【第二章】狂気の王と永遠の愛(接吻)を
ショートストーリー "隠れ鬼"から生まれた悠久の城の新たな規律
あたたかな風がそよぐ青天の悠久の国。麗しい銀髪の王が住まうこの悠久の城では、今日も子供たちの楽し気な笑い声が聞こえる――。
「よぉっし！ 次は俺が鬼だな！」
薄っすらと日焼けした<見習い剣士>のカイは腕まくりをしてやる気を見せつけるように後方のふたりを振り返った。
「さっきも言ったように、隠れていい場所はこの敷地の中ならどこでもだぜっ！」
「時間制限は無し！ 最後のひとりが見つかるまで"隠れ鬼"は続く！」
カイの瞳に映っているひとりは、自分と同じくらいの年の<魔導師>アレス。五大国第二位の地位に君臨し、この国の王であるキュリオの命により賜った姫君の世話係兼教育係を担う少年である。漆黒の衣に腰ほどまである黒髪のアレスはカイとは真逆の人格を持ち、心や感情で動くカイの危うさを補う上でも、姫君の教育を行う人物としても最適な天才魔導師だった。
「アオイ様が居るんだからカウントは百までね。ずるして逃げた方向を覗き見するのも禁止。アオイ様だけを探そうとするのも禁止」
前者のカウントの話についてアオイは年齢というハンデがあり、ふたりよりも逃げる速度が遅いため致し方ない。
そして後のふたつは、この幼い姫君を愛して止まないカイがアオイを捕まえたいばかりに彼女だけを追いかけるのを防ぐために刺した釘だった。
「……っそ、そんなことするわけないだろっ！！」
自分よりも身長の大きな兄のようなふたりをキラキラした瞳で見上げている少女の名はアオイ。
水蜜桃のような淡く柔らかい桃の色をたたえた柔らかい髪に雪のような真っ白な肌。真ん丸な瞳は優し気に弧を描き、キュリオに溺れるほどの愛を注がれ健やかに成長する彼の愛娘だ。彼女の笑みはたくさんの愛にあふれ、取り巻く者たちへ幸せを運ぶ。恐らくそれは一身に受けた偉大な愛の影響であると思われるが、それだけではなく彼女の内なる心が優しいためであろうことはキュリオを始めとした皆も気づいている。
顔を赤くして否定するカイの袖がクイクイと引かれて。
「え……？」
ドキリとしてその主を追いかけた視線の先ではアオイが微笑んでいる。
「いっちょにおに」
そう言ったアオイはカイに抱きつくと、「いーち……いーち、いーち……」と次に進まないカウントを始めた。
「アオイ姫様っ……鬼はひとりなんですっ！ アオイ姫様は隠れなくちゃ！」
「……？」
恐れ多いばかりにアオイを抱きしめることも出来ず、緊張で体を強張らせたカイは完全に硬直してしまった。
「行きましょう、アオイ様。私たちはカイ……つまり鬼から隠れるんですよ」
やんわりと諭すようにアレスの手がアオイの両肩に伸びてくる。
かつては本物のヴァンパイアから逃げるための訓練の一環として、子供たちにも苦痛なく学ばせるために遊びの要素を取り入れて広めたとされる"鬼ごっこ"。体力では到底叶わないヴァンパイアから逃げるには身を隠す、もしくは朝日を待つしかない。それでも夜の間に見つかってしまったら体力の許す限り逃げなくてはならないのだ。
そんな悲しい歴史を持つ悠久の国だが、今となってはヴァンパイアが恐れているのは悠久の王で、本物の鬼に追いかけられるようなことは滅多になくなった現代。それもすべて≺現王>キュリオの力が強大なお陰である。
「……にげう？」
まだまだ幼さの抜けない愛らしい口調。それでも周りの大人たちと意志疎通するには充分な言語が彼女には備わって来ていた。
「そうです。私が途中までご一緒いたします。お手をどうぞ」
「く、くっそーっ！！ 次はお前が鬼だからな！ アレス！！！」
戸惑いながらもアレスの手をとったアオイを見るなりカイが地団駄踏んでいる。
「そう簡単に見つけられるかな？」
魔導師は頭がいい。
さらに忘れてはいけないのはアレスは<天才魔導師>なのだ。
不敵な笑みを浮かべて小走りを開始したアレスはアオイを気遣いながらも行く道を先導する。
「ぜってぇ見つけてやるーーっっ！！」
悔しそうなカイの叫びがこだまする中、集合場所であった庭を出たふたりは城の中を目指してどんどん進んでいく。
「アオイ様、城の中でしたら危険はありません。一緒に居りますと同時に捕まってしまいますので、このあたりで二手に分かれましょう」
「うんっ」
楽しそうに頷いたアオイは、これまでに何度か繰り返した"隠れ鬼"のルールを思い出した様子だった。それを見たアレスが安心したように少女の後ろ姿を見送ると、今度は自身の隠れ場所を探してその場を後にした。
――庭での子供たちのやり取りが風に乗って彼のもとまで届いた。口角を上げて執務室を出た銀髪の青年は、愛しい気配を追うようにゆったりとした足取りで歩き出した。
品のある端正な顔立ちに涼し気な眼差し。色気の漂う薄い唇と絹のような長い髪。そしてそれらの中で一際美しく輝く空色の瞳。
<慈悲の王>として君臨し、民を平等に慈しみ愛してきた彼の名はキュリオ。
即位して五百年を超えた彼は、この先も続くであろう長き人生の中で……運命の人と出会ってしまった。
聖獣の森でたったひとり置き去りにされて泣いていた赤子のアオイである。親が誰かもわからぬ彼女に名前はなく、"アオイ"という名はキュリオがその願いを込めて付けたものであり、血の繋がりがなくとも彼女を愛し続けることを誓い、悠久の国で王に次ぐ第二位の地位を彼女に与えた。
かつての彼からは想像も出来ぬほどの溺愛ぶりを見せ、ようやく人間らしい幸せを見つけたキュリオがアオイを手放せるわけがなく、こうして執務の合間を見ては彼女を探して部屋の外を行く――。
まだ階段を上がることができないアオイが行き来するのは一番下の階であることを知っていたキュリオの足は自然とそちらへ向かい、気配とわずかな声を辿りながら光が燦燦と差し込む通路を歩く。
幸いにも愛しい彼女はすぐに見つかった。
どうやら誰かを探していたらしいアオイは小動物のように愛らしい動きで辺りを見回している。
「アオイ」
「……！」
心地よい低音の青年の声が響くと、パッと表情に花が咲いた彼女はたどたどしい足取りと満面の笑みで近づいてくる。
「おとうちゃま！」
両手を広げてすぐそこまで来た愛娘を抱き上げようと腕を伸ばすと――……
目の前で四つん這いになったアオイが視界から消える。
「うん？」
彼女のしようとしていることが理解出来ずにいたキュリオが視線を下げると、まるでテーブルの下へ身を隠そうとするような仕草でアオイが衣の中へと入ってくる。
「……アオイ、そんなところに隠れてはいけな……」
まさかのアオイの行動に一瞬戸惑ったキュリオ。しかし、その制止する言葉さえ愛らしい声に遮られてしまう。
「しぃー」
衣の隙間からわずかに顔を出したアオイは口元へと人差し指を添えながらこちらを上目使いで見つめてくる。
恐らくカイやアレスに教わったのだろう。隠れる上で大事なのは物音を立てないことであると。忠実にそれを守っているアオイも可愛いが、隠れている場所が場所なだけにキュリオは微動だにできない。
「…………」
アオイが再び顔を隠してしまうと、彼女の柔らかな髪や手がキュリオの足を優しく撫でる。それはまるでテーブルの下へ隠れたときに、その脚へ抱き着くような感覚なのだろう。
感じたことのないくすぐったさに思わず笑みがこぼれてしまいそうになったキュリオだが、その背筋を伸ばす声が近くで聞こえた。
「あれー……アオイ姫様ならこの階にいると思ったんだけどなぁ……」
カイの声だった。
まだ隠れるのが上手ではないアオイを狙って追いかけてきたというよりも、見つけたときのアオイの可愛い表情が見たくて……の自然の行動であろうことはキュリオが最も理解しているつもりだ。そして、幼い彼女の身の安全のためにも先に見つけてやることが大事であることも承知しているからこその行動だとわかる。
(……カイの行動は立派だが、アオイがそれを望まぬ以上……ここはやり過ごしてやらねばいけないな)
「あ、キュリオ様！」
「……っ！」
カイの大きな声に見つかったかもしれないと、ビクリと身を震わせたキュリオの衣の下に隠れているアオイ。
そんな彼女を落ち着かせるために声を潜めたキュリオは優しく囁く。
『大丈夫。まだ見つかってはいないよ』
『……』
どうやらその一言でアオイは安堵したらしく、抱き締めていたキュリオのふくらはぎあたりから力が徐々に抜けていく。
「アオイ姫様を見ませんでしたか？」
軽い身のこなしでキュリオの目の前で立ち止まったカイ。息を弾ませて楽しそうに笑う彼にキュリオは微笑んで首を横に振る。
「ここには来ていないよ。他を探すといい」
いつもの柔和なキュリオの態度におかしいところはなかったはずだ。
……なのに、目の前の少年はパチクリと瞬きをしたまま移動しようとしない。
「…………そう、ですか」
「……ああ」
ふたりの間におかしな空気が流れた。
"……なにかしでかしたか？"と、キュリオは不安を掻き立てられる。そして、その空気を破ったのはカイだった。
「キュリオ様はこちらに御用事ですか？」
「そうだね。これから人と会う約束をしているんだ」
「……この先は侍女たちの宿舎があると記憶してますが……」
まさかのキュリオの言葉に唖然としているカイと、場所を把握せずうっかり適当な言葉を発してしまったキュリオ。
「……」
「…………」
そんな時、救いの声が響いた。
「……む？ そんなところでなにしとるんじゃ？ アレス」
「なに！？ アレスが近くにいるのかっっ！？」
声からしてすぐ近くに隠れていたに違いない。ガーラントの間延びしたような声がどこからか聞こえたのだ。
キュリオとの会話などすでに忘れたとばかりに一目散に駆けて行ったカイの背中を見送ると、安堵のため息をついたキュリオは衣の中の姫君へと声をかける。
「もう大丈夫だ。出ておいで、アオイ」
「あいっ」
アオイなりにスリルがあって楽しかったようだ。頬を蒸気させて四つん這いの格好で姿を現した彼女を抱き上げる。
「先に見つかるのはアレスだろう。お前はゆっくり姿を見せてやるといい」
こうしてキュリオのお陰で無事に鬼にならずに済んだアオイは再び隠れることができた。
今度はカイが念願のアオイの手を引いて城の中を歩いていたところでキュリオを視界に捉えた。
「キュリオ様！ どこか隠れるに最適な場所を知りませんか？」
「ふふっ、隠れる場所はたくさんあるが……果たしてアレスは見つけられるかな？」
含みのある言葉に目を輝かせたふたりだが、まさかの鬼のアレスの声が近くで聞こえた。
「百数え終わったよー！ 探しに行くからね」
「げげっ！ もうそんな経ったのか！！」
アレスの声の近さから考えて、キュリオがいう隠れ場所に辿り着くまでが危険な気がする。
どうしようかと慌てふためくカイを余所目に、アオイはキュリオを見上げてこう言った。
「あいっ どうじょ！」
「……っ！」
愛らしい声につられて視線を下げた先では――
アオイが自分のスカートを手繰り寄せてキュリオに入るよう促していた。
「……え？ なんです？ アオイ姫様……」
振り返ろうとしたカイの視界を遮るようにアオイと少年の間に立ちはだかったキュリオが斜め前方を指差し、カイへ走るよう指示した。
「カイ、すぐにあの扉へ入りなさい。アオイはあとで連れていく」
「へ？ は、はいっ！！」
疑うことなく全力で走るカイ。
そしてアオイを振り返ったキュリオは片膝をついてアオイの手繰り寄せたスカートを丁寧に直す。
「……レディがそんなことをしてはいけないよ。お前は女の子なのだから……」
とまで言い終えて。
「…………」
(男がしていいというわけではないが、どう説明すれば……)
「？」
首を傾げているアオイは、いま言われていることもどうやら理解していなさそうだ。
(……道理を説くにはアオイは早すぎる。私の衣の下はまだいいとして、他の男の衣の下へ隠れるのは……)
「……いや、しかし……幼いアオイの頼みを皆が断れるかどうか……」
真剣に悩んでいるキュリオは、アオイを隠すことも忘れブツブツと独り言を言っている。
「……おとうちゃま？」
父親の視界に自分が居ないことを察したアオイがキュリオの注意を引こうと衣を軽く握りしめた。
「アオイ……」
「？」
「…………」
「………………」
疑うことを知らない、あどけない瞳がキュリオを見つめている。
彼女は大人の汚い嘘も穢れも知るべきではない、遠ざけるべきだという決断にキュリオが至るまでは光の速さだった。
――そして翌朝。
悠久の城では"異性の衣の下に隠れてはいけない、隠してはならない。但し、親子においてはその限りではない"という規律が出されたのだった――。
「よぉっし！ 次は俺が鬼だな！」
薄っすらと日焼けした<見習い剣士>のカイは腕まくりをしてやる気を見せつけるように後方のふたりを振り返った。
「さっきも言ったように、隠れていい場所はこの敷地の中ならどこでもだぜっ！」
「時間制限は無し！ 最後のひとりが見つかるまで"隠れ鬼"は続く！」
カイの瞳に映っているひとりは、自分と同じくらいの年の<魔導師>アレス。五大国第二位の地位に君臨し、この国の王であるキュリオの命により賜った姫君の世話係兼教育係を担う少年である。漆黒の衣に腰ほどまである黒髪のアレスはカイとは真逆の人格を持ち、心や感情で動くカイの危うさを補う上でも、姫君の教育を行う人物としても最適な天才魔導師だった。
「アオイ様が居るんだからカウントは百までね。ずるして逃げた方向を覗き見するのも禁止。アオイ様だけを探そうとするのも禁止」
前者のカウントの話についてアオイは年齢というハンデがあり、ふたりよりも逃げる速度が遅いため致し方ない。
そして後のふたつは、この幼い姫君を愛して止まないカイがアオイを捕まえたいばかりに彼女だけを追いかけるのを防ぐために刺した釘だった。
「……っそ、そんなことするわけないだろっ！！」
自分よりも身長の大きな兄のようなふたりをキラキラした瞳で見上げている少女の名はアオイ。
水蜜桃のような淡く柔らかい桃の色をたたえた柔らかい髪に雪のような真っ白な肌。真ん丸な瞳は優し気に弧を描き、キュリオに溺れるほどの愛を注がれ健やかに成長する彼の愛娘だ。彼女の笑みはたくさんの愛にあふれ、取り巻く者たちへ幸せを運ぶ。恐らくそれは一身に受けた偉大な愛の影響であると思われるが、それだけではなく彼女の内なる心が優しいためであろうことはキュリオを始めとした皆も気づいている。
顔を赤くして否定するカイの袖がクイクイと引かれて。
「え……？」
ドキリとしてその主を追いかけた視線の先ではアオイが微笑んでいる。
「いっちょにおに」
そう言ったアオイはカイに抱きつくと、「いーち……いーち、いーち……」と次に進まないカウントを始めた。
「アオイ姫様っ……鬼はひとりなんですっ！ アオイ姫様は隠れなくちゃ！」
「……？」
恐れ多いばかりにアオイを抱きしめることも出来ず、緊張で体を強張らせたカイは完全に硬直してしまった。
「行きましょう、アオイ様。私たちはカイ……つまり鬼から隠れるんですよ」
やんわりと諭すようにアレスの手がアオイの両肩に伸びてくる。
かつては本物のヴァンパイアから逃げるための訓練の一環として、子供たちにも苦痛なく学ばせるために遊びの要素を取り入れて広めたとされる"鬼ごっこ"。体力では到底叶わないヴァンパイアから逃げるには身を隠す、もしくは朝日を待つしかない。それでも夜の間に見つかってしまったら体力の許す限り逃げなくてはならないのだ。
そんな悲しい歴史を持つ悠久の国だが、今となってはヴァンパイアが恐れているのは悠久の王で、本物の鬼に追いかけられるようなことは滅多になくなった現代。それもすべて≺現王>キュリオの力が強大なお陰である。
「……にげう？」
まだまだ幼さの抜けない愛らしい口調。それでも周りの大人たちと意志疎通するには充分な言語が彼女には備わって来ていた。
「そうです。私が途中までご一緒いたします。お手をどうぞ」
「く、くっそーっ！！ 次はお前が鬼だからな！ アレス！！！」
戸惑いながらもアレスの手をとったアオイを見るなりカイが地団駄踏んでいる。
「そう簡単に見つけられるかな？」
魔導師は頭がいい。
さらに忘れてはいけないのはアレスは<天才魔導師>なのだ。
不敵な笑みを浮かべて小走りを開始したアレスはアオイを気遣いながらも行く道を先導する。
「ぜってぇ見つけてやるーーっっ！！」
悔しそうなカイの叫びがこだまする中、集合場所であった庭を出たふたりは城の中を目指してどんどん進んでいく。
「アオイ様、城の中でしたら危険はありません。一緒に居りますと同時に捕まってしまいますので、このあたりで二手に分かれましょう」
「うんっ」
楽しそうに頷いたアオイは、これまでに何度か繰り返した"隠れ鬼"のルールを思い出した様子だった。それを見たアレスが安心したように少女の後ろ姿を見送ると、今度は自身の隠れ場所を探してその場を後にした。
――庭での子供たちのやり取りが風に乗って彼のもとまで届いた。口角を上げて執務室を出た銀髪の青年は、愛しい気配を追うようにゆったりとした足取りで歩き出した。
品のある端正な顔立ちに涼し気な眼差し。色気の漂う薄い唇と絹のような長い髪。そしてそれらの中で一際美しく輝く空色の瞳。
<慈悲の王>として君臨し、民を平等に慈しみ愛してきた彼の名はキュリオ。
即位して五百年を超えた彼は、この先も続くであろう長き人生の中で……運命の人と出会ってしまった。
聖獣の森でたったひとり置き去りにされて泣いていた赤子のアオイである。親が誰かもわからぬ彼女に名前はなく、"アオイ"という名はキュリオがその願いを込めて付けたものであり、血の繋がりがなくとも彼女を愛し続けることを誓い、悠久の国で王に次ぐ第二位の地位を彼女に与えた。
かつての彼からは想像も出来ぬほどの溺愛ぶりを見せ、ようやく人間らしい幸せを見つけたキュリオがアオイを手放せるわけがなく、こうして執務の合間を見ては彼女を探して部屋の外を行く――。
まだ階段を上がることができないアオイが行き来するのは一番下の階であることを知っていたキュリオの足は自然とそちらへ向かい、気配とわずかな声を辿りながら光が燦燦と差し込む通路を歩く。
幸いにも愛しい彼女はすぐに見つかった。
どうやら誰かを探していたらしいアオイは小動物のように愛らしい動きで辺りを見回している。
「アオイ」
「……！」
心地よい低音の青年の声が響くと、パッと表情に花が咲いた彼女はたどたどしい足取りと満面の笑みで近づいてくる。
「おとうちゃま！」
両手を広げてすぐそこまで来た愛娘を抱き上げようと腕を伸ばすと――……
目の前で四つん這いになったアオイが視界から消える。
「うん？」
彼女のしようとしていることが理解出来ずにいたキュリオが視線を下げると、まるでテーブルの下へ身を隠そうとするような仕草でアオイが衣の中へと入ってくる。
「……アオイ、そんなところに隠れてはいけな……」
まさかのアオイの行動に一瞬戸惑ったキュリオ。しかし、その制止する言葉さえ愛らしい声に遮られてしまう。
「しぃー」
衣の隙間からわずかに顔を出したアオイは口元へと人差し指を添えながらこちらを上目使いで見つめてくる。
恐らくカイやアレスに教わったのだろう。隠れる上で大事なのは物音を立てないことであると。忠実にそれを守っているアオイも可愛いが、隠れている場所が場所なだけにキュリオは微動だにできない。
「…………」
アオイが再び顔を隠してしまうと、彼女の柔らかな髪や手がキュリオの足を優しく撫でる。それはまるでテーブルの下へ隠れたときに、その脚へ抱き着くような感覚なのだろう。
感じたことのないくすぐったさに思わず笑みがこぼれてしまいそうになったキュリオだが、その背筋を伸ばす声が近くで聞こえた。
「あれー……アオイ姫様ならこの階にいると思ったんだけどなぁ……」
カイの声だった。
まだ隠れるのが上手ではないアオイを狙って追いかけてきたというよりも、見つけたときのアオイの可愛い表情が見たくて……の自然の行動であろうことはキュリオが最も理解しているつもりだ。そして、幼い彼女の身の安全のためにも先に見つけてやることが大事であることも承知しているからこその行動だとわかる。
(……カイの行動は立派だが、アオイがそれを望まぬ以上……ここはやり過ごしてやらねばいけないな)
「あ、キュリオ様！」
「……っ！」
カイの大きな声に見つかったかもしれないと、ビクリと身を震わせたキュリオの衣の下に隠れているアオイ。
そんな彼女を落ち着かせるために声を潜めたキュリオは優しく囁く。
『大丈夫。まだ見つかってはいないよ』
『……』
どうやらその一言でアオイは安堵したらしく、抱き締めていたキュリオのふくらはぎあたりから力が徐々に抜けていく。
「アオイ姫様を見ませんでしたか？」
軽い身のこなしでキュリオの目の前で立ち止まったカイ。息を弾ませて楽しそうに笑う彼にキュリオは微笑んで首を横に振る。
「ここには来ていないよ。他を探すといい」
いつもの柔和なキュリオの態度におかしいところはなかったはずだ。
……なのに、目の前の少年はパチクリと瞬きをしたまま移動しようとしない。
「…………そう、ですか」
「……ああ」
ふたりの間におかしな空気が流れた。
"……なにかしでかしたか？"と、キュリオは不安を掻き立てられる。そして、その空気を破ったのはカイだった。
「キュリオ様はこちらに御用事ですか？」
「そうだね。これから人と会う約束をしているんだ」
「……この先は侍女たちの宿舎があると記憶してますが……」
まさかのキュリオの言葉に唖然としているカイと、場所を把握せずうっかり適当な言葉を発してしまったキュリオ。
「……」
「…………」
そんな時、救いの声が響いた。
「……む？ そんなところでなにしとるんじゃ？ アレス」
「なに！？ アレスが近くにいるのかっっ！？」
声からしてすぐ近くに隠れていたに違いない。ガーラントの間延びしたような声がどこからか聞こえたのだ。
キュリオとの会話などすでに忘れたとばかりに一目散に駆けて行ったカイの背中を見送ると、安堵のため息をついたキュリオは衣の中の姫君へと声をかける。
「もう大丈夫だ。出ておいで、アオイ」
「あいっ」
アオイなりにスリルがあって楽しかったようだ。頬を蒸気させて四つん這いの格好で姿を現した彼女を抱き上げる。
「先に見つかるのはアレスだろう。お前はゆっくり姿を見せてやるといい」
こうしてキュリオのお陰で無事に鬼にならずに済んだアオイは再び隠れることができた。
今度はカイが念願のアオイの手を引いて城の中を歩いていたところでキュリオを視界に捉えた。
「キュリオ様！ どこか隠れるに最適な場所を知りませんか？」
「ふふっ、隠れる場所はたくさんあるが……果たしてアレスは見つけられるかな？」
含みのある言葉に目を輝かせたふたりだが、まさかの鬼のアレスの声が近くで聞こえた。
「百数え終わったよー！ 探しに行くからね」
「げげっ！ もうそんな経ったのか！！」
アレスの声の近さから考えて、キュリオがいう隠れ場所に辿り着くまでが危険な気がする。
どうしようかと慌てふためくカイを余所目に、アオイはキュリオを見上げてこう言った。
「あいっ どうじょ！」
「……っ！」
愛らしい声につられて視線を下げた先では――
アオイが自分のスカートを手繰り寄せてキュリオに入るよう促していた。
「……え？ なんです？ アオイ姫様……」
振り返ろうとしたカイの視界を遮るようにアオイと少年の間に立ちはだかったキュリオが斜め前方を指差し、カイへ走るよう指示した。
「カイ、すぐにあの扉へ入りなさい。アオイはあとで連れていく」
「へ？ は、はいっ！！」
疑うことなく全力で走るカイ。
そしてアオイを振り返ったキュリオは片膝をついてアオイの手繰り寄せたスカートを丁寧に直す。
「……レディがそんなことをしてはいけないよ。お前は女の子なのだから……」
とまで言い終えて。
「…………」
(男がしていいというわけではないが、どう説明すれば……)
「？」
首を傾げているアオイは、いま言われていることもどうやら理解していなさそうだ。
(……道理を説くにはアオイは早すぎる。私の衣の下はまだいいとして、他の男の衣の下へ隠れるのは……)
「……いや、しかし……幼いアオイの頼みを皆が断れるかどうか……」
真剣に悩んでいるキュリオは、アオイを隠すことも忘れブツブツと独り言を言っている。
「……おとうちゃま？」
父親の視界に自分が居ないことを察したアオイがキュリオの注意を引こうと衣を軽く握りしめた。
「アオイ……」
「？」
「…………」
「………………」
疑うことを知らない、あどけない瞳がキュリオを見つめている。
彼女は大人の汚い嘘も穢れも知るべきではない、遠ざけるべきだという決断にキュリオが至るまでは光の速さだった。
――そして翌朝。
悠久の城では"異性の衣の下に隠れてはいけない、隠してはならない。但し、親子においてはその限りではない"という規律が出されたのだった――。
