初恋
第十七話 別れ

 翌日、卒業式から帰った修吾はベッドに座るなり溜め息を吐き、直美とのことを思い出す。予想はしていたものの、直美は卒業式終了後真剣に告白してきた。無論、明日デートの約束までしている深雪のことを切り捨ててまで直美と付き合うという選択は選べない。
「結果の分かった上での告白だから謝らないでほしい。修吾には幸せなってもらいたい」
 そう言って、泣きながら手を振り去る姿に、心が動かされないほど修吾も鈍感ではない。
(あの夏の日、深雪さんと休憩所で偶然会っていなかったら、そして、昨日久しぶりに深雪さんから来たデートの誘いがなければ、俺は直美の気持ちを素直に受け入れたかもしれない。何度も告白され、嬉しい気持ちになったのも確かだ。ガキの頃から今まで何年もの間、想い続けてくれていたなんて男冥利に尽きる。けど……)
 修吾は幼少の頃のことを思い出す。母親が蒸発して伯母の家に引き取られるときにした指切りと熱い約束、修吾にとって深雪は憧れ以上の存在であり、生きる目的でもあり支えでもあった。
(俺はずっと深雪さんを想ってきた。それは幼少期に抱いていた知り合いのお姉さんとしてではなく、一人の女性としてだ。深雪さんも俺との約束を忘れていなかった。この半年ずっと会えなかった理由は分からないけど、深雪さんの態度や言動から想いは理解しているつもりだ。卒業したからには、今月中にも俺は独立して働くことになる。あの時の約束、少し早いかもしれないけど……)
 修吾が想いを募らせているその最中、携帯電話の着信音が鳴り響く。液晶には深雪の文字が浮かぶ。
「もしもし」
 修吾は少し緊張しながら語りかける。
「もしもし、私、卒業おめでとう。ごめんね、式に行けなくて」
「いや、深雪さん仕事だから仕方ないって。わざわざ電話くれてありがとう」
「どういたしまして。じゃあ明日は予定通りデートと、修吾君の卒業祝いを兼ねて、お昼どこか美味しいところで食事しましょ」
「わかりました。じゃあ、お言葉に甘えて頂きます」
「了解。じゃあ、大宮駅十一時に、またね」
「また」
 電源ボタンを押すと修吾は大の字でベッドに倒れる。机の真ん中には、昨日意を決して購入した小さな箱が置かれている。
(明日か、ちょうどいいチャンスだ。俺の今の気持ち、真っ直ぐ伝えてやる)
 覚悟を決めた修吾の胸は熱くたぎっていた――――


――翌日、修吾は三十分前に駅前に着く。しかし、修吾よりもさらに早く深雪は到着していたようで、待ち合わせのモニュメントに寄り掛かっていた。
 半年ぶりに見る深雪に修吾の心は緊張感と幸福感でミックスされる。少し肌寒いせいもあるのか、今日の深雪の服装は全体的にふわふわした温かそうな装いとなっていた。
「おはよう深雪さん、待たせちゃったみたいだね」
「おはよう修吾君。待ち合わせ時間より早く来たのは私なんだから気にしないで。じゃあ、どこ行こうか? それともお昼食べちゃう?」
「まだお昼には早いよ。どっか遊びに行こう」
「了解。今日は卒業祝いだし、たくさん遊ぼうね」
 深雪の笑みに修吾はドキッとする。
(やっぱ深雪さん綺麗だ。久しぶりに見たからか分からないけど、更に優しい顔立ちで綺麗になった気がする……)
 久しぶりに見る深雪の笑顔に修吾の気持ちは癒される。
(今までのことも聞きたいけど今日はとにかく楽しむことに専念しよう。そして帰りには俺の方から……)
 修吾は覚悟を決めて深雪の後をついて行った――――


――夕方、大宮駅から少し離れた公園で二人はぶらぶら歩く。夕闇が迫り園内の電灯が灯り始めていた。
「今日は本当に楽しかった。ありがとう、深雪さん」
 少し人気のない場所で修吾は立ち止まり礼を言う。
「どういたしまして。私もすごく楽しかった」
 踵を返し深雪も笑顔で答える。
「卒業記念のプレゼント、大切にするよ」
「うん」
 修吾は貰ったばかりの腕時計を自慢げに見せる。
(ここで言わなきゃ、今ここでちゃんと)
 ポケットの中で指輪の箱を強く握りなが修吾はタイミングを計る。しばらく沈黙した後、二人は同時に口を開く。
「あのさ……」
「あの……」
 言葉が見合って苦笑いする。
「修吾君からどうぞ」
「いや、レディファーストで深雪さんから」
「う、うん、じゃあ……」
(まさか深雪さんの方からプロポーズ! とかないよな)
 言いづらそうな雰囲気に修吾の胸の鼓動は高鳴る。
「実は、大事な話があるの」
「な、なに?」
「私、来月結婚するの」
 深雪の言葉に全身の血が引いて行くのを感じる。
「妊娠もしてる。まだ、彼とお母さん以外には言ってないんだけど、修吾君には面と向かってちゃんと報告したかったの」
(結婚、妊娠? なんだよそれ……)
 黙り込む修吾に深雪は怪訝そうな顔をする。
「修吾君?」
「えっ? あっ、そうなんだ」
「ごめんなさい、こんな大事なこと今まで黙ってて……」
「いや、別に謝ることじゃ」
「修吾君、昔から私のことお嫁さんにするって口癖のように言ってたでしょ? だからすごく言いづらかった」
(何度も何度も約束したじゃないか! 好きって言ってくれたじゃないか! なのになんで!)
 喉まで出かけている言葉を修吾は必死に抑え込む。
「相手は、どんな人?」
「会社の先輩で、私をよく理解してくれている人」
(俺の方がずっと深雪さんを理解してるし想ってる。たかだか数ヶ月しか深雪さんを知らないヤツに絶対負けない! 負けるわけがない!)
 強い反発心を胸に抱きながら修吾は、振り絞るように一言だけ吐露する。
「幸せなの?」
 その言葉に深雪は頷く。
「そっか、よかったね」
 修吾は自分でも思ってないセリフを言う。
「うん、ありがとう修吾君」
 深雪も居心地が悪いようで、視線を合わせようとしない。
「俺、昔から深雪さんのこと慕ってたけど、現実的にすぐ結婚とかまでは考えてなかった。だからこうやって現実を突き付けられると、自分がいかにガキかって思い知った」
 精一杯自嘲気味に語る修吾に深雪は優しく言う。
「修吾君はガキじゃない。私が思わせぶりな態度を取っていたのが悪いのよ。ホントにごめんなさい。せっかくの卒業祝いの日にこんな話をして。でも、とても大事な話だったし、修吾君には包み隠さずちゃんと伝えたかったから。私の気持ち、分かってくれるかな?」
(分かるも何も、もうどうしようもないじゃないか……)
 修吾はただ黙って頷く。深雪も複雑な気持ちなのか、あまり目を合わそうとしない。
「じゃあ、今日は帰るわね。忙しくてなかなか会えないかもしれないけど、何かあったら連絡してね。これからも頼れるお姉さんとして修吾君を支えるから」
 笑顔を作って見つめる深雪に修吾は頷くしかない。
(何でだよ、何で俺じゃないんだよ!)
 喉まで出かかっている素直な想いを修吾は意地で食い止める。
「じゃあ、またね。おやすみ修吾君」
「おやすみ、深雪さん……」
 しばらくお互いを見つめ合った後、深雪の方からきびすを返し離れて行く。離れていく深雪の後ろ姿に、修吾の瞳からは涙が溢れて止まらない。
(深雪さん、俺は本気で貴女のことを……)
どんなに言葉にしようとしても、そのセリフは現実に紡がれることはない。修吾は小さくて情けない自分を感じながら、涙を止めるすべも持たずただ立ち尽くしていた。
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