初恋
第二十九話 恋バナ

 十二月、凍えるような寒さに朝から純二は唸っていた。
「この寒さで外回りなんて死ぬ……」
「現場よりマシだろ? 骨は拾ってやるから覚悟決めて行け」
「そんな殺生な~」
 ダラダラと机にしがみついている純二を横目に沙織が事務所へと入って来る。入社して八ヶ月が経過し言葉遣いには多少変化は見られるが、真面目でクールな態度に変化はない。
「おはようございます」
 無表情で他の社員に挨拶を交わすと、デスクに着いてテキパキと資料を取り出している。その姿を純二はボーっと見つめる。
「ああ、やっぱ沙織ちゃん狙うべきだったかなぁ」
「彼氏持ちでもか?」
「ええ、清純そうでなんか家庭的ですし」
「でも、結婚願望ゼロらしいぞ」
「マジっすか!?」
「ああ、バリバリのキャリアウーマンご希望だそうだ。あの態度、見れば分かるだろ?」
 聞こえているのかいないのか、本人は真剣にパソコンと向かい合っている。
「確かに……、でも勿体ないですよね。美人なのに」
「人生はそれぞれだ。結城には結城の生き方があるんだろ。おまえが心配することじゃない」
「ですね。あぁ~それにしても寒いよ~」
 そう文句を言うと再びデスクにうつぶせになりだれていた――――


――始業前、珍しく社長から話があるらしく、社員一同は緊張する。
「知っての通り、今年の冬は例年と比べてかなり寒い! よって今年は早めに冬合宿を行う!」
 冬合宿と言う単語に、一部の社員からは拍手がわく。
「あの、合宿って具体的に何するんですか?」
 隣の沙織は不安そうな顔で聞いてくる。
「冬恒例の慰安旅行だから心配することはない。温泉浸かって宴会する、後はほんの少しのハイキング、そんなところさ」
「温泉ですか。いいですね」
 温泉という響きに沙織の目の色が変わる。
「冬休み前のボーナス替わりってところだろ。うちのボーナスは寸志レベルだし」
「じゃあ、温泉と宴会をしっかり楽しまないといけませんね」
「だな」
 社長の話しが終わり席に着こうとすると上司の雄三が傍に来る。
「加藤、ちょっといいか」
「はい」
「今回の宿泊先の選定を加藤に任せたいんだが大丈夫か?」
「ええ、それくらいお引き受けしますよ」
「よし。もう一人はその隣の結城だ。いいな?」
 突然呼ばれる沙織も反射的に承諾する。
「結城は女性目線での選定が目的だ。頼むぞ」
「はい」
「ぶ、部長ちょっと待って下さい。結城と二人でですか?」
「何か問題あるか?」
「女性の、しかも未成年の社員と二人で旅行の実地調査というのはちょっと……」
 修吾のクレームを無視して雄三は沙織に話し掛ける。
「結城、この加藤は折り紙つきの堅物だから安心しろ。絶対口説かれない。中学生三年生から二十年来の付き合いだからな。間違いない」
「ぶ、部長その説明はどうかと思います……」
「結城も異存はないだろ?」
「はい」
 真顔で承諾する沙織に、修吾のクレームは敢なく却下された――――



――二週間後、旅行の実地調査として目的の旅館の前に立つ。当然ながら有給扱いとなっており、半分は慰安とも言えた。
「閑静な旅館ですね」
「うむ、雰囲気は丸だな。後は内装や料理、接客だ」
 由布院と言えば大分県内屈指の温泉の代名詞的存在だ。予めネットで検索し候補を絞ってはいるが、五十人近い社員の旅行となると間違いがないよう、名温泉と言えど実地を見ることは必須だ。
 館内に案内され受付を済ますと、当該の部屋に通される。旅館の外観は和の雰囲気ながら、部屋は洋風のベッドとなっていた。それ自体に問題は無いが入った瞬間、二人は固まる。
「で、なんでツインルームじゃなくダブルルームなんだ?」
「ですよね」
 ベッドが一つに枕が二つというシーンに、沙織も少し居心地わるそうにする。
「俺は別の部屋取ってくるから結城はここ使え」
「あ、はい」
 予約していた部屋とは全く違い、修吾はクレームをつけに受付へ向かう。旅館の選定としても問題は起こってくるトラブルだが、現状をやり過ごしす点においても大問題だ。
 未成年かつ同僚の女性と同じ部屋で一晩過ごすことなど考えられない事象であり、修吾自身内心焦りまくっている。しかし、こういうときはタイミングがいつも悪く、全て満室で空きがないと頭を下げられた。部屋に戻ると沙織は既に浴衣を着てお茶を飲んでいる。
「おかえりなさい。部屋は取れましたか?」
「他はもう埋まってるってさ。さんざん文句言ってやった」
「なんか想像つきます」
 沙織は苦笑いする。
「無駄に疲れたし、先に温泉行ってくるわ。夕食が六時半だからそれまでは自由行動としよう。いいか?」
「はい。私も早く温泉行きたかったので文句ないです」
 そういうと沙織は、予め用意していた温泉装備一式を携えるなり、修吾を置き去りにしてさっさと温泉に向かう。修吾はその後ろ姿を呆然と見送っていた――――


――夕飯後、コーヒーを飲みながら互いの感想を述べ合う。部屋の予約間違いはネット申込みした純二のミスだったと判明し、修吾は携帯電話で怒鳴り上げた。こちらのミスでありながらも旅館の女将は懇切丁寧に対応し、好感度も当然高い。
「温泉は言うまでもなく料理も良かったし、接客対応も最高。今回はここで問題ないだろ。女性の立場からはどうだ?」
「大満足です。住みたいです」
「よし、旅行先は決まりだな。じゃあ後は、ゆっくりしよう」
「はい。あの、先輩。ちょっといいですか?」
「ん?」
「外、散歩してみませんか? 温泉街で買い物とかもしたいので。一人だと寂しいですし」
 沙織のリクエストに応え、浴衣姿のまま二人並んで温泉街を歩く。朝ドラの舞台ともなったこともあり、観光客がかなり見られる。夜八時という時間帯にも関わらず、土産物屋は浴衣を来た観光客で人だかりとなっていた。
「こうやって見ると、観光客以外にカップルも多いですよね」
「だな。目障りだし部屋に帰るか? また間違えられるのもしゃくだし」
 沙織の土産物選びの行く先々で二人はカップル呼ばわりされ、その度に修吾はキレていた。
 旅館に戻り部屋に入ると、嫌でもダブルベッドに枕が二つというとても生々しい状況が展開される。沙織も意識しているようで顔が少し赤くなっている。
「どうする? 明日の朝も早いし、もう寝るか?」
「えっ!?」
「あっ、もちろん俺はソファだから安心しろよ」
 焦っていい直す修吾に沙織はホッとため息つく――――


――二時間後、ベッドから起き上がると沙織はソファの修吾を向く。
「あの、先輩まだ起きてます?」
「ああ」
「さすがに九時くらいじゃ寝付けませんね」
「ああ、小学校の修学旅行を思い出すよ。九時消灯なんてあれ以来かもな」
 同意しながらも修吾も身体を起こす。
「確かに思い出しますね。布団被って怖い話したり、恋バナしたり。でも先生に見つかって怒られたり。先輩もしました?」
「恋バナは無いが、トランプしたりゲームしたり、プロレスはしたな。定番の枕投げもな」
「そこはやっぱり外せませんよね」
 修学旅行の思い出によって、二人は思いのほか盛り上がる。
「あっ、じゃあ恋バナしてみます? 経験ないんですよね?」
「男が恋バナってありえんだろ……」
「いえ、全然おかしくないですよ。じゃあベタなところで、初恋はいつですか?」
 沙織は少しテンションをあげながら、修吾の方に向き直す。
「強制イベントな訳だな。初恋か……、幼稚園の頃だな」
 修吾は腕組みをしつつ天井を見上げたまま語る。
「ベタな答えですね」
「言うと思った。悪かったなベタベタなオチで。結城はどうなんだよ」
「私は小学五年のとき、クラスメイトの学級委員長。想っているだけで終わりましたけどね。先輩のお相手はどんな人でした?」
「俺は、近所のお姉さんだ。ガキの頃、よく面倒見てくれたんだよ」
「ふ~ん、やっぱり男の人って小さい頃は年上に憧れ、大人になると若い女性を好むんですかね?」
「かもな」
「お姉さんとはその後、進展無しですか?」
「結婚するって報告を受けて終了。俺、大人になったら必ずその人と結婚する、ってくらいに思ってたからかなり落ち込んだよ」
「ほろ苦い思い出ですね」
「もう二十年以上も前の話なんだがな」
「初恋は皆そんなもんですよ。私もしばらく引きずってましたし。でも、新しい出会いや時間が解決してくれたりするんですよね。初恋の人を忘れたりはしないけど、熱はやっぱり冷めるもんです」
 沙織の恋愛論に修吾は沈黙する。
「恋バナ繋がりで聞きたいんですけど、先輩ってなんで結婚なさらないのですか? 小林先輩も不思議がってましたんで……」
「恋人もいないのに結婚できないだろ?」
「その恋人は作らないんですか?」
「今はそんな気になれない」
「大きな失恋をした、とかですか?」
「かもな。これ以上答える気はない。結城の方こそ、恋人はいいのか?」
「はい。煩わしいだけなんで結構です」
 真顔できっぱり言い切る沙織に普段の冷徹さを垣間見る。
「相変わらず冷めてるな。何かイヤなことでもあったのか?」
「昔、専学の頃ですけど、付き合った人がいたんです。その人、凄く束縛が激しくて別れた後もストーカーまがいのことするし、縁を切るのが大変だったんです。だから、ちょっと恋愛にはコリゴリって感じです」
「そりゃご愁傷様で」
「女性よりも男性の方が失恋を引きずり易いって話、あれは本当ですよ」
 この台詞は修吾にとっても少し耳が痛い。
「かもな。それだけ相手を深く想ってたって言い換えることもできるがな」
「その想いも、相手に迷惑をかけるレベルだと犯罪ですよ?」
「ああ、相手を思いやる気持ちを無くした想いは、ただのストーカーだからな」
「全くです」
「そろそろ寝よう。明日は早いんだ。ちょっと恋バナしすぎたな」
「あ、ごめんなさい。長々と話して。おやすみなさい、先輩」
「おやすみ」
 いつになく自分の過去を長く話した事に戸惑いながら修吾は目を閉じた。

< 30 / 64 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop