は少し戸惑いの表情を見せるが、笑顔を見せて語り始める。
「そう、修吾君なりにちゃんと考えた進路なのね」
「はい」
「そのお姉さんとやらは幸せ者ね。ずっと約束を守って想われてるなんて」
「どうでしょうね。子供のときの約束なんてとっくに忘れて、大人の男性とお付き合いしているかもしれない。お姉さん昔から美人だったし」
「そうね、お姉さんもとっくに結婚適齢期に来てるかもしれないし、特定の相手がいるかもね」
「えっ!?」
 深雪のセリフに修吾は焦る。それを見て深雪はクスッと笑う。
「まあ、そのお姉さんがどこの誰かは知らないけど、多分お付き合いしてる男性はいないと思うよ。修吾君との約束もずっと忘れてない。きっと今でも待ってるよ。迎えに来るのをね」
 修吾の目をちゃんと見ながら、深雪は答える。
(これって……)
 深雪の告白に修吾の胸が熱くなる。
「あの、深雪さんそれってつまり……」
 修吾の言葉を遮るように深雪は言葉を繋げる。
「ただ、年齢や社会経験の有無も含めて考えてみても、まだ迎えに行くのは早いかもしれない。もちろん早く社会に出て社会人になれば、それだけお姉さんを早く迎えに行ける。だけど、そんなに焦らなくてもお姉さんはきっと待っててくれる。お姉さんのために人生を生き急いでほしくない。いろんな経験をして、もっと広い視野を持った大きな人になってほしい。と、私なら考えるかな。そのお姉さんがどう考えるかは分からないけどね」
 ニコッとして深雪は修吾を見つめる。深雪と一緒になるということのみを考え生きてきた修吾にとって、視野を広げて考えるという意見に少なからずショックを受ける。
「俺、進路というか今までの生き方全てにおいて、いつもお姉さんが居た。何をするにも、何があってもお姉さんとの約束があるって思うと強くなれた。だから、お姉さん以外のことって考えられない。全力で、一日でも早く、って考えて生きてる俺って間違ってる? 変かな?」
 熱い眼差しで真剣に語る修吾に、深雪も真摯に答える。
「いいえ、変でもないし間違ってもいないわ。本当にそのお姉さんは幸せ者で今の修吾君の言葉を聞いたら、とっても喜んでくれる。お姉さんのために無理して進路を決めたりしてほしくはないけど、修吾君が真剣に考えた結果で、心の底からお姉さんを求めているのなら、全てを受け入れてくれると思う」
 深雪の言葉にホッとため息をつく。
(大丈夫。俺はこのまま真っ直ぐ深雪さんに向かえばいいんだ。間違ってない)
「深雪さん、俺……」
 何かを言おうとした瞬間、深雪の携帯電話に着信が入る。
「ごめんなさい。会社から電話」
「どうぞ」
 休憩所から小走りに出る深雪を、修吾は穏やかな顔つきで眺める。
(深雪さん、俺との約束を忘れてなかった。後は俺が早く一人前になるだけだ。ああ、早く卒業したい!)
 悶々としている修吾に深雪が駆け寄る。
「お待たせ」
「あ、はい」
「実は今日埼玉に居るのは仕事の関係なの。でも、もう帰らないといけなくなっちゃった」
「そうなんですか」
「うん」
(ヤバイ、このまま別れたら次いつ会えるか分からない。連絡先の交換くらいはしないと男じゃない)
「あの、携帯番号とか交換しませんか?」
 意を決して訊ねる修吾に深雪は快く頷く。無事アドレス交換が済むと、深雪は手を振りながら小走りに休憩所を後にした。別れ際に言ってくれた、また会おうねっていう言葉に修吾の心は満たされる。その修吾の姿を直美は遠くからじっと見つめていた。
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