初恋
第三十三話 二十年

 半年後、市役所から出るなり沙織は修吾の腕に絡み付く。今日は大安ということもあってか同じように婚姻届を提出しに来ているカップルも数組見られた。無事に提出を終えた瞬間から、二人は晴れて夫婦となり沙織は嬉しさを抑えらない。
「今日から同じ苗字だね」
「ああ」
 しばらく歩くと沙織はまたつぶやく。
「今日から夫婦だね」
「そうだな」
 しばらく歩くとまたまたつぶやく。
「今日から、ずっと一緒だね」
「さっきから同じようなこと言ってるな」
 流石に何度も言う沙織に修吾は苦言を呈する。
「だって……、ふふっ」
「ま、道のりが道のりだっただけに、気持ちは分かるけどな」
「ホント、初めての挨拶から半年だもん。何回反対って単語を聞いたか。でもよかった、こうやって結婚できたし。修吾さんと知り合って一年くらいしか経ってないのが、不思議なくらい長く感じた期間だった」
「そうだな」
 喜色満面の沙織ではあるが、当の修吾は心の奥で引っかかるものがある。それは当然ながら義母であり初恋の相手でもある深雪の存在だ。
(今回のことで、深雪さんは最後まで賛成しなかった。そして、俺との関係も全く触れず、話題にすらしなかった。深雪さんの深い考えは理解できないけど、深雪さんも深雪さんの道を歩いてるってことか。深雪さんとのことは黙っておいて正解だったな……)
 説得するにあたって深雪とは何度も顔を合わせることになったが、お互いに何一つ言葉を交すことはなかった。
「あっ、そうそう。来週の日曜日だけど、お母さんが家に来てって。多分、お祝い兼結婚式の日取りの話をしたいんだと思うけど、大丈夫?」
「ああ、もちろん。祝福してくれるって言うんだ。こんなに喜ばしいことはないさ」
「うん。じゃあ早速連絡入れとくね」
 沙織は手際よく携帯電話を操作してメールを送信した――――


――日曜日。行き慣れた結城家の実家に向かうと沙織が出迎える。今日は皆でお祝いをするという趣旨を聞いており修吾の手にはケーキの箱が携われていた。しかし、沙織に次の言葉で予想とは違った事態になったと修吾は内心焦る。
「ごめんなさい、お父さん急に夜勤入っちゃって」
 居間に通されながらに普通に聞かされるものの、頭の中では瞬時に以降の光景が想像され緊張感が走る。
(じゃあ、今日は沙織と深雪さんと三人か。何かの拍子、例えば沙織が席を外したときとかがちょっと怖いな)
 色々想像し少し戸惑いながらも修吾は椅子に腰掛ける。
「仕事だから仕方ないけどね。とりあえず、今日は三人でお祝いしよ」
 明るい表情の沙織に修吾も異存なく頷く。そこへお茶を持って深雪が現れる。当然、その姿を見ただけで心拍数は上がる。
「そうね。じゃあ、修吾さんと沙織は居間でゆっくりしてて、すぐに夕食の準備するから」
「あ、あたしも手伝う。修吾さんは居間でくつろいでて」
 母娘揃って仲良くキッチンに向かう姿を見て、修吾は不思議な気持ちになる。
(こうやって深雪さんに会うまで気付かなかったけど、並んでいるところを見比べると、声や目元は確かに似てる……)
 同じような人、というより本人の遺伝子を半分受け継ぐ沙織を好きになってしまったことに、自分自身の女性を見る目が怖くなる。一方で、深雪の本心が未だ垣間見えずモヤモヤ感は晴れずにいた――――


――二時間後、夕飯も済ませ、式の話を終えると修吾は入浴を促される。話の流れで今夜は結城家に泊まることになった。風呂から上がると、入れ代わりに沙織が浴室に向かって行く。
(ってことは、今から深雪さんと二人っきり……)
 緊張しながら居間に入ると、ビールとグラスを持った深雪が待っている。
「あの、お風呂先に頂きました」
「はい、どういたしまして。ビール飲むでしょ? 座って」
 促されるまま座りグラスを握ると、深雪自らがビールを注ぐ。
「結婚、おめでとう」
 注ぎながら深雪は初めて祝辞を口にする。
「あ、ありがとうございます」
 注ぎ終えると同時に目が合う。二十年ぶりにちゃんと向き合うと心は自然と熱くなる。何も言えずに黙っていると深雪の方から視線を逸らす。
「沙織を、幸せにしてね」
 ぽつりと言う深雪に修吾も一言だけ答える。
「はい」
 修吾の返事をきくと、深雪は足早に立ち去る。深雪の言葉に修吾の心はズキズキとうずく。それと同じくして、ずっと心の中に抱いていた想いにヒビが入っていくのを感じる。
(これで、前に進める。これでいいんだ……)
 修吾は苦い想いをも一緒に飲み込むように、ビールを一気に飲み干す。しばらくするとサラミときゅうりのおつまみを持って深雪が現れる。脇には式場のパンフレットを挟んでいる。
「たいしたものじゃないけど、おあがりになって」
「すいません、頂きます」
 爪楊枝に手を伸ばし、もくもくとサラミとビールを行き来する中、深雪はずっとパンフレットを読んでいる。
(正直、気まずい……)
 居心地悪そうに再びサラミに手を伸ばしたとき、ふいに名前を呼ばれる。
「修吾さん」
「は、はい」
「招待する人数は、少ない方がいいかしら?」
「そうですね、私には親類がいませんから……」
 しばらく沈黙が流れ、深雪から核心とも言えるような言葉を切り出す。
「二十年、ぶりね……」
「深雪さん、俺のこと全く話さないから、気付かれてないかと思った」
「そんな訳ないでしょ。互いのことを忘れるほど、浅い付き合いじゃなかったと思うけど?」
 修吾は素直に頷く。
「沙織には話してないのね?」
「はい」
「話したところで誰も喜ばないし、そのまま黙っててあげて」
「そのつもりです」
「ありがとう。あれから二十年、か。随分と立派になったわね」
「深雪さんこそ相変わらず綺麗だ」
「そういうこと言わないの。誤解されるでしょ?」
「ごめん」
「でも、内心嬉しかったりする」
 懐かしい含み笑いに修吾も笑顔になる。
(深雪さんらしいな……)
「でも、ホントびっくりした。沙織の連れてきた相手が修吾さんだったなんて」
「それを言うなら俺だって心臓飛び出そうでしたよ。沙織が深雪さんの娘だったんですから」
「そうよね、びっくりするわよね。ところで、こんなこと聞くのは失礼だけど、二十年前のこと、まだ恨んでる?」
 当時の情景が頭に浮かび、言葉が出ない。
「今思うと修吾さんには悪いことをしたって反省してる。多感な頃だったのに、あなたの気持ちを踏みにじるようなことをしてしまって……」
「仕方ないですよ。当時の俺は中学出たてのガキだったし、現実を考えれば深雪さんの結婚をどうこうできる存在でもなかった。俺がガキ過ぎただけです」
 修吾の気遣いに深雪はただ頷くしかない。
「もう一つ気になることがあるんだけど、修吾さんは沙織のどこに惚れたの?」
「えっ? それは……、全てですよ」
 この返事に深雪は少し目つきが鋭くなる。
「知り合ってまだ一年くらいの付き合いでしょ? 全てを分かったような発言は頂けないわね」
「すいません……」
「で、具体的にどこに惚れて結婚決めたの?」
 予想外の追求に修吾もしどろもどろになる。
「ん~、やはり、真っすぐなところですね。とにかく純粋に真っすぐ俺に向かってきた。その心に惚れたんだと思います」
「なるほどね」
 修吾の答えに満足しているのかいないのか、その表情からは読み取れない。
「そういえば、深雪さんはなんで俺たちの結婚に反対だったんですか?」
「反対の理由、ね。正直今でも賛成半分、反対半分くらいの気持ちよ。沙織はまだ二十歳になったばかりですもの、若すぎるわ。でも、沙織の真っすぐな想いに私も折れた。誰に似てあんなに頑固になったのやら」
「それはまず間違いなく深雪さんでしょ」
「あ、やっぱりそう思う?」
「ええ」
「ひど~い」
 深雪はこぼれるような笑顔を見せる。
(やっぱり笑ってる深雪さんが一番だな。二十年ぶりにちゃんとこうやって話すと過去の全てが許せてしまう)
 深雪に抱いていた二十年分の戸惑いや猜疑心が薄れて行くのを感じていると、居間の扉が開く。
「いいお湯だった~、お母さん笑ってたけど、何の話してたの?」
 談笑する二人に割って入るように、タオルを頭に巻いた沙織が居間に入ってきた。修吾は気持ちを落ち着かせ沙織に向き合う。
「沙織の頑固は誰に似たのか、って話してたのよ」
「私の悪口で笑ってたのか……、むぅ~」
 沙織は口を尖らせて不満顔をする。
「じゃあ、お母さんはお風呂入って寝るわ。二人ともごゆっくり~、うふふ」
 意味深な笑いを浮かべ深雪は後にする。
「むぅ、お母さんめ……、ごめんね修吾さん。変なこと聞かれなかった?」
「いや、真面目な話をしてただけだ」
「真面目な話って、式のこと?」
 机にあるパンフレットを見て察する。
「ああ、俺は親類が少ないからな」
「私も盛大になんて思ってないから、身内感覚くらいでいいんじゃないかな?」
「そうだな」
 修吾は楽しそうにパンフレットを眺める沙織の肩に手を被せると、黙って身を引き寄せ唇を重ねる。
「もう……、今日は実家だよ。酔ってるの?」
「酔ってない。だが、今日はおまえが欲しくて堪らない」
 修吾のストレートな言葉に沙織の頬は赤くなる。
「今日の修吾、ちょっと変だね……」
「俺はいつも変だよ。嫌か?」
 修吾の熱い瞳に沙織は優しい笑みを返した。

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