初恋
第十話 文句

 昼休みというと授業中に元気の無かった生徒もたちまち元気になる魔法の長時間休憩だ。胃袋を満たした後は各々好きなことをして時間を過ごす。
 修吾のお気に入りの場所は意外にも図書室で、奥の方の棚で美術系を好んで読んでいる。特にルネッサンス期の彫刻には造詣が深い。
「ダビデ像」と聞くと有名なミケランジェロを思い浮かべる人が多いが、これ以前に作られたドナテッロの「ダビデ像」の方が修吾は好みだったりする。
 自分自身が前者の「ダビデ像」のようにムキムキなのもあるが、後者ドナテッロの「ダビデ像」はスタイリッシュでいて程よい筋肉が艶かしい美を醸し出している。
 いつものように壁にもたれかかって本を眺めていると、一人の女子生徒が修吾に近づいてくる。目を向けると直美が黙ったままじっとこちらを見つめている。
「何か用か?」
 修吾がぶっきらぼうに聞くと、直美は持っていた本をサッと取り上げる。
「あっ、おい」
 思わず大きな声を出してしまい修吾は口ごもる。周りの生徒から向けられる視線からして図書室内でのマナーに違反していることが明白だ。
「わかった。外で話そう。本を返してくれ」
 素直に返すと直美は図書室を先に出ていく。しぶしぶ後を着いて行くと、図書室前の階段の踊り場できびすを返し直美は問い掛けてくる。
「お久しぶりです。私のこと覚えていますか?」
 よく見ると雄大が言っていたように、切れ長の目に綺麗なロングヘアー、背も高くスタイルも良い。モデルと言われたら素直に頷かざるを得ない容姿だ。
(面影がほとんどないが、同姓同名で俺に覚えてるかって聞くくらいなら、幼なじみのあの直美なんだろうな。でも面倒臭いから知らないフリ決め込むか……)
「すまない。誰だか分からない」
 修吾の答えを聞いても、直美は微動だにせず切り返してくる。
「そうですか。私も貴方があの泣き虫で有名だった加藤修吾とは思えません」
「そうか、じゃあ勘違いだったということで。じゃあな」
 立ち去ろうとする修吾に、直美は立ち止まらせる言葉を放つ。
「白井深雪さん。覚えていますか?」
(深雪さん……)
 修吾は少し考えてから答える。
「いや、覚えてない」
「昨日、大宮駅の休憩所で貴方と深雪さんが話しているのを見たんですが」
(コイツ確信犯じゃねぇか)
 溜め息を一つ吐いてから向き直す。
「覚えてるよ。一年三組、おてんばの直美だろ。喧嘩の強かった」
「やっぱり覚えているんじゃない。泣き虫修吾」
 直美はここに来て初めて笑顔を見せる。
「つーか、全く面影ないな。名前以外に思い出す要素ね~よ」
「そのセリフそのままお返しするわ。貴方こそ、どこのゴリラの群れからはぐれたのかしら?」
 修吾と話す直美の話し方は、昨日教室内聞いた丁寧な感じでなくとてもフランクだ。
「ヒドイ言いようだな。ま、旭山動物園から脱走したってことにしとくわ」
 自虐ギャグに直美の頬も綻ぶ。
「八年ぶりね。元気だった?」
「ご覧の通り」
「ゴリラね」
「うるさいウホッ」
「アハハッ、賢いゴリラさんね」
「つーかオマエこそなんでこんな時期に転入なんだよ」
「う~ん、家庭の事情、ってヤツかな……」
 意味深に伏し目がちに語る直美に修吾は戸惑う。
「すまん、悪いこと聞いたか?」
「ううん、単純に所沢に引っ越して来ただけだよ。新築の家、建てたの」
 直美はしてやったりの顔をする。
「くっ、心配して損した」
 批難の目を向ける修吾に直美は微笑む。
「相変わらず優しいのね。私の身の上心配してくれちゃってた?」
「もう未来永劫しねぇよ」
 そっぽ向く修吾に直美は安堵する。
「良かった。修吾、変わってなくて」
「ん?」
「八年以上も経って、しかも複雑な家庭事情だってことも知ってたから、修吾グレて別人のようになってるんじゃないかって心配してたの」
 笑みを浮かべながら真っ直ぐ見つめてくる直美に、修吾は少し照れる。
「俺は、大丈夫だよ。そんなに弱くないからな。直美の方こそなんだよ。初っ端からクラスのアイドルみたいになってるじゃねぇか。キャラ設定間違えてないか?」
「あら心外ね? 私だっていつまでもおてんばの子供じゃないのよ。来年には結婚も出来る年齢になるんだし」
(結婚……)
 修吾の中に自然と深雪のことが頭に浮かぶ。
「あのさ、深雪さんとはずっと交流あったのか?」
「ええ、たくさんお世話になったわ。引っ越しする前にもちゃんと挨拶に行ったし。だから昨日修吾と会ってるのを見てびっくりしちゃった。修吾の方こそ深雪さんとよく会ってたの?」
「いや、昨日は偶然会ったんだ七年ぶりに」
「えっ!? そうなの?」
「だから昨日は、八年ぶりに直美と再会して、七年ぶりに深雪さんとも再会したってことになるな」
「奇跡ね」
「全くだ」
 微笑む直美を見て修吾も自然と笑顔になる。
「一つ、修吾に文句言いたいんだけどいいかしら?」
「遠慮なくどうぞ」
「手紙の返事、いつ返してくれるのかしら? 八年くらい待ってるんですけど」
 伯母のところに引き取られる日に渡された手紙のことを修吾は完全に忘却しており、言われて初めて思い出す。
(ヤバイ、今思い出した……)
「き、記憶にない」
 目をそらしながら答える修吾に直美は瞬時に全てを察する。
「ほぅ、都合の良い頭ですこと。それともゴリラになって記憶力が落ちたのかしら? 今この場でその頭を叩き回したら思い出してくれるのかしら?」
 ニコニコしながら直美は指をポキポキと鳴らし、修吾との距離を縮める。
「ちょ、ちょっと待った! 一つ聞いていいか?」
「なに?」
「空手はまだやってる?」
「二段ですけど何か?」
「すいませんでした。いや、ホント、マジで」
 手を合わせて頭を下げる修吾を見て直美も矛を収める。
「仕方ないわね。で、手紙自体は読んだ覚えある?」
「ああ、暇つぶしにタクシーで開けた記憶あるから多分読んだ」
「暇つぶし? 多分?」
 直美の眉間に皺が寄るのを見て危機を察知する。
「いや、すごーく気になって堪らず開けたんだ! 言い間違えた」
「……内容は覚えてる?」
 冷や汗をかきながら沈黙する様子に直美はため息をつく。
「もういいよ。覚えてないならそれでもいいし。手紙の存在自体を忘れてたから、返事出さなかったって思いたいし」
「思いたい?」
 修吾の問いに直美は目線を外す。
「手紙の内容、何て書いてあったんだ? 今、口頭で答えられることなら答えるぞ」
「もういいって……」
「ダメだ、俺の方が気になってしょうがない」
 真剣に詰め寄られ直美は少し顔を赤らめる。
「なんだよ? 早く言えよ」
「あの、それはその……」
 口ごもる直美は、まともに修吾の顔を見れない。しばらく黙っていた直美は下り階段の方に少し目をやると、そのまま何も言わず廊下の方に走り去る。
「あっ、おい」
 いきなり立ち去る直美を見て修吾はいぶかしがるが、階段からガッツポーズする雄大を見て理由を理解する。
「修吾もすみに置けないな~、川合さん狙ってるんなら最初から言えよ。てか、フラれてただろ? どんまいどんまい!」
 ニヤニヤしながら肩を組んでくる雄大に修吾は大きなため息をついた。
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