初恋
第三十話 告白

 一週間後、五十人近い団体で合宿名目の慰安旅行が敢行された。大型バスを二台貸し切った豪勢なイベントで、目的地に向かう過程からして車内では既に賑わいを見せる。
 車内は半分宴会の様相を呈しており、隣に座る純二も少々アルコールが入っているようで修吾に絡む。
「先輩~、先週の偵察でホントに何もなかったんすか?」
「何もない。おまえ、しつこいな」
「いや、だって沙織ちゃん程の美人と二人きりで一夜を共にして、何もないなんて逆に奇跡っすよ?」
「どこが奇跡なんだか……」
「もしかして先輩、あっち系……」
「久しぶりに殴られたいのか?」
「冗談す! 慰安旅行で入院なんてまっぴらっす!」
「ったく……」
「で、あの~、また、お願いがあるんすけど……」
 純二から語られる身勝手なお願いに修吾は溜め息を吐いた――――


――夕方、旅館に到着するなり社員のほとんどは割り振られた部屋に案内される。本来ならばツインルームに男性が二人という組み合わせだが、純二のお願いにより修吾と沙織が同じ部屋になった。
「結局、また一緒ですね」
 部屋にやってきた沙織も少し呆れている。同僚の智子と純二が付き合っていることは知っていたものの、慰安旅行でもそのアツアツぶりが発揮されると被害者は増える。
「バカップルに付ける薬はないってこったな。結城は良かったのか、また俺なんかと一緒の部屋で」
「はい、部長のおっしゃるように人畜無害と分かってますんで」
「そりゃどーも」
「ここから見える景色、綺麗ですね。前の部屋は川が見れなかったのに」
「だな……」
 窓を開けると涼しい風が室内に入り、沙織の長い髪をなびかせた。その横顔は落ち着き穏やかそうに見える。
「先輩、私入社したての頃、先輩が怖かったです。すぐ怒るし、声大きいし、おまけに顔怖いし」
 沙織は景色を眺めたまま隣の修吾に語りかける。
「悪かったな悪役顔で」
「ふふっ、でも半年以上一緒に仕事したり、いろいろ話したりして、先輩へのイメージは変わりました。ただ純粋に真っすぐな人なんだな~って」
「単純バカとでも言いたいのか?」
「違いますよ。なんて言うか、子供の心を持った大人というか、子供のままの大人というか……」
「おいおい、やっぱそれケンカ売ってるだろ?」
「ですから、うまく表現できないだけですってば! だから、なんか。好きなの、かも……」
「えっ?」
 沙織は外の景色を眺めているが耳は赤くなっている。
「あっ、上司として尊敬してるって言った方が正しいかな。とにかく、先輩の真っすぐなところ、私は嫌いじゃないです」
「そっか」
「はい……」
 恥ずかしさからか沙織は修吾の方を全く向けない。
「あの、私……、今月誕生日なんです」
「そういや十二月で二十歳って言ってたもんな。何日?」
「二十七日です」
「二十七日で二十歳か。これで酒が飲めるようになるな」
「はい。先輩と一緒に飲める日を楽しみにしてます」
 ここにきて初めて沙織は修吾に向き直る。
「ああ、俺も楽しみにしてる」
 修吾の笑顔に沙織もホッとする。
「じゃあ二十七日、食事に誘ってくれませんか?」
「二十歳の誕生日だろ? 両親とかもっと大切な人と過ごした方がいいんじゃないのか?」
「そうですね……」
 伏し目がちな沙織を見て、修吾は溜め息を吐く。
「悪いな、結城」
「えっ?」
「俺、そんなに鈍くないよ。伊達に歳も取ってない。これでも結城の気持ち、理解しているつもりだ」
「はい……」
 告白を暗に拒否され沙織は少なからず動揺する。
「じゃあ一つだけ、聞かせて下さい」
「恋人を作らない理由か?」
 沙織は無言で頷く。
「俺には、心に想っている人がいる。その人は他の男と結婚してしまったが、その人を想う気持ちに変わりはない。相手の家庭や立場を考えると、気持ちを伝えることはできない。だが、俺はこの気持ちをずっと大事にしたい。彼女の幸せを祈って黙って身を引いたが、胸が痛む度に心のどこかで責めたりすることもある。それでも、想っていたいんだ。想うことで強く生きていける気がするからな……」
 沙織は何も言えずに黙り込む。
「こんな恥ずかしい話、誰にも言うなよ?」
「先輩、カッコ悪いです……」
「自覚してるよ」
「それ、多分初恋の相手ですよね?」
「ああ」
「バカですよ、二十年以上もそうやって生きてきたんですか?」
「そうだな」
「そうやって、たくさんの女性を振ってきたんでしょ?」
「かもな」
 修吾の脳裏に直美とのことが自然とよぎる。
「最低です、男として。みっともないです」
「知ってるよ」
「でも、羨ましいです、その女性。きっと素晴らしい人なんですね」
「ああ、俺の全てだった人だ」
 修吾の果てしなく強い想いを聞き、沙織の心は逆に熱く燃えてくる。
「私、どうやったらその人を抜けますか? 過去の出来事や人って美化されるから、難しいことだと分かってます。でも、それでも、私、先輩の一番になってみたい。先輩程、真っすぐで誠実な人っていないから……」
「結城……」
「どうしたら一番になれますか!?」
 真剣な表情で詰め寄られ、修吾も少したじろぐ。
「すまん、どうしても無理だ。悪いが諦めてくれないか?」
「嫌です。私、諦め悪いんで」
「そういうの、ストーカーって言うんだぞ?」
「………迷惑、ですか?」
「迷惑だ」
「分かりました」
 そう言うと沙織は修吾に背を向け、外の景色に目をやる。修吾自身も居心地が良いはずもなく、黙って部屋を後にした――――


――深夜、派手な宴会が終わり部屋に戻ると、豆球だけで室内は暗くなっている。沙織は布団を頭まですっぽり被って寝ているようだ。
 修吾は豆球の明かりを消すとベッドを通り過ぎ、窓辺の椅子に座り外の景色を眺める。雲一つない夜空から照らされる月明かりが、室内の修吾をも照らす。月光と大自然が織り成す美しい光景に、修吾は感慨深くなる。
(結城と話したせいで、深雪さんとのことを強く思い出してしまったな……)
 溜め息を吐いていると、こちらに歩み寄る気配を感じる。
「先輩、寝ないんですか?」
「ん、起こしたか、すまない。今日は眠れそうにないんでな。前回と同じく今夜もソファだし」
 おどけて見せる修吾だが、沙織は真剣な表情をしている。
「私のせいですね」
「結城のせいじゃない。俺がバカなだけだ。おまえはもう寝ろ」
「いえ、私も眠れそうにないんで付き合います」
 そういうと沙織は修吾の正面に座る。
「あの、今日くらいしか聞けないことだと思うので、失礼を承知で聞かせて下さい。初恋の方、どんな方だったんですか?」
(この雰囲気。話さないと納得しそうにないな)
「そうだな、姉みたいで、ときに母親みたいで、ガキの頃の俺を支えてくれた。俺、母子家庭だったんだけど、七歳の頃母親が男作って蒸発しちまったんだよ。そのときもいつも俺の傍にいてくれた。そして、伯母に引き取られるときに約束したんだよ。大きくなったら結婚するってな。それからもいろいろあったけど、俺が辛いときはいつも力になってくれた。だから、大人になって恩返しがしたかった。けど、俺では力不足だったようだ。彼女は俺じゃなくて、他の男を選んだ……」
 沙織は真剣な表情で修吾の瞳を見つめている。
「女々しいのは俺が一番よく分かってる。でも、複雑な関係だったぶん、重いのは確かだ」
「その初恋の方、きっと悲しんでます」
 思いがけない沙織の意見に修吾はドキッとする。
「自分が見守ってきた男性が、自分のせいで二十年以上も苦しんでいたなんて知ったら、堪らないと思います」
「……そうだな。だから結婚すると聞いてから一度も会ってない。俺は二度と会うことはないと決めている」
「辛く、ないですか?」
「そういうことには慣れてる」
「そんな悲しいこと、言わないで下さい……、私、聞いてて辛い……」
 今にも泣きそうな顔で沙織は視線をそらす。
「分かっただろ? 俺はこういう最低な男なんだ。明日はハイキングもある、早く寝な」
 しかし、黙って首を横に振る。
「頑固だな。ま、結城らしいっちゃらしいんだが、女の頑固は男に好かれないぞ?」
「男に好かれることが女の人生じゃないです」
「ああ言えばこういうし、ったく……、おまえ、恋人できないタイプだな」
「先輩だけには言われたくないです」
「違いない」
 笑顔で言い切る修吾を見て沙織は少し怒った様子で席を立つ。
「私、やっぱり寝ます」
「ああ、おやすみ」
 修吾の挨拶を受け、沙織は少し考えた後言葉を返す。
「おやすみなさい、修吾さん」
 ふいに名前で呼ばれ、修吾はドキッとする。沙織は頭からさっと布団を被り眠りにつく。月光に照らされた山際を眺めつつ、修吾は深雪のことを想っていた。
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