キャラメルと月のクラゲ
「それで、椋木くんっていつからクラゲが好きなの?」
私達は小笠原諸島の海を再現した大きな水槽の前に置かれたイスに座り、色とりどりの魚が悠々と泳いでいるのをそっと見ていた。
「いつからかな。高校三年からだったかな」
水槽の中では大きな部類に入るエイがゆっくりと裏側を見せながらワタシ達の前を通り過ぎる。
「友達がさ、クラゲ好きでその影響って感じなんだけど」
友達。
きっとそれは、カノジョのことだと思う。
「ふーん。その子は? 今もクラゲ好きなの?」
「たぶんね。しばらく会ってないけど、クラゲはまだ好きだと思う」
彼はきっと嘘がつけない。
「そっか。もしかしたら今は椋木くんのほうがクラゲ好きかもね。飼育員になれそうだもん」
「そんなことないよ。飼育員になるのは大変だし、今からじゃ遅いよ」
「それは心理学やってるから? そもそも何で心理学?」
「………心が、他人のって言うよりも自分の心がわからなかったからかな」
ぽつぽつと話す彼の言葉の間で見上げた水槽で、一匹の魚が私を見つめていた。
「ねえ、椋木くん。ヤバい。お魚と目が合った」
「え? 何言ってんの?」
「ほらほら、あの子。さっきから私を見てるの」
私が伸ばした指先で名前も知らない魚が笑っていた。
「あの魚? 気のせいじゃない?」
「違うよ。だって今ね、笑ったんだよ」
「笑わないよ。だって魚だよ」
「そうだけど………」
私の言葉で彼は笑ってくれた。
「あ、ねえねえ。あれ見て。何か、美味しそう」
「もしかして、お腹空いた?」
「うん。ちょっとね」
横目で見る彼は私の横顔を見つめている。
「ヒトによっては食べるなんて考えられないって言うだろうね。クラゲを食べるなんて信じられないって友達言ってたな」
会話の中に出てくる友達はどんな女の子なんだろう。
「そっかー。あー、でもやっぱり美味しそう」
それを知らせないためか、言いたくないだけか、彼の優しい嘘が降り積もる。
「はいはい。そろそろ行こうか。意外にこの水槽の前で1時間しゃべってる」
「そうなの? 気付かなかった。どうりでお腹も空くわけだ」
私達は立ち上がって歩き出す。
足下を小さなコドモ達が走り回っていた。
「何か、コドモもかわいいかも」
「水族館の仲間じゃないよ?」
「わかってる。あのお尻とかかわいいと思う」
オムツで大きくなったお尻をふりふりしながらコドモが歩く。
「僕達だってあんな時代があったんだよね」
「うん。覚えてないけどね」
私はちょっと嘘をつく。
あれくらいの、3歳くらいの記憶が一つだけある。
私の大好きなおばあちゃんが、いとこばかりをかわいがっている記憶。
今でも時折思い出して悲しくなる。


水族館を出てすぐのショップでぬいぐるみやグッズ、お菓子の中からイズちゃんへのおみやげを買うのに優柔不断な私は随分と時間をかけた。
彼はあきれながらも文句を言わずに付き合ってくれた。
そして外へ出た頃、空は暗くなっていて、
「あっちでプロジェクションマッピングやるんだって」
ヒトを集めるためにスタッフが声を上げていた。
「プロジェクション、何?」
「知らないの? プロジェクションマッピング。見に行こ!」
ヒールのあるブーツで早く歩き出す私に彼は付いてくる。
ヒトが大勢集まった広場ではもうすでに映像が始まっていた。
「ほら見て。ああやって建物に映像を重ねるんだよ」
何もない壁にカラフルな映像が投影されていた。
「やっぱ蝦川ニナの写真って好きだなー」
音楽とともに移り変わっていく映像が彼の顔を極彩色に染めていた。
彼は花とクラゲとが入り混じる映像に見入っていた。
「この前さ、クラゲが死んだんだ」
流される音楽に消えてしまいそうな声だった。
「ペットのクラゲ。大切に育ててたのに、泣けなかったんだ………」
私は小さく相づちを打ちながら、スマホで移りゆく映像を写真にしていた。
そっとカメラを彼に向けてシャッターを切る。
フレームに写り込むように見切れた彼の横顔。
彼は気付かずに壁に合わせて変化していく映像を見ていた。
「あれ? 私、何してんだろ」
つぶやきは彼に届かず地面に落ちた。
そう思って消そうとしたけれど、思いとどまった。
私達はそのまま、何も言葉を交わさずに目の前で繰り広げられる幻想的な光景を見続けた。


それから私と彼は私のわがままで魚を食べに行った。
そこで私はついつい、
「魚、ウマい!」
なんて言ってしまい、
「鹿山さんてちゃんと話すと実はオトコっぽいよね。サバサバしてる」
なんて言われてしまった。
せっかく今日はオトナっぽくしてきたのに。
そのあともよくわからないテンションの上がり方でくだらないことをだらだらとしゃべっていたら思っていたよりも遅くなってしまった。
「つか椋木くんとこんな話せると思わなかった」
「こっちこそ鹿山さん、話しやすいかもしれない」
帰り際、最寄り駅の改札から出て私達は南口の階段を降りた。
「メロスの気持ちがわかるよ」
「メロス? あ、言ってたね。二人が友達だったのも意外だった」
「電車が一緒だったからね」
「私も一緒ですけどね。それで? メロスの気持ちって?」
「オトコ関係さえなければいいヤツだって」
「メロスめ、褒めてるのか、けなしてるのかわからない」
「そうだね。でもいい友達がいてうらやましいよ」
「何言ってんの? メロスとは椋木くんも友達でしょ?」
「そっか。鹿山さんって何かコドモっぽいのに変なところオトナだよね」
「それは褒めてます?」
「はい。褒めてます」
「それならよかった」
「そう言えば鹿山さんって家どこなの?」
「北口から出て五分くらいの………あ、出口間違えた」
階段を降りて広場まで来ていた。
「反対側だね」
「バイト行く時のクセで来ちゃった」
彼も私も笑った。
「それじゃ、また明日」
「うん。また明日」
薄暗い街灯の中で彼は微笑む。
明日、大学で会えるだろうか。
それとも、同じ電車に乗り合わせるだろうか。
彼は、私のことを許してくれるだろうか。
「椋木くん。あの、———ごめんね」
「もういいよ。怒ってないから」
「違うの。聞いて」
手を伸ばせば届く距離で彼は私を見つめる。
「クラゲのこと、もっと勉強する、から………教えてくれる?」
何だそんなことか、と彼は笑った。
「もちろん。いいよ」
「うん。ありがと」
私は何だか照れくさくなって夜空を見上げた。
星がほとんど見えない空に大きな満月が白く輝いている。
「椋木くん、見て。月がキレイだよ」
彼は振り返って見上げた空はまだ肌寒く雲一つない。
「僕が産まれた日もこんなキレイな満月だったんだって」
「誕生日いつ?」
「今日だよ」
「え!? もう時間ないじゃん!」
スマホを見るとあと五分で日付が替わるところだった。
「椋木くん、お誕生日おめでとう」
「ありがとう。鹿山さんは誕生日いつ?」
「10月30日だよ。ちょうど半年後だね」
「わかった。覚えとく」
「プレゼント期待してるね」
「えー、考えとくよ」
「前後半年間受け付け中だから大丈夫」
「それずっとじゃん」
そんなことを言って笑いながら彼と私はそれぞれの家に帰っていった。

***

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