初恋
第三十二話 邂逅

「先輩、今晩あたりぱーっと飲み行きましょうよ~」
 いつもの軽い調子で飲みに誘う純二に修吾は苦笑する。
「金欠でおごってもらいたいんだろ?」
「あ、バレバレっすか?」
「バレバレだ。真っすぐ家に帰れ」
「へ~い」
 事務所を後にする純二を確認すると沙織のデスクに歩み寄る。
「みんな帰っちゃいましたね」
「だな」
 修吾は沙織を正面から抱きすくめると軽くキスをする。
「いけない人……、職場ですよ?」
「嫌か?」
「もう……」
 沙織は修吾の腕の中でまんざらでもない笑顔を見せる。
「今日はどうする? 来るか?」
「ん~、あんまり外泊続くとちょっと……」
「そうだな、しばらくは家に帰った方がいいだろう」
「ごめんなさい」
「いいよ、こうやって毎日職場でも会えるわけだし」
 修吾の笑顔を見て沙織も満面の笑みを返す。会社の正面玄関の鍵を閉めると、修吾はいつものコンビニに沙織を送り届ける。
 付き合いを決めた日から使用感のなかった助手席は、今や完全に沙織の指定席となっていた。助手席から降りてドアを閉めると、沙織は窓をノックする。
「どうした?」
 窓を下げると沙織が前屈みで話し掛けてくる。
「あの、修吾さん」
「ん?」
「今週の日曜日、予定とか大丈夫ですか?」
「当たり前だろ。誰かさんとデート予定」
「ありがとう。でもちょっとお願いがあるんだ」
「なに?」
「両親に会ってくれない?」
 両親という強烈な単語に、修吾は頭が一瞬クラっとする。
「ちょっと待て、付き合ってまだ二ヶ月だぞ?」
「ダメ?」
「ダメっていうか……、まだ早いだろ」
「私、毎日修吾さんと居たいんだ。職場だけでなく、家でも」
「俺だって気持ちは同じさ。だけど早すぎだろ? それに結婚は絶対にしないって言ってなかったか?」
「修吾さんとなら、私いいかなって。実際すぐに結婚とまでは考えていないけど、せめて同棲をって考えると、それでも一度顔見せておいてほしいなって思うんだけど。ダメかな?」
 真面目な顔で懇願されると修吾も弱い。
「そうだな、一度くらい挨拶は必要かもな。ところで、俺達のこと両親に話したのか?」
「お母さんには話した。こういうとき女親はこっちの味方だから安心していいよ」
「そうなのか。お父さんの方はいいのか?」
「お父さんの方は当日言うくらいがちょうどいい。ショックは一日だけで充分でしょ?」
「なるほど、よく考えてるな……」
「実はお母さんとは話し合って計画済みなの。だから後は修吾さんの返事待ちなんだ」
「それって、俺にプレッシャーかけてないか?」
「うん、かけてるよ」
「ったく。分かったよ、明後日の日曜日挨拶に行くことにするか。相変わらず強引なヤツだな……」
「強引だよ。だって、私、修吾さんのこと……、愛してるもの」
 照れながらもちゃんと目を見て言う沙織に修吾も真摯に応える。
「俺も、愛してるよ」
 それを聞いて沙織は笑顔で手を振り、走り去っていった――――


――日曜日。実家への道すがら修吾は心配そうな面持ちで訊ねる。
「お父さん、俺のこと怒ってなかった?」
 流石の修吾も恋人の父親相手では緊張感で変な汗が出てきていた。
「うん、さすがにちょっとね」
「まじか。ううっ、胃が痛くなってきた……」
「大丈夫だって、お母さんも味方だし。お父さんも普段は優しいから」
「それ普段だろ? 今日は絶対ピリピリしてるだろ」
「ハイハイ、もう覚悟決めて来るの、ハイ!」
 自宅の門扉までやってくると、修吾は沙織に引っ張られ付き添われる形で呼び鈴を鳴らす。
「は~い」
 呼び鈴とほぼ同時に母親であろう陽気な声がして玄関のドアが開く。
「いらっしゃい。待ちわびてたわよ……」
 出てきた母親は修吾の顔を見ると、顔を強張らせ一瞬止まる。当の修吾も母親の顔を見て目を丸くした。
(深雪さん!)
「どうかしたの?」
 沙織の声で修吾も深雪も我に反る。
「あ、ごめんなさい。さっ、どうぞお上がりになって」
「し、失礼致します」
 修吾は動揺を隠しつつ型通りの挨拶を交わし上がる。応接間に通されると腕組みをした父親の姿が目に入った。相手も緊張しているのか顔が強張っている。一通りの挨拶を交わすと重苦しい沈黙が流れる。
(何を話せばいいんだ。っていうか、沙織は深雪さんの娘だったのか!? なんてことだ……)
 当の深雪はすまし顔でお茶を飲んでおり、何を考えているのか分からない。
(二十年ぶりの再会がこんな形になるんて皮肉だな。でも、元気そうでよかった……)
 修吾は父親のことをそっちのけで深雪を見つめる。
「で、加藤君。沙織とは本気なのか?」
 不意に問い掛けられ修吾はビクッとなる。
「も、もちろんです」
「しかし、十五歳の年の差はいただけない。沙織はまだ社会に出たばかりの子供だ。私としては、年の近い方と付き合ってほしいと思ってる。悪い言い方だが、何も知らない沙織をたぶらかしたのでは、とすら勘ぐってしまうよ」
「ちょっとお父さん、失礼じゃない。恋愛に年の差なんて関係ないよ。ねぇ、お母さん」
「ごめんなさい沙織。お父さんの言う通り、私もこの年の差は頂けないわ」
「ちょ、ちょっと、お母さん話が違う……」
「こうやって実際に会うまでは、沙織を応援しようと思ってたけど、現実を考えるとやっぱり難しいわね」
「何よそれ……」
(どういうつもりなんだ、深雪さん)
「言っとくけど私、絶対別れないよ。結婚だって考えてるんだから」
「沙織、おまえは男性との付き合いがないから熱くなってるだけだ。冷静になれ」
「頭きた! 人をバカにするのも程がある。言っておきますけど……」
「沙織!」
 感情的になり始めた沙織を止めるかのように修吾は力強く名前を呼ぶ。
「な、なに?」
「今日はおいとまするよ。君はもう少しご両親と話し合った方がいい。今回は少し事を急ぎすぎてる。ちゃんと沙織の気持ちを理解してもらった上で、またご挨拶に伺うことにしよう」
 冷静な意見に沙織は渋々と言った感じで頷く。
「沙織さんのお父さんにお母さん、突然の訪問失礼致しました。今日はこれでおいとまさせて頂きます。またお呼び頂ける機会がございましたら幸いです。それでは」
 二人に一礼すると修吾は足早に部屋を後にする。沙織はその後を慌てて追う。
「ごめんなさい、修吾さん、まさかこんなことになるなんて……」
「いいよ。今度はよく話し合って、それから呼んでくれ。見送りはいい。また明日な」
「うん……」
 元気なく返事する沙織を心配しつつ、修吾は足早に家を後にした――――


――二時間後。
「家、出てきた」
 修吾がドアを開けるや否や、息を切らしながら沙織は言う。肩には大きなバッグを抱えている。
「と、とりあえず入れよ」
 沙織はかなり怒っているようで、つんけんしている。
「水持ってくるから待ってろ」
「うん」
 出された水を半分くらい飲み干して一息つくと沙織は口火を切る。
「お母さんがあんな人とは思わなかった!」
 開口一番の深雪の話が出て、修吾は緊張する。
「今朝までは私のことを全面的に応援するとか言ってたのに、土壇場で裏切るなんて信じらんない!」
(多分、相手が俺だったというのがあるんだろう……)
「あのあと話し合ったんだけど、ずっと平行線。お父さんはひたすら歳の差のことを気にしてるし、お母さんに至っては完全にスルーして話もしないの」
「で、キレて家出か」
「家出じゃなく、同棲です」
 怒った顔で沙織はきっぱり言う。
「はいはい」
「修吾さん、嬉しくないの? 今日からずっと一緒にいられるのに」
「嬉しくないな」
「えっ、どうして?」
「このまま沙織を住まわせると、俺はずっと沙織の両親に信頼されないし認められない。沙織が将来的に両親に祝福されて俺と結婚したいと思うのなら、ちゃんと帰るべきだ。両親と縁を切ってもいいと思うのなら、ここにずっといればいい」
 考えもしなかった修吾の意見に、不機嫌そうな顔をする。その顔を見て修吾は優しく諭す。
「喧嘩して飛び出たのならなおさらだ、今日は帰りな。ご両親が心配してる。沙織への愛情が半端じゃないことは今日よく分かったしな。愛されてなけりゃ、あんなに心配して俺を責めたりしない」
 修吾の優しい言葉を反芻し、沙織は自分のミスに気がつく。
「私が、修吾さんのイメージを悪くしたのね。そして今から更に悪くしようとしてる。私、バカだ……」
 泣きながら後悔する沙織を修吾は背後から抱きしめる。
「家まで送るよ。これから、ご両親に認められるように頑張ろうな」
 抱きしめられる修吾のたくましい腕を両手で握りしめながら、沙織は涙目で頷いた。

< 33 / 64 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop