キャラメルと月のクラゲ
今日のバイトのシフトは椋木くんと私だった。
相変わらず椋木くんが話すのは仕事のことというかクラゲのことが大半で、
「鹿山さんって、………その、今カレシいるの?」
私のプライベートのことを聞いてくるなんて
思いもよらなかった。
「あー、カレシはいないかな。椋木くんは? 元カノさんとヨリ戻したりしないの?」
一瞬、ほんの一瞬だった。
椋木くんがいつもとは違った暗い表情を見せた。
「元カノは、———どうなんだろうね」
私達は淡いブルーのLEDライトに照らされた水槽に囲まれながら向き合っていた。
音もなくクラゲ達は不思議な距離感の私と彼を見つめている。
「最近、週1くらいで出かけてるし、向こうはそのつもりなんだけど」
ここでカニクリちゃんなら、もうそれって付き合ってるじゃん、とか言いそうだ。
きっと前の私も、そう言うに違いない。
「何か、違うなって」
彼は独特の空気の中で生きている。
周りからは少し距離を置いて、ゆっくりとした流れの中で考えている。
まるで、クラゲだ。
「彼女のこと、好きじゃないの?」
「好きかどうか、わかんないかな。好きなんだろうけど」
「はっきりしないなー」
と私は口に出してしまった。
彼の機嫌を損ねると思いきや、
「そうだね。元カノに悪いことしてるな」
彼は苦笑していた。
その視線が私に向いていることが気になって、私はついつい前髪を触ってしまう。
「鹿山さんは、好きなヒトいないの?」
散々彼に聞いておきながら、いざ自分が聞かれると戸惑って、
「えー? いないかな」
と嘘をついた。
「だったら、ミツさんとかどうかな?」
そう言うことか。
彼が私に興味を持ったんじゃなくてミツさんに頼まれたからか。
「んー、どうかな。どうせ付き合うなら年上がいいと思うけど、それがミツさんにはならないかな」
「好きにはならない?」
「ならない。何度も言わせないで」
「どうしてミツさんじゃダメなのさ。顔もいい、背も高い、きっと将来も有望だよ」
「だから、だよ。きっと彼は私を年下の女の子としか見てくれてない。それじゃ、ダメなんだよ」
「付き合ってもいないのにわかるの? 話してもいないのに、ここでアイツはきっとこうだからって決め付けて話をするのは失礼だよ。本人がいないのに、どうやって彼の本音を理解できるのさ」
「本人が直接話しに来もしないのに、椋木くんは何を言ってるの? バカじゃないの」
どうしてこうなってしまったんだろう。
そんなことを言うつもりなんてなかったのに。
「椋木くん、………嫌い———」
それから私と彼は帰るまで言葉を交わさなかった。
ただ、最後に、
「———お疲れ様」
その言葉がいつもと違う重さを持って私の心に響いた。

***

梨世は、よくしゃべる。
「それでね、教室からグランドにいるカレにメッセ送って、わぁー見てるーって。窓から見てたの」
今日は高校の頃の話だ。
「だけどカレは私と付き合ってはくれなかった。あれだけキスもエッチもしといてひどいよね」
相手は高校教師だった。
サッカー部の顧問で梨世はその様子を見に行っていたらしい。
マネージャーにはならなかったのかと問いかければ、そういうのは私のキャラに似合わない、と笑った。
「だから、卒業式の日に魔法をかけたの。私は春から東京の大学に通うから、もう会えないよって」
私をずっと好きでいる魔法。
ぽつりと梨世は言ってホテルの窓の外に広がる東京の夜景の見ていた。
「それからね。私、卒業式が終わってから告《こく》られたの。サッカー部のキャプテンだった彼とそのままラブホに行ったのね。それをカレに見せ付けてあげたんだ」
コドモは時に残酷《ざんこく》だ。
相手にも、自分にも。
「どっちもそれっきり会ってない。遠恋なんて私には似合わなくて」
きっと我慢ができないのだろう。
話し続けることで彼女の中のフラストレーションが解消される。
それは本来なら女性同士でなされるはずのものがこんな年上の男相手にしなくてはならないのは、彼女に何の気遣いもなく話せる友達がいないからなのか。
「私の恋は、永遠に報われることがないのかもね」
自分の境遇をあざ笑う梨世の悲しげな笑顔を見ていると、忘れてしまった胸の痛みをわずかに感じる。
「———ねえ、桂木さん。ぎゅってして」
彼女の言うままに抱きしめると、涙の気配がした。

***

土曜日。
料理の仕込みを手伝ってほしいとイズちゃんからメッセが来た。
昼過ぎに私が彼女達の部屋に着くと出迎えたのはイズちゃんだけだった。
「カニクリちゃん、いらっしゃい」
肉付きのいい彼女は胸元がざっくり開いたサマーニットを着ていた。
「あれ? 一人?」
「うん。梨世ちゃん、週末はお泊りかオールしてくるから。だけどもうすぐ帰るってメッセ来てたよ。たぶん夕方になるかな」
割と広めな2LDKは掃除が行き届いており、イズちゃんがしっかり管理しているのが想像できた。
「でもカニクリちゃんすごいよね。住所だけでちゃんと来れるなんて」
「大したことじゃないでしょ。ケータイで地図アプリ見ればナビしてくれるよ」
「そういうの私も梨世ちゃんも苦手で。最初にこのマンションに来る時も迷っちゃって」
イズちゃんが迷うのは仕方ないとしても鹿山さんはそんなふうには見えなかった。
「二人で東京の美容室行こうってなった時も有名なサロン予約したのにめっちゃ迷って。結局美容師さんに迎えに来てもらったの」
楽しそうに話すイズちゃんは私をリビングのイスに座らせると、パスタを茹《ゆ》で始めた。
「そこで流行の髪もメイクも全部教えてもらったの。そこで田舎から来た二人は今の二人になった。私達、大学デビューだから」
リビングのテレビ台に飾られている小さな鉢のガジュマルの木の隣にあるコルクボードの写真の中に真っ黒な髪の二人が並んで写っていた。
「あ、お昼ご飯まだでしょ? カルボナーラでいい?」
「あ、うん。ありがとう」
ほぼすっぴんのあどけない高校生の二人がいた。
今よりもかわいらしく思えた。
「二人とも同じ高校だったんだね。彼は?」
「彼? メロス?」
美味しそうな匂いがキッチンから届く。
手際よく彼女は料理をしながら彼女は思い出を話し出す。
「メロスはね、私と梨世ちゃんが東京行きの夜行バスの中で会ったの。酔っぱらいに梨世ちゃんが絡まれた時に助けてくれて、サービスエリアでお礼とお話しして同じ大学だって知ったの」
話しながら彼女は二人分のカルボナーラを運んできた。
「まずは腹ごしらえね。さ、食べよ」
ぺろっと舌を少しだけ出した彼女はとてもかわいかった。


イズちゃんの実家からはほんとうにたくさんの夏野菜が届いていた。
中でも目を引いたのは、
「何かメロンの数、半端ないんだけど」
箱から取り出した十個もある高そうなメロンだった。
「うちのおじいちゃんがメロン農家でね、毎年実家にもメロンがいっぱい届くんだよ」
そう言ってメロンを抱えるイズちゃん。
「その胸はメロンのせいか………」
「ん? 何て?」
「何でもない。それで、何を作るの?」
「うーん、とりあえずカレーでしょ。炒め物と煮びたし。あとは冷製ラタトゥイユ、かな」
「それ私が来なかったら全部一人で作るつもりだったの?」
「うん。ちょっと時間かかるけどやるつもりだったよ」
「鹿山さんは? あの子はやんないの?」
「うーん。私はご飯担当だから。まあ、たまに手伝ってくれるよ」
「アイツ、共同生活って何かわかってんの?」
「これが梨世ちゃんと私の形だからいいの。それに、今日はカニクリちゃんとゆっくりお話ししたかったし」
「私と?」
「そう。時間はみんなが来るまで時間はたっぷりあるよ。じゃあ、カレーの仕込みから始めようか?」
笑顔で言うイズちゃんに私は二箱分の野菜を切らされた。

***

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