【第二章】狂気の王と永遠の愛(接吻)を

巡る水の記憶

 その頃夕食を済ませたダルドとアオイは、眺望のよい特別室のような場所に立っていた。
 高い天井から垂れた淡い暖色の灯りが静かな夜を妨害することなく穏やかであたたかな輝きを放って、蛍の光のようにゆっくりと明暗を繰り返している。
 そしてダルドとアオイの頭上には紺色の布地に金の縁取りがなされた柔らかな布が縦横無尽に緩やかに張り巡らされて、まるで水の中にいるかのような感覚に陥るのも、わずかに開いた窓からの夜風がそれらを揺らして波紋のような曲線を描いているからかもしれない。

「不思議なところだね」

「んぅー」

 見上げるダルドを真似るように顔を上げたアオイが「そうだね」とでも言うように相槌を打った。

「僕はあまり深い水の中に入ったことはないけど、ここは水の底みたいだ」

「……」

 瞬きを繰り返すアオイもまた、この見たことのない空間を生きてきた少ない人生の中から近しいものを探して記憶を巡っている。

(おだやかな……水のながれ。穢れのない水に……深紅の色が流れて――)


 ――目を閉じると、見たことのある風景が瞼の裏に広がる。
 
 頬に感じる生ぬるい風は不穏な空気を抱いてアオイの髪を揺らして駆け抜ける。
 瞼を開いた先では蒼白い月に照らされた自分の影が足元に伸びる。
 その影をじっと見つめるアオイは足元から伝わってくる轟音と地響きに、悲しみにも似た感情と後悔の念に苛まながら突き動かされるように一歩踏み出した。

 自分の為すべきことはわかっている。

 アオイは夢中で誰かを探していた。力を持ってしまったが故に、引き寄せられた闇に彼が飲み込まれてしまわぬよう――。

 
「……姫? アオイ姫?」

「……」

 聞きなれた心地よい声に呼び止められ、アオイは足を止めた。

「わんわん……」

 先では銀色の神秘的な双球がこちらの身を案じるように覗き込んでいる。
 
「……」

(違う……彼じゃない)

 足を止めてはいけないと、アオイの心が叫んでいる。
 すると胸元でジタバタする彼女を落としてしまわぬよう抱くダルドの腕に力がこもる。

「……どうしたの?」

「だーめ」

 拒絶する言葉を発する彼女の声を聞いたのは初めてだった。
 何が気に食わないのかわからないが、ダルドはアオイを落ち着かせるために小さな背をさすりながら優しく声を掛け続ける。

「僕に抱かれるのがいや?」

「んーん」

 違うと言うように首を振るアオイの視線は窓の外へと向けられている。

(……早く、行かないと……) 

 手を伸ばした先では、涙に暮れる青年の姿が幻のように映っている。
 彼の纏った衣には、最悪の事態を思わせるどす黒い赤が……ただ一色に染まって死のにおいを放っていた――。
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