初恋
第五十話 手術(深雪編)

 手術当日、病室のドアが開くと修吾と沙織が現れる。沙織の目が赤いことに気がつき、その気持ちを察する。
(修吾君、ちゃんと来てくれた。よかった……)
 強がってはいるものの、会うのが最後になるかもしれない今日、修吾を一目見てから手術に臨みたいと深雪は思っていた。
「あらやっぱり来たのね。気を遣わせちゃって悪いわね」
「こんな大事な日に来ない訳ないでしょ。お父さんは?」
「さっきまで居たんだけどね。トイレ行ったっきり帰って来ないの。ウンコね、きっと」
(真司さん、きっとトイレで泣いてるんだろうな……)
「あんまり遅いから来ないかな~って思ってたけど、来てくれてホッとした。だって……」
「な、何?」
「手術後の快気祝い、決めてなかったでしょ? それが心残りだったのよ~」
「あはは、お母さんらしいわ……。快気祝い、私が考えとくよ」
「宜しく~。あ、修吾さんもわざわざありがとね」
「いえ」
 いつもよりも増して緊張し居た堪れない表情を見せる修吾を見て、深雪も心が痛む。
「ところで沙織。どうなのよ?」
「えっ? どうって、何が?」
「赤子はまだ?」
「ちょっ……、もう、こんなときに。少しは真剣に……」
 沙織が抗議しようとしたところに真司が帰ってくる。
「修吾君に沙織、やっと来たか」
 修吾は会釈してベッドへの通路を開ける。
「遅くなってゴメンね」
 謝る沙織に真司は微笑む。
「いや、お陰でお母さんとゆっくり話せたからいいさ……」
「そう……」
 二人の雰囲気を察して修吾は黙って病室を後にする。深雪は黙ってその後姿を見送る。
(修吾君、ホントはいろいろ話したい……)
「お父さん、悪いんだけどちょっと沙織と二人っきりで女同士の話がしたいんだけどいいかしら?」
 深雪のお願いに真司は素直に従い部屋を後にする。沙織は椅子に座ると話し掛けてくる。
「女同士の話ってなに?」
「あまり時間ないから端的に聞くわね。その顔、修吾さんに手紙を見せたでしょ?」
 深雪の観察力に沙織は驚嘆する。昔からのことだが、深雪は沙織が口にしない心の機微を察知し、いつも理解してくれていた。
「なんでわかるかな……」
「この病室に来て別れが辛くて泣くのは分かるけど、病室に入る前から目が真っ赤だった。ついさっき泣いたみたいにね。だからきっと何かあったんだと思ったの。そして、修吾さんの顔色と緊張感、私に目線を合わせられないところから判断して、さっき手紙を見たんじゃないかって推理したの」
「名探偵だね、お母さんは」
「修吾さん、ショック受けてた?」
「うん、受けてた。でも、お母さんと一緒で自分も気持ちは伝えないって」
「そう、やっぱり大人ね」
「お母さんは、本当にいいんだよね?」
「ええ、もう十分よ」
 沙織は二人の決意を聞き寂しい気持ちになるも、どこか安堵する。
「お父さんには見せてないでしょ?」
「うん。手術が終わったら今日ちゃんと処分するから安心して」
「お願いね」
 沙織が頷くと深雪は両腕を差し出してハグのジェスチャーをする。それを見た沙織はベッドにあがり素直に抱きしめられにいく。
「今までいろいろと辛い想いさせてごめんなさい。結婚を反対したりこんな手紙を書いて、沙織をたくさん傷つけて。私はダメな母親だった」
 優しく頭をなでながら深雪は語る。
「そんなことないよ。お母さんが私にしてくれたことは全て、私を思ってのことだった。修吾さんのことも、お母さんはずっと何十年も苦しんで耐えてきてた。とてもじゃないけど、私じゃマネできない」
「お母さんのマネなんかしちゃダメよ。そんなことしなくても沙織は修吾君に幸せにしてもらえるんだから」
「うん……」
「沙織」
「なに?」
「お母さんの元に生まれてきてくれて、ありがとう。沙織と過ごせたこれまでの日々、幸せだった……」
 深雪の言葉を聞いた刹那、沙織は我慢できず抱きしめたまま号泣してしまう。
「お母さん……、嫌だよ、死んじゃやだ。絶対返ってきて……」
「うん、頑張る。後は祈ってて」
 諭すように身体を離すが、沙織は手を握ったまま放さない。部屋のドアが開きそちらを見ると真司と修吾が入ってくる。後方には手術用ストレッチャーを牽引しながらナースがこちらに向かっている。
「来たのね? じゃあ、お母さん行ってくるから、後はお願いね。沙織……」
「いや、行っちゃいや……」
 沙織は涙をボロボロ流しながら深雪の手を強く握っている。
「沙織、放して。お母さん必ず帰ってくるから、大丈夫だから」
 深雪の優しい言葉に沙織は頷く。
「アナタも、信じて待って」
「ああ」
 修吾の方を見ると無言で深雪を見つめている。
(修吾君……)
「沙織を、宜しくね。修吾さん」
 深雪の言葉に対して修吾は素直に頷く。ベッドからストレッチャーに移されると、深雪はナースに少し待って貰うように頼む。
「見送りはここでいいから、後は成功を祈っといて」
 沙織は修吾に抱き着いたままずっと泣いている。
「深雪、病気なんかに負けるなよ。待ってるからな」
「ありがとう、アナタ」
「沙織、お母さんに何か言うことないか?」
 沙織は泣きながら頷く。
「修吾君」
 真司の言葉に深雪は修吾を向く。
「頑張って、必ず、治して下さい」
(修吾君、本当にいい大人になった。それをこの目で確認できただけでも私の人生に悔いはない……)
「ありがとう。じゃあ、お願いします」
 深雪の合図にストレッチャーが動き始め、あっという間に病室を後にする。廊下を出て手術室に向かう中、深雪の頭の中は修吾との思い出が甦る。
(小さくて泣き虫だったあの修吾君が、あんなに立派な大人になって沙織を愛してくれて、私のことも気遣ってくれた。本当に良かった。ずっと独りぼっちで辛い想いをしているんじゃないかと心配してけど、これで私の役割は果たした。間接的だけど、私の想いも伝わったみたいだし、もう思い残すことはない……)
 エレベーターがニ階に到着し、ストレッチャーが完全に降りたとき、ふいに修吾の声が掛かる。
「深雪さん!」
(えっ? この声は……)
 予想もしない修吾の声に、深雪はすぐにストレッチャーから起き上がる。その顔は動揺の色を隠せないでいる。
「修吾、さん。どうしたの?」
(まさかここで言うつもりじゃ……)
 突然の展開に深雪の胸の鼓動は早くなる。
「あの、俺さ、その……、手紙。読んだよ。でさ、謝りたかった。気持ちに気付いてやれなくて。ずっと、辛い想いさせてて、ゴメン……」
 頭を下げる修吾に深雪は笑顔を見せる。
「そんな、わざわざ謝らなくてもよかったのに。修吾さんは何も悪くないんだから。可笑しな人ね」
「う、うん……」
「お話はそれだけ?」
(言って欲しい。私を愛してるって、言って欲しい……)
「あの、俺は……」
「修吾さん!」
 修吾の背後にはいつの間にか沙織が立っており、その後から肩で息をしている真司も現れる。
(時間切れ、か……)
「あらあら、結局みんな来ちゃったわね」
 沙織の出現で修吾は苦悶の表情を見せるが、深雪はその想いを察して優しく語りかける。
「ありがとう、修吾さん。言わなくても、分かってるから……」
(本当は、貴方の口から直接聞きたかったけど。追ってきてくれただけでも幸せ。ありがとう、ありがとう、修吾君……)
 深雪の優しい言葉に、修吾の目からは涙が溢れている。
「アナタも沙織も、ありがとう。私、必ず病気に打ち勝って帰ってくるから。待ってて」
 そう言うと、深雪は再び横になり移動するようにナースに頼む。
(もう二度と会えないかもしれないけど、私は最後まで幸せだった。いい人生だった)
 追いかけてくれて、自分のために泣いてくれた修吾の気持ちに触れ、深雪は穏やかな気持ちで手術室に入っていった。

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